「量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」2024-12-31

2024年12月31日 當山日出夫

NHKスペシャル 量子もつれ アインシュタイン 最後の謎

正直に言って、さっぱり分からない……これは確かなことなのだが、確実に言えることはある。それは、何が分からないのかを分かることが学問である、ということである。このことには、いわゆる理系とか文系とかは関係ないはずである。

私が専門に勉強してきたことは、日本語学、国語学の分野のなかで、文字とか表記とかにかかわる領域になる。そのような分野についてでも……日本語の文字である漢字や平仮名や片仮名については、みんな知っている……それについて、どのような疑問があり、何が分からないことなのか、ということをきちんと一般に分かるように説明することは、非常に難しい。

それから、量子もつれということについて、番組では、いくつかのアプローチを示していた。私の理解では、工学的なアプローチと、理学的なアプローチである。量子もつれがあるとしたら、それをどのような実験で確認することができるのか、あるいは、できないのか、という方向で考えることができる。歴史的には、この方向ですすんできた。また、量子もつれがあることを前提にして、それを使えば何ができるか……暗号であり、コンピュータである……ということで、現実的な技術開発をめざす方向がある。しかし、その一方で、ではなぜ量子もつれがあるのか、その根源的な理由を探るという研究もある。

サイエンスの方法としては、ある理論や仮説を提示するときは、それがどのような実験や発見で証明できるのか、あるいは、反証できるのか、ということを内包していなければならない、というのが私の理解であるのだが、量子もつれの研究の歴史は、かならずしもこのようにして進んできたようではないらしい。科学史の研究としては、どう見ることになるのだろうか。

人間が学問という営みをつづけてきたのは、この世界のなりたち、人間とは本質的になんであるか、その究極のところを知りたい、理解したい、という気持ち……それは、根源的な知的好奇心といえばいいかもしれないが……が、あるからにちがいない。この意味では、哲学や宗教と、物理学とは、通じるところがあると思うことになる。

世界はそこに観察者いるときだけ存在するものである……このような世界観は、これからの人間にどのような感覚をもたらすことになるだろうか。まさに哲学や宗教の課題でもあると、私は認識している。

宇宙の根源を知りたい、人間の本質を知りたい、このような気持ちをいだきつづけることができ、研究することができる人間は、幸せというべきだろう。ただ、残念ながら、今の日本の大学などの制度のなかでは、ひたすら好奇心で研究にうちこむ、面白いからやる、という若者を育成する余裕がなくなってきているということは、どうしようもないこかもしれないが。

2024年12月29日記

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