「カラーでよみがえる映像の世紀」2022-04-01

2022年4月1日 當山日出夫(とうやまひでお)

先日(月曜日)の放送を録画しておいて、後日ゆっくりと見た。

このもとの放送(去年の再放送)は見ている。

やまもも書斎記 2021年4月16日
映像の世紀(3)「それはマンハッタンから始まった」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/16/9367699

番組の内容それ自体については、昨年とさほど印象はかわらない。昨年書いたことを読みかえしてみて、さらに思ったことを書いておくならば、日本のことをどうとりあげるか、という視点の問題があるだろう。昭和天皇のこと、関東大震災のこと、芥川龍之介のこと、満州のこと、など日本のこともいくつか取り上げられていたが、どうも印象が薄い。歴史の流れとしては、昭和の初期の不況ということが、その後の日本の進路に大きく影響していたことにはなるだろう。このあたりのことについては、あまり掘り下げた言及はなかった。

それよりも、重要なのは、カラー化ということにある。好みの問題としては、私は、この種のカラー化には、あまり興味がない。もとの資料が白黒映像であるならば、それはそのまま受けとめておくべきだろうと思っている。

映像の世紀のシリーズでは、過去の映像記録の多くは白黒である。第二次大戦以前のものは、基本的にそうだといっていいだろう。

だが、中に色のついたものもある。

一つは、白黒フィルムに人手で着色してカラー化して見せるという、きわめて原始的な方法である。これも、初期の写真において、人手で着色したものもある。フィルムに着色するということもありえたのだろうと思う。思うこととしては、写真、映画という記録手段を人間が手にしてから、色のついたものを残したいという欲求があったことになる。これは、これとして、映像史として考えるべきところであろうか。

もう一つは、カラーフィルムの登場である。映像の世紀、新・映像の世紀など見た範囲でも、第二次大戦、太平洋戦争の記録映像のなかには、カラーフィルムで撮影したものが残っている。それも、戦争における悲惨な場面が多い。何もこんな悲劇的な場面を、わざわざカラーフィルムで撮影しなくてもいいではないか、と思いたくなるようなものもある。

以上の二つのカラー資料がある。今回のAIによる着色ということは、原則的に、もとの映像資料が白黒であることを前提にしている。この意味では、映像の世紀シリーズにおいて、今回の内容ぐらいが適当であったということかもしれない。

さて、映像の世紀は、四月からまた新しいシリーズが始まるようなのだが、見ることにしようか、どうしようか、ちょっと迷っているところでもある。

2022年3月31日記

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