『カーネーション』「自信」2025-02-02

2025年2月2日 當山日出夫

『カーネーション』「自信」

この週から、糸子の娘たち(優子、直子、聡子)が、大きくあつかわれることになる。そろそろ、次の世代へとつながっていくことになる。

東京の洋裁学校に優子が行き、それから、直子も行くことになる。この二人は、ライバルということになる。優子は、まさにその名前のとおりの優等生である。一方、直子は、わがままという感じもするが、しかし、絵のセンスはある。そしで、服飾デザイナーとして生きていく覚悟を決めている。このことについては、優子の方は、糸子の店を継ぐというぐらいである。聡子は、いまのところ、さほど洋裁やデザインに関心があるというわけではなく、もっぱらテニスに熱中している。

このドラマを見るのは、三回目ぐらいになるはずだが、やはりうまく作ってあると感じるところが多い。何よりも映像として魅力がある。テレビドラマは、映像表現なのであるから、画面の映像としての魅力が重要である。つまらないドラマは、まず、画面の映像の魅力がないということが多い。

画面に奥行きを感じる作り方になっている。岸和田の家もそうだが、窓があって外の景色が見える。そして、窓からの日の光が差し込んでくる。この窓からの光を、このドラマでは非常にうまく使っている。時間や季節の変化を感じさせると同時に、画面が立体的に浮かびあがってくる。映像として非常に上手である。

ドラマの舞台は、ほとんど岸和田の糸子の店と、その前の商店街、ほぼこれだけでほとんどである。しかし、その岸和田の店の中の小道具が、その当時の生活や仕事ぶりをうかがわせるように、丁寧に配置されている。時代が進むごとに、家の中のものが少しづつ変わっていって、変化を感じさせる。

東京の学校の直子の仲間、男性三人が、岸和田にやってくる。糸子がやっている立体裁断を見学するためである。このとき、小原の家の食卓に出たのはトンカツだった。これも思いおこしてみると、昔、糸子が洋裁をミシンの先生(根岸先生)に習いはじめたとき、母の千代がトンカツを作ろうとしてうまくいかなかった。結局、イワシの煮たのをおいしそうにたべていたシーンを思い出す。それから年月がたって、岸和田の小原の家でも普通の、今のようなトンカツを作るようになっている。こういうところに、時代の変化ということをうまく表現している。

立体裁断を実演してみせる糸子を、直子はそばにたって黙ってじっと見ていたが、その目は、娘が母親を見る目ではなかった。服飾デザイナーとして、ライバルを見るという印象の目であった。

これに対して、優子の糸子に対する態度は、基本的に、娘の母親に対する姿勢である。

優子が東京の男性を連れてくるのだが、それに対して糸子はつれない。仕事ぐらい自分で探せという。まあ、若くから自立して洋裁店を経営してきた糸子にとっては、そのように感じるというところがあったのだろう。

この時の回は、昭和三四年であるが、世相を表すものとしては、皇太子御成婚であった。また、街角の描写のなかに、フラフープやホッピングが置かれていた。まさに、この昭和三〇年代を表していることになる。

土曜日の回で、優子は店の仕事をすることになったが、妊娠した女性について、失敗してしまう。このとき、糸子は、丁寧に手取り足取り教えるということはしない。優子に、自分でやってみろというだけであった。この回を見ると、岸和田の洋裁店で糸子がやってきた仕事は、服飾デザイナーであり、洋裁の職人であり、洋裁店の経営者であり、そして、同時にお客さんに対する接客業でもある……こういう仕事を全部やってきたのだ、ということが実感される。そして、女性であり、母親でもある。このドラマのうまさは、糸子のこういう多面性のある生き方を、たくみに糸子の人生のなかに、相互に連続性のあるものとして、織りこんであるところにあるのだろうと思う。

2025年2月1日記

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