速記と文字のこと2009-01-31

2009/01/31 當山日出夫

以前に書いたメッセージに、コメントをもらっている。参議院の速記の件。

2009年1月4日

これについては、ネット上では、次の記事で確認できる。「参議院の速記をパソコンで」
http://slashdot.jp/article.pl?sid=06/05/03/2232243

テープレコーダーなど、音声記録の手段をもたなかったとき、速記というのは、話したままを記録する、有効な(あるいは、唯一の)手段であったのかもしれない。逆に、原稿に書いたままを読み上げるなら、また別だが。

これは、冗談として言っているのではない。かつて、アサヒネットが、パソコン通信の会社だったとき、オフ会で、参議院の速記担当者と話して、「どうせ、官僚の書いた作文原稿を読み上げるだけの議会の議事録なら、いっそのこと、それをそのまま使ったらどうですか」と言ったら、苦笑していた。

ところで、「速記」ということを考えていくと、「文字」についても、考えることになる。われわれは、どのようにして、音声言語を文字にしているのか、逆に、文字からどのような音声言語をみているのか。

少なくとも、常識的な日本語史の教えるところでは、明治以降の、落語・講談などの筆録のはたした役割は大きい。その背後には、速記の存在がある(のだろう。)

たとえば、内村鑑三の全集を読んでいくと、講演の筆記録が多数ある。これは、どのようにして成立したのだろうか。演説原稿があって、それを、もとに文章化したものか、演説を速記したものに手を加えたものなのか。読んでいくと、はじめから文章として書いたものと、講演の筆録では、用字・用語が、異なる。

内村鑑三全集の全巻のデジタル化はすでにあるのだが、このような研究につかうためには、さらに加工の必要がある。さて、どうかんがえるべきか。というよりも、今後、どのように研究を展開すべきか。

當山日出夫(とうやまひでお)

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