映像の世紀バタフライエフェクト「ベトナム 勝利の代償」2025-01-30

2025年1月30日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ベトナム 勝利の代償

面白かったが、一方で、気になるところもある。私は天邪鬼な見方をしているのかとも思うが、この種の番組を見るとき、何について語っていないか、ということがどうしても気になってしまう。

番組では、ベトナムとアメリカの戦いということで描いていた。確かに、ベトナム戦争は、ベトナムとアメリカの戦いであったのだが、このとき、ベトナムの背後に存在した社会主義陣営の大国……具体的に名前を出すまでもないが……のことに、まったく触れていなかった。何故、アメリカがベトナムで戦うことになったのか、それは、ベトナムの共産化を恐れたからであるという説明があり、共産主義の活動家であった、ホー・チ・ミンのことも触れてあったが、実際のベトナム戦争のときに、どれほどの軍事的な支援が、どの国からあったのか、ということについては、一切触れることがなかった。(そのように編集したということはないのかもと思うが、ベトナム側が使っている銃として、カラシニコフは見当たらなかった。ベトナム戦争は、カラシニコフとM16との戦いという見方も出来るかとも思うのだけれど。ベトナム戦争で使われたカラシニコフはどこからもたらされたものだったのか、あるいは、ベトナム国内でコピー生産したものだったのか。)

ベトコンということばを使っていなかった。アメリカのテレビ局の記者が中継のなかで使っていたのが、唯一だった。この番組の制作の趣旨としては、ベトコンの用語は、使用しないということのようである。ベトミンは、使っていたのだが。

ベトコンということばをつかわないで、この時代のアメリカをはじめ、日本をふくめての、一般の市民のベトナム戦争への感じ方は、理解できないと思う。ベトコンとは、どのような人びとによって構成されたものなのか、それを指揮しているのは誰なのか、軍事的に援助しているのはどの国なのか……このようなことが、ベトナム戦争の時代、日本のマスコミで言われていたことだったと記憶する。

一切出てきていなかったのが、フランス植民地になるまでの歴史。中国とどのような関係であったか、その前史のことをふまえないでは、ベトナムの民族の独立という感覚は、分からないかもしれない。

ベトナムは、多民族国家であり、ベトナム人とはどういう人のことをいうのか、ということも問題になるはずだが、これも一切触れることがなかった。ただ、ベトナム文化の国として、全体としてはかなり均質性の高い国であるとはいっていいのかもしれない。このような基盤があったからこそ、南北でアメリカと戦うことができたと見るべきだろう。

今のベトナムは、確かに経済発展を遂げた国である。しかし、その一方で、一党独裁政権であることは続いているし、言論の自由のきわめて制限された国であることも、知られていることであるはずだと思うが、こういうことにも触れることがなかった。報道の自由では、180の国・地域のなかで、178位である。

とはいえ、興味深かったのは、ベトナム戦争を、その前のフランスとの戦いからをふくめて、徹底的にロジスティックス(兵站)の確保をめぐる戦いとして見ていたことである。いわゆる、ホーチミン・ルートである。ベトナム戦争がベトナムの勝利で終わったのは、ロジスティックスを守りぬくことができたことと、アメリカ国内のみならず、全世界的なベトナム反戦運動があった(無論、その背後には社会主義国の存在があったが)、ということの結果である、と私は理解している。

この番組の先週からの続きで思うこととしては、ベトコンにはPTSDになった人はいなかったのだろうか。

2025年1月28日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/01/30/9750941/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。