『鎌倉殿の13人』あれこれ「伝説の幕開け」2022-04-26

2022年4月26日 當山日出夫(とうやまひでお)

『鎌倉殿の13人』第16回「伝説の幕開け」
https://www.nhk.or.jp/kamakura13/story/16.html

前回は、
やまもも書斎記 2022年4月19日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/04/19/9483058

いよいよ源平の戦いが本格化してきた。義時は、まだ政治の世界の傍観者といっていいだろう。この回で印象に残っているのは、次の二点ぐらいがある。

第一には、頼朝の権力。

これは、前回をうけてのことになる。頼朝は鎌倉殿として、御家人を支配する。そこには、いつ粛正されるかもしれないという恐怖、それから、恩賞としての領地ということがある。このあたり、どうも、ここしばらくの日本の政権運営のあり方について、批判的な眼差しというものを感じてしまうのだが、深読みしすぎだろうか。権力をにぎったものは、その権力を持続することが、自己目的化していくことになる。

第二には、義仲と義経。

義仲と巴の最期のことは、『平家物語』にも出てくることだが、それをふまえて、うまく描写してあったと思う。とにかく格好いい義仲であった。

そして、義経の軍事的天才。これからの歴史の流れとしては、義経が中心となって平家を滅ぼすことになる。その後、頼朝と不和になるということなのだが、そこに後白河院がどのようにかかわってくるのか、このあたり興味のあるところである。

以上の二点が、印象に残っているところである。

ところで、京の都の屋敷でのシーン。武士が屋敷の女房たちの顔を見る場面があったが、はたしてこれはどうだろうか。平安末期、宮仕えの女房たちが、廊下をすたすたと立って歩き、そして、庭から武士に顔を見られる……このようなことがあったのだろうか。ちょっとこのあたりは、気になったところである。

また、この回でも、義時は歴史の傍観者という位置である。歴史を動かしているのは、頼朝であり、義経であり、あるいは、後白河院なのかもしれない。義時は、歴史の表舞台に登場することがない。(たぶん、義時が表舞台に登場するのは、後年の承久の乱ということになるだろうか。)

次回も源平の争乱はつづく。そして、鎌倉はどうなるだろうか。楽しみに見ることにしよう。

2022年4月25日記

追記 2022年5月3日
この続きは、
やまもも書斎記 2022年5月3日
『鎌倉殿の13人』あれこれ「助命と宿命」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/05/03/9487006

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