『カムカムエヴリバディ』「1965ー1976」「1976ー1983」2025-03-02

2025年3月2日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1965-1976」「1976-1983」

この週で印象に残ったことを書いておく。

ひなたがラジオの英語会話を聞き始める。そのきっかけになったのが、モモケンのサイン会で、映画村でビリーという外国人の少年に会ったからである。なんとかビリーと話しをしたいと、ひなたは思う。友達の一恵が、英語を話すのを見て、英語を習いたくなる。しかし、お金がない。商店街の福引きで、一等の熱海旅行を当ててそれを元手にしようと考えたのだが、結果として充てたのは、古びたラジオだった。(このラジオ、いくらなんでもこの時代としても古すぎると感じるしろものである。大阪のクリーニング屋さんにおいてあったラジオの方が、ずっと新しい感じである。)

ラジオの英語会話を、ひなたは聞き始めるのだが、一週間で挫折してしまう。

ひなたが、店で留守番をしているとき、ビリーがやってきたが、話しをすることができない。ひなたは、英語会話をサボってしまったことを後悔する。

店に、モモケンがやってきて回転焼きを注文する。ちょうどそのとき、るいが産気づいて、モモケンの自動車で病院に行く。るいに弟ができる。

書いてみれば、上記のようなことなのだが、ドラマの流れとして実に自然に、この時代の京都の商店街の生活、小学生の日常、映画村のこと、などが織りこまれていた。このところの脚本の作り方は、二度目に見ることになるのだが、うまいなあと感じるところである。

さりげないことなのだが、商店街で、吉右衛門のお母さんが店先に座っていて、通りがかった老人に挨拶していた。また、鴨川(あるいは、ここは賀茂川と書いた方がいいだろうか、いわゆる鴨川デルタの地点から表記が変わる)から帰ったるいとひなたが、大月の店の前でとおりすがりの女性に、こんにちは、と言っていた。こういう風景は、その当時としては、ごく普通の商店街の光景だったと思うのだが、今では、もうそういうことはないかもしれない。

この時代のテレビとして、「8時だよ!全員集合」があり、「サザエさん」があり、「母をたずねて三千里」があり、「雲のじゅうたん」が朝ドラであった時代である。ちょうど私の子どものころになるが、みんな憶えている。この時代の雰囲気をうまく描いていたと感じるところである。特に、小学生の視点から、時代の流れを見ているところが、たくみなところだと感じる。

ひなたの英語会話のテキストに、るいが「Hinata」と筆記体で書いていた。これは、昔、安子が英語講座のテキストに、「Yasuko」「Rui」と書いていたのを引き継ぐことになる。このシーンで、安子からるいそしてひなたへと、英語の勉強が受け継がれていくことを表していた。

この時代、気楽に町の本屋さんで、NHKの語学番組のテキストが買える時代でもあった。

金曜日の放送で、弟が生まれるところで終わったのだが、終わりの写真のコーナーで、「京都市北区 大月ひなたさん」と出て、ひなたが赤ちゃんを抱いている写真だった。これは、最初の放送のときも思ったが、とてもうまい作り方だと思う。(ただ、天神さんがあるのは、上京区になるので、大月のある商店街は、いったいどこいらへんになるのかと考えることになる。まあ、このあたりのことは、ドラマのフィクションとして見ておけばいいと思うが。)

ドラマのなかで、ひなたの小学校で児童が使っているのは、ランリュック。今でも使っているだろうか。全国的には、京都あたりを中心として限られた地域で使用されるものだと理解しているのだが、今はどうなっているかと思う。もう、京都の街に行くことも、ほとんどなくなってしまった生活を送っている。

2025年2月28日記

『カーネーション』「まどわせないで」2025-03-02

2025年3月2日 當山日出夫

『カーネーション』「まどわせないで」

この週から、糸子が歳をとった。七二歳ということである。岸和田の街の商店街もおおきく変化した。隣の店も変わり、オハラ洋装店の前には、金券屋ができた。道路も舗装された。

オハラ洋装店も、すっかりリニューアルした。前面がガラス戸とショーウィンドウになり、店内もフローリングになっている。奥は、ダイニングキッチンである。二階は、畳の部屋を残し仏壇もあるが、窓はアルミサッシになった。

この週から登場してきているのが、糸子の孫(長女の優子の次女の里香)である。どうやら、東京の優子の決めた学校に通うのがいやでぐれてしまったらしい。しかたがないので、里香は糸子のもとで生活するようになっている。

そんなヤンキーの里香を、糸子は、ただ見ている。自由にさせている。ジャージが着たければ、その姿でいることを、無理にあらためさせようとはしない。人は、何を着るかで、自己表現しているのであり、それは、ある意味で責任をともなうものである……今風に言えば、このような考え方でいたことになる。

着るものは、その人間を現す、また、着るものによって人間は変わるものである。これは、このドラマが始まったときからの、明確なメッセージであったといっていいだろう。幼いときの、糸子と奈津の、家業の違いと着ている着物の違いがあった。それから、糸子が、ミシンの先生に洋裁を習ったとき、まず、洋服を着て街を歩くことから教わっていた。

このような考え方に賛成するかどうかは別にして、ドラマとして、こういうメッセージを一貫して表現してきていることは、確かにことであり、それは見ていてずっと感じることである。

糸子は、時々、店に男性たちを招いて食事をする。このとき、糸子がナレーションとして言っていたことは……男の人は一人で食事をしたらあかん、と言っていた。この台詞の背景には、これまで、小原の家の今で卓袱台をかこんで描かれてきたいろんな人びとの食事のシーンがあってこそである、と感じるところがある。また、あ人はどうしているだろうか、と言っていたが、特に固有名詞は出していなかった。周防さんと想像はつくのだが、しかし、ここはあえて名前を具体的に表現しないことの方が、効果的である。

そして、重要なことは、歳をとった糸子は歳をとったなりに、それにふさわしい店の仕事をしていることである。時代遅れにもならず、しかし、いたずらに時代の最先端をおいかけまわすでもない、地元の人たちと堅実な商売をつづけている。

娘たちは、それぞれに、独立して仕事をしている。しかし、それに糸子が干渉することはない。また、孫娘の里香にも、その生き方を否定はしていない。それぞれの世代に、それぞれの生き方がある、ということであり、特に世代間の対立ということにもっていっていない。こういう視点で描いていることが、このドラマが、評価される理由の一つでもあると思う。

2025年3月1日記

『おむすび』「米田家の呪い」2025-03-02

2025年3月2日 當山日出夫

『おむすび』「米田家の呪い」

こういう展開になるドラマを、とても面白いと感じるか、逆に、まったくつまらないと感じるか、人それぞれだろうと思う。たしかに、この週だけを見れば、このような内容でもよかったと感じるところもあるのだが、しかし、最初から見てきて感じることとしては、ストーリーが破綻してきていると思わざるをえない。私としては、そのように強く感じる。

このドラマの視聴率は良くないようなのだが、それならば、何をしてもいいだろうと、開き直った作り方をしたのかもしれないが、それが成功したかどうかは、難しいところである。

糸島から、結の祖父母(永吉と佳代)がやってくる。年齢的には、結の子ども(花)がひ孫で小学生になるから、もう九〇を超えていてもいいぐらいだが、そんなそぶりはまったくなく、二人で元気でやってくる。まあ、このあたりは、ドラマだからということで、許容できることかもしれない。

しかし、木曜日までに万博公園に行って太陽の塔を見て、ナレーションで死んで、金曜日が糸島での通夜。このところで、無理矢理、これまでの、伏線……といっていいかどうかわからないが、とにかく、永吉のこれまでのにわかには信用しがたい発言の数々が、それは本当のことだった、ということになる。どう考えても、このはこびは、コントか、コメディでないと無理である。そう思って見るとしても、かなり無理筋の展開だと感じる。

これは要するに、永吉が、聖人の大学進学のための資金を何かに使ってしまったことの真相が、本当はこうだった……岐阜で洪水の被害にあった人のために使ってしまった……ということを、真実味をもたせるために、その他の、永吉がしたかもしれないことが、実は本当のことだった……ということに、無理にでもしたかった、としか感じられない。

別に、ドラマとしては、永吉がホラ吹きであってもかまわないと思うし、始まったころの糸島編での描写を思い出すと、ホラ話であった方が、より自然に思える。そのようなホラ吹きの祖父(永吉)ではあったが、家族のことを思う気持ちは強かった、その一方で、困った人をほうっておけない人であった、ということで、何の矛盾もない。人間には、こういう一見すると矛盾するような面があるものである。

大学行きの資金を使い込んだことは確かだったかもしれないが、それが、人助けのためだったとしたら、これも、別に岐阜の洪水である必然性はない。それ以外の誰かでも、同じように話しのつじつまを合わせることは可能である。場合によっては、ひみこのために使った金でもよかった。どんな事情かはしらないが、そのことを、ずっと秘密にしなければならないような、深刻な状況があったとしても、ひみこなら何とか話しを作ることができたかもしれない。ホラ吹きの爺さんだが、一つだけ、人に言えない隠し事がある、ということでも十分にドラマになる。

永吉が言った台詞で、これはまずいと感じるところがある。永吉が、聖人に対して、大学に行けなかったが、今の自分に満足しているか、それなら十分である……と言っていたが、これは、絶対に言ってはいけない台詞だろう。今の自分に満足であるならば、過去にあったことは、チャラにしてもよい……このような理屈がまかりとおるなら、世の中、なんでもありになってしまう。

少なくとも、子どもの教育費を使い込んでしまうということが、ゆるされることになるなら、今の時代の子どもの教育をめぐる問題のかなりは、ほとんど無かったことになってしまうことになる。極端にいえば、これは、社会正義に反する考え方である。朝ドラのなかで、メインの登場人物に言わせてよい台詞ではない。

永吉が結に言っていた……困った人は助けなければならない、そのかわり、自分が困ったときは助けを求めてよい。たしかに、これはそのとおりのことなのだが、このような相互扶助の組織、社会の中間的な共同体、これが崩壊してきているのが、現代の日本である。その一方で、何か災害があったときには、思い出したように、絆、ということが言われたりする。

だが、これまでのこのドラマのなかで、社会の中間的共同体の意味や変遷ということを描いてきたかというとそうでもない。昔の糸島の農村風景は、あるいはそうであったかもしれない。また、神戸の震災のときの、お互いの助け合いも、そう言えるかもしれない。しかし、震災のときの、相互扶助ということを、このドラマでは、困ったときは助けを求めてもよいのだ、というメッセージとして描いてきたとは思えない。助けを求められたら、それにこたえるようにするのが、社会の構成員のメンバーの義務であると、言っていたわけでもない。

歴史的に振り返ってみても、困ったら助けを求めてもいいのだ、という視点から語られるようになったのは、かなり新しいことだと思うところである。今から三〇年前、神戸の震災のころはまだそのような発想が社会の中に認知されていなかった。やっとボランティアとして、困った人がいるなら助けなければならない、という意識が広まるきっかけになったということだと、私は記憶している。

社会的な相互扶助の精神が、一方では、中間共同体の破壊ということで忘れられつつ、かたや、それでもそのような発想の必用性が言われる、この矛盾した歴史がある。この矛盾した、社会の価値観の変遷というのが、このドラマには、まったく感じられない。

神戸の商店街の人びとの描写にも、地域密着型の相互扶助の精神の必要という面は、まったく描かれていない。

朝ドラにこのような錯綜した価値観の変遷を描くのは無理ということなのかもしれないが、しかし、神戸の震災を描く、ということでスタートしたのなら、現代にいたるまでに、震災をきっかけにして、人びとの社会のなかでの助け合いの気持ちが、どのように変化してきたのか、ということは、当然ながら視野に入ってきているべきことになる。その歴史のなかに、東日本大震災のこともある。

困ったら助けを求めていいのだ、というメッセージを描くことは、非常に重要なことだと私は思う。日本の社会では、ながく、人には迷惑をかけてはいけない、ということが強調されてきた。だが、助けを求めることは、人に迷惑をかけることではない。人にたよってもいいのである。これは、今の時代としては、より強く強調して語るべきことになっている。

しかし、このドラマでは、困ったときは助けを求めるのではなく、ギャル精神で乗りきればなんとかなる、という方向で話しが進んできている。靴屋の渡辺の描き方が、まさにそうであった。

娘を震災で亡くして、アルコール依存症になって仕事も出来ない。そのような渡辺が、なんとかしてほしいと助けを求める……その微妙なサインに気づいて、聖人や商店街の誰かが、精神科のクリニックに一緒にいって、復帰へのあゆみを始めることができる。ようやく手を動かして靴を作る仕事ができるようになる……たとえば、このような展開であってもよかったはずである。

困ったときは助けを求めていいのだ、という大事なメッセージが、永吉のホラ話のなかにかすんでしまったというのが、残念なことであると感じることになる。

それから、結の病院の仕事であるが、管理栄養士としての本来の仕事としては、患者がこれがどうしても食べたいというリクエストがあったとき……この週では味噌汁……それが、患者にとって食べてもいいものなのかどうかを、専門家として判断することであろうと思う。何が食べたいか聞き取って、料理を作る、これは、看護師だったり、病院の調理担当の職員の仕事だろう。

また、このようなことは、病院の職員としての仕事であって、決して人助けではない。ここに、米田家の呪いを持ち込む必然性は、どこにもない。

2025年3月1日記