「天下の無責任男!〜植木等とその時代〜」2024-07-11

2024年7月11日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 天下の無責任男!〜植木等とその時代〜

私は昭和三〇年(一九五五)の生まれなので、クレージーキャッツのことは、かろうじて記憶の範囲内である。「スーダラ節」は憶えている。しかし、植木等の無責任男の映画を見に行ったという記憶はない。その時代において、これは大人向けの映画ということだったかと思う。

植木等が寺の生まれで、本人自身はきわめて真面目な性格の人間であったことは、知られていることかと思っている。ただ、その父親のことについては、この番組で知った。(できれば、一部紹介されていた「こころの時代」を再放送してもらいたい。)

昭和四〇年代、日本の社会はサラリーマンが多くなってきた時代だった。私が小学生のころのことになる。しかし、この時代は、まだ農業など第一次産業に従事する国民も多かった。それが、都市部で働き、郊外から通勤するという、サラリーマンのイメージが、基本的な日本人の働き方になっていく、そのような時代だったと回顧することになる。

無責任男シリーズは大ヒットしたのだが、なぜヒットしたのか、番組を見ていても私にはよくわからなかった。たしかに、映画としての面白さはある。この時代、人びとは映画に何を求めていたのだろうか。そろそろ映画産業が斜陽化し始め、テレビの時代になろうかというころである。ちなみに、今、朝の時間に再放送している『オードリー』は、ほぼこの時代のころ、あるいは、やや後の時代ということになる。私と、ヒロインのオードリーは、ほぼ同じ世代ということになる。

強いて言えば、高度経済成長期にあったある種の閉塞感からの解放かもしれない。あるいは、所詮、人間なんてこんなものか、という感覚かもしれない。真面目だけで生きているのではないのが、人間の社会でもある。

番組の終わりで扱われていた、一九九〇年代の植木等のリバイバルについては、記憶がない。だが、このリバイバルをささえていたのは、どんな人たちだったのだろうか。かつての無責任男のファンだった人たちなのだろうか。あるいは、もっと若い世代だったのか。このあたりの分析があると面白かったと思う。

2024年7月9日記