こころの時代「小さきものの声を聞く〜思想史家・渡辺京二の遺言〜」2023-12-31

2023年12月31日 當山日出夫

こころの時代 小さきものの声を聞く〜思想史家・渡辺京二の遺言〜

今年の一月の放送の再放送。

渡辺京二のことを意識するようになったのは、『逝きし世の面影』が平凡社ライブラリーで刊行になったときだったかと憶えている。いくつか渡辺京二の本は買って読んでいるが、やはり『逝きし世の面影』の印象が強い。

「民衆」ということを語っていた。今の日本で「民衆」ということばで指し示すことになるような人びとは、いなくなってしまったかもしれない。あるいは吉本隆明が「大衆」といった人びとももういないかもしれない。そのかわりに現れてきたのが「市民」である。これはことばの問題ではなく、時代の変化、世の中の生活のスタイルの変化、ということで考えることになると私は思う。

ふり返ってみるならば、水俣病における石牟礼道子の仕事は、民衆の情念に根ざしたものであったということになる。

だが、今では、地域でその自然にとけこんだ人びとの暮らしは、根本的に変わってしまったと言っていいだろう。そもそもの社会の産業構造が大きく変わってしまった。農山漁村で住んで働く人びとは、劇的に減少している。その多くは都市部での生活になっている。さらにはかつての農山漁村の人びとの生活様式も変化してきている。

興味深かったのは、渡辺京二が「民衆」に触れたのが、結核の療養所で元兵士たちと一緒にいた体験であるということである。ここで私が思い出したのが、丸山眞男のことである。丸山眞男は一兵卒として徴兵されて、軍で兵士たちと過ごしている。そのことを回想した文章を読んだと記憶する。だが、丸山眞男は、その後の人生で、東大にもどり、「民衆」のなかに降りてくることはなかった。あくまでも、知識人として生きた。私にはそう思える。

阿弥陀仏の理解も興味深い。人間にとっての超越的絶対者、というのではなく、汎神論的、あるいは、アニミズム的にとらえている。

それから、思いうかぶこととしては、渡辺京二もまた「忘れられた日本人」の一人であろう、ということがある。

かぼそい「ちいさきものの声」は、今では声高な「市民の権利」に代わってしまったといえるかもしれない。

2023年12月26日記

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