「壁 世界を分断するもの」2024-10-15

2024年10月15日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 壁 世界を分断するもの

これは面白かった。

壁、という視点から、世界の人びとの歴史のあり方を描き出している。

壁としては、何よりもベルリンの壁のことを思い出す。一九八九年、テレビで映し出される映像のことは、印象深く憶えている。東西ベルリンの壁をめぐって、それを越えようととした、いくつかのエピソード。トンネルを掘った若者。鉄条網を飛び越えた兵士。(それにしても、よくこの瞬間の映像記録が残っていたものである。あるいは、このような記録が残るということが、後になって猜疑の目で見られたことにつながったのかもしれないと思うが。)

北朝鮮と韓国との、特殊部隊の話し。北朝鮮が、朴正熙暗殺のために特殊部隊を送り込み、韓国もまた金日成暗殺のための部隊の訓練をしていた。このことは、これまで、日本では大きく報じられることはことかと思う。このようなことをオープンにすることができるようになったというのも、時代の流れであろうか。

インドとパキスタンの国境。これは、国家というものが国境を必要とする限り、やむをえないものかもしれない。だが、そこに、宗教対立ということがからんでくるので、ややこしくなる。国境ができる前は、それなりに、まざりあって生活できていた人びとが、強制的に分離され、対立するようになる。壁は人びとの意識を変える。

イスラエルとパレスチナの壁についても同様だろう。強いて壁を作らなくても、パレスチナの人びとと、イスラエルの人びとが、適当に交流しながら生活を続けることは不可能ではなかっただろう。だが、ここも、壁を作ることで、強引にイスラエルとパレスチナを分離することになる。これは、対立を生むことになる。それは、憎悪にまでいたる。

アメリカとメキシコとの間の壁は、これからどうなるだろうか。

近代の国家というものが、国境で確定された領土を持つ……これは、自明のことかもしれないが、しかし、人類の歴史の昔からそうであったわけではない。だが、もはや、中世以前のような状態にもどすことは、不可能というべきかもしれない。

分離し、区別するために、壁を作ることになるが、その壁が、人びとの対立と分断を生む。憎しみも生まれる。同時に、その壁を越えようとする人たちも現れる。

たまたま日本の領土は島国ということなので、国境ということを、日常生活で意識することがない。しかし、世界には、壁で隔てられた多くの人びとの暮らしがあることに、思いをいたすべきだろう。

2024年10月11日記

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