ドキュメント72時間「多国籍食材店 ニッポンに生きる」 ― 2025-01-13
2025年1月13日 當山日出夫
ドキュメント72時間 多国籍食材店 ニッポンに生きる
東京の錦糸町ということだったが、こういう店も東京だから成りたつといっていいだろう。この店は、かなり古くから営業していて、おそらく東京に住んでいる、バングラデシュとかフィリピンなどに出自をもつ人たちには、知られているのだろうと推測してみる。
日本の国が、人口の減少傾向にあり、これはどうしようもないこととして、これから多くの外国人を受け入れていかなければならない。これは、わかってはいるが、具体的にイメージしづらいことかもしれない。
マスコミなどで登場する外国からの人びとは、基本的に何の問題もなく日本の社会のなかで暮らしている人か、あるいは、逆に犯罪者か、それとも、日本社会のなかで居場所をなくして困窮している人か……このような事例がほとんどといっていいだろう。このような場合の方が、ニュースとしても、ドキュメンタリー番組としても、作りやすいということは理解できる。
普通に暮らしている、多くの外国出自の人びとの生活感覚とか、その生活の有様こそが、一番重要なことであるとは思う。ただ、この場合、「普通」ということの意味する内容が、それを考える人によって、かなり異なるかもしれない。大学で教えていて、教室に留学生がいるのは、これも「普通」だが(私にとっては)、一方で、性風俗店ではたらいているのを「普通」と感じる人もいるだろう。
見ていて興味深かったことは、この店の商品の表示が、基本が日本語でカタカナであったことである。特に、外国語ということではなかった。これも、日本語以外の外国語として、何を使うかということになると、かなり難しい面があるのかもしれない。ある言語や文字はあるが、ある言語や文字は使わないということは、問題を生じかねない。すべての言語や文字を平等にあつかうことは、現実的ではない。(たとえば、日本の国内でも、地域によってはポルトガル語表記が必要な地域もあるかと思う。)
スマホの自動翻訳機能を使えば、日本語を知らない人とでもコミュニケーションできる。いや、これは、外国語どうしでも可能である。(これは、日本においての、外国語教育の意味を問いかけることになっているのだが。)場合によっては、店内の商品の日本語(カタカナ)をスマホカメラで撮れば、望む言語に翻訳して表示してくれる、読み上げてくれる……こういうことも現実に可能になる。いや、もう使われているかとも思う。
登場していたのは、バングラデシュとかフィリピンとかタイとかが多かった。ベトナムからの女性もいた。キューバ大使館の人が出てきていたのは、例外的といっていいだろうか。
バングラデシュというと、基本としてイスラムの国と思っているが、日本で生活するには、ハラル食品が不可欠であるにちがいない。そして、永住権があるということは、おそらく日本で死ぬことになるだろう。これらの人びとについて、土葬で葬ることについて、きちんとした議論が国内でなされているとは思えないが、これからどうなるだろうか。
特に選んで取材し、編集したということではなかったろうが、日本の会社員という人は、あまり出てきていなかった。この店にくる人たちは、いったいどんな仕事をしているのか、その全体像はどうなっているのだろうか。
かなり昔のことになるが、日本で働く外国人が増えだしたころ、東京に学会などで行って、学会の後、仲間内で居酒屋などに行くと、従業員が外国人という場合が多くあった。別に、差別的な感覚はいだかないのだが(言語の研究者はこういうところは一般に寛容である)、しかし、注文をちゃんと理解してくれたかどうか、心配になったことはあった(言語の研究者だからこそこういうところは気になる)。これも、最近では、デジタル機器をつかっての注文になったこともあって、気にならなくなった。また、働いている人が、外国人であっても、それが普通と感じるようになってきた。
それにしても、この店の商品は、いったいどういうルートで日本に輸入しているのだろうか。食品の輸入については、場合によってはかなり制約があったりするかと思うのだが、その輸入の実態ということが気になった。
2025年1月11日記
ドキュメント72時間 多国籍食材店 ニッポンに生きる
東京の錦糸町ということだったが、こういう店も東京だから成りたつといっていいだろう。この店は、かなり古くから営業していて、おそらく東京に住んでいる、バングラデシュとかフィリピンなどに出自をもつ人たちには、知られているのだろうと推測してみる。
日本の国が、人口の減少傾向にあり、これはどうしようもないこととして、これから多くの外国人を受け入れていかなければならない。これは、わかってはいるが、具体的にイメージしづらいことかもしれない。
マスコミなどで登場する外国からの人びとは、基本的に何の問題もなく日本の社会のなかで暮らしている人か、あるいは、逆に犯罪者か、それとも、日本社会のなかで居場所をなくして困窮している人か……このような事例がほとんどといっていいだろう。このような場合の方が、ニュースとしても、ドキュメンタリー番組としても、作りやすいということは理解できる。
普通に暮らしている、多くの外国出自の人びとの生活感覚とか、その生活の有様こそが、一番重要なことであるとは思う。ただ、この場合、「普通」ということの意味する内容が、それを考える人によって、かなり異なるかもしれない。大学で教えていて、教室に留学生がいるのは、これも「普通」だが(私にとっては)、一方で、性風俗店ではたらいているのを「普通」と感じる人もいるだろう。
見ていて興味深かったことは、この店の商品の表示が、基本が日本語でカタカナであったことである。特に、外国語ということではなかった。これも、日本語以外の外国語として、何を使うかということになると、かなり難しい面があるのかもしれない。ある言語や文字はあるが、ある言語や文字は使わないということは、問題を生じかねない。すべての言語や文字を平等にあつかうことは、現実的ではない。(たとえば、日本の国内でも、地域によってはポルトガル語表記が必要な地域もあるかと思う。)
スマホの自動翻訳機能を使えば、日本語を知らない人とでもコミュニケーションできる。いや、これは、外国語どうしでも可能である。(これは、日本においての、外国語教育の意味を問いかけることになっているのだが。)場合によっては、店内の商品の日本語(カタカナ)をスマホカメラで撮れば、望む言語に翻訳して表示してくれる、読み上げてくれる……こういうことも現実に可能になる。いや、もう使われているかとも思う。
登場していたのは、バングラデシュとかフィリピンとかタイとかが多かった。ベトナムからの女性もいた。キューバ大使館の人が出てきていたのは、例外的といっていいだろうか。
バングラデシュというと、基本としてイスラムの国と思っているが、日本で生活するには、ハラル食品が不可欠であるにちがいない。そして、永住権があるということは、おそらく日本で死ぬことになるだろう。これらの人びとについて、土葬で葬ることについて、きちんとした議論が国内でなされているとは思えないが、これからどうなるだろうか。
特に選んで取材し、編集したということではなかったろうが、日本の会社員という人は、あまり出てきていなかった。この店にくる人たちは、いったいどんな仕事をしているのか、その全体像はどうなっているのだろうか。
かなり昔のことになるが、日本で働く外国人が増えだしたころ、東京に学会などで行って、学会の後、仲間内で居酒屋などに行くと、従業員が外国人という場合が多くあった。別に、差別的な感覚はいだかないのだが(言語の研究者はこういうところは一般に寛容である)、しかし、注文をちゃんと理解してくれたかどうか、心配になったことはあった(言語の研究者だからこそこういうところは気になる)。これも、最近では、デジタル機器をつかっての注文になったこともあって、気にならなくなった。また、働いている人が、外国人であっても、それが普通と感じるようになってきた。
それにしても、この店の商品は、いったいどういうルートで日本に輸入しているのだろうか。食品の輸入については、場合によってはかなり制約があったりするかと思うのだが、その輸入の実態ということが気になった。
2025年1月11日記
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