『高村光太郎』「日本の詩歌」 ― 2017-12-22
2017-12-22 當山日出夫(とうやまひでお)
伊藤信吉他(編).『高村光太郎』.「日本の詩歌」第10巻.中央公論社.1967
いまではもう売っていない本である。古本で買った。高村光太郎の詩を通読しておきたいと思ったのは、二つの理由による。
第一には、北原白秋、萩原朔太郎、とその詩集を読んできて、次に、近代日本を代表する詩人としてうかんできたのが、高村光太郎であったということ。まあ、これは、順当な読み方かもしれない。
第二には、『吉本隆明1968』(鹿島茂)を読んで、そこで論じられていた高村光太郎論に興味があったこと。
やまもも書斎記 2017年11月20日
『新版 吉本隆明1968』鹿島茂
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/20/8731060
吉本隆明の『高村光太郎』を読む前に(実は、まだ読んでいない本であった、「全集」は買ってある)、高村光太郎の主な作品に目をとおしておきたいと思った。
以上の二つのことがあって、古本で買って読んでみた。読んで感じたことは、次の二点になるだろうか。
第一には、やはり日本近代を代表する詩人であるということの確認。北原白秋、萩原朔太郎などの系譜……それを、近代の憂愁と言っていいだろうか……とは、別の次元のところに屹立した、独自の強固な詩的世界がある。非常に強靱な近代的な叙情性とでも言うべきであろうか。
第二には、そのような近代を代表する詩人でありながら、太平洋戦争・大東亜戦争後の、なんと無残な姿か、というおどろきである。いや、おどろきといってはいけないのかもしれない。むしろ、高村光太郎は、他の芸術家、文学者などとちがって、自分が戦争中にどのような文学的芸術的活動をおこなってきたのか、ふりかえってかみしめている。しかし、その姿は、『道程』を書いたころの高村光太郎に比べると、なんと惨めで無様であることか。
戦争を経た後も、なお芸術家でありつづけようとする、強靱な意志はつたわってくる。しかし、その姿は、ある意味で滑稽とでもいうべきである。戦後の作には、詩が感じられない。いや、高村光太郎は、一生懸命に詩を書こうとしているのだ、ということは理解できる。だが、詩を感じるところが希少である。
以上の二点が、「日本の詩歌」『高村光太郎』を読んで感じたところである。
無論、読んでいくと、昔、学校の教科書で見た覚えのある詩がでてくる。『智恵子抄』などのいくつかは、よく読んだものである。
だが、その『智恵子抄』の詩情をも、戦争は打ち砕いてしまったと感じざるをえない。日本の近代において、芸術とは、文学とは、そして、戦争とは何であったのか、本を読み終えてしばらく考えた次第である。
たまたまなのであろうが、北原白秋も萩原朔太郎も、昭和17年になくなっている。これは、文学者、芸術家としては、むしろ幸いであったというべきなのかもしれない。
なお、高村光太郎は、自身が編集に関与した『高村光太郎詩集』(岩波文庫)がある。
高村光太郎.『高村光太郎詩集』(岩波文庫).岩波書店.1955(1981.改版)
https://www.iwanami.co.jp/book/b249180.html
これは、『道程』とそれ以後の作品、それに『智恵子抄』からの作品が収録されている。『智恵子抄』(昭和16年)以降の作品ははいっていない。
伊藤信吉他(編).『高村光太郎』.「日本の詩歌」第10巻.中央公論社.1967
いまではもう売っていない本である。古本で買った。高村光太郎の詩を通読しておきたいと思ったのは、二つの理由による。
第一には、北原白秋、萩原朔太郎、とその詩集を読んできて、次に、近代日本を代表する詩人としてうかんできたのが、高村光太郎であったということ。まあ、これは、順当な読み方かもしれない。
第二には、『吉本隆明1968』(鹿島茂)を読んで、そこで論じられていた高村光太郎論に興味があったこと。
やまもも書斎記 2017年11月20日
『新版 吉本隆明1968』鹿島茂
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/11/20/8731060
吉本隆明の『高村光太郎』を読む前に(実は、まだ読んでいない本であった、「全集」は買ってある)、高村光太郎の主な作品に目をとおしておきたいと思った。
以上の二つのことがあって、古本で買って読んでみた。読んで感じたことは、次の二点になるだろうか。
第一には、やはり日本近代を代表する詩人であるということの確認。北原白秋、萩原朔太郎などの系譜……それを、近代の憂愁と言っていいだろうか……とは、別の次元のところに屹立した、独自の強固な詩的世界がある。非常に強靱な近代的な叙情性とでも言うべきであろうか。
第二には、そのような近代を代表する詩人でありながら、太平洋戦争・大東亜戦争後の、なんと無残な姿か、というおどろきである。いや、おどろきといってはいけないのかもしれない。むしろ、高村光太郎は、他の芸術家、文学者などとちがって、自分が戦争中にどのような文学的芸術的活動をおこなってきたのか、ふりかえってかみしめている。しかし、その姿は、『道程』を書いたころの高村光太郎に比べると、なんと惨めで無様であることか。
戦争を経た後も、なお芸術家でありつづけようとする、強靱な意志はつたわってくる。しかし、その姿は、ある意味で滑稽とでもいうべきである。戦後の作には、詩が感じられない。いや、高村光太郎は、一生懸命に詩を書こうとしているのだ、ということは理解できる。だが、詩を感じるところが希少である。
以上の二点が、「日本の詩歌」『高村光太郎』を読んで感じたところである。
無論、読んでいくと、昔、学校の教科書で見た覚えのある詩がでてくる。『智恵子抄』などのいくつかは、よく読んだものである。
だが、その『智恵子抄』の詩情をも、戦争は打ち砕いてしまったと感じざるをえない。日本の近代において、芸術とは、文学とは、そして、戦争とは何であったのか、本を読み終えてしばらく考えた次第である。
たまたまなのであろうが、北原白秋も萩原朔太郎も、昭和17年になくなっている。これは、文学者、芸術家としては、むしろ幸いであったというべきなのかもしれない。
なお、高村光太郎は、自身が編集に関与した『高村光太郎詩集』(岩波文庫)がある。
高村光太郎.『高村光太郎詩集』(岩波文庫).岩波書店.1955(1981.改版)
https://www.iwanami.co.jp/book/b249180.html
これは、『道程』とそれ以後の作品、それに『智恵子抄』からの作品が収録されている。『智恵子抄』(昭和16年)以降の作品ははいっていない。
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