『チョッちゃん』(2025年5月5日の週) ― 2025-05-11
2025年5月11日 當山日出夫
『チョッちゃん』 2025年5月5日の週
この週から、蝶子の東京でのくらしがはじまることになる。音楽学校に入学でき、住むところは、おじさん(泰輔)の家に下宿することになる。新しい登場人物としては、同じ下宿の落語家であったり、映画館の楽師であったり、そして、バイオリニストの岩崎要である。また、邦子と神谷先生も再登場であった。
見ながら思うことはいろいろとある。
このドラマの作られた1980年代だと、昭和の戦前の時代の雰囲気を憶えている人が多かった。さりげないところに、それを感じる。
おじさんの家にはラジオがあった。北海道の家には、まだラジオがなかった。そのラジオを聞くとき、チューナーのダイヤルを回して周波数を合わせていた。ほんのちょっとしたことだが、昔のラジオは、こうする必要があった。今のドラマでラジオが出てくると、スイッチをいれてすぐに音声が聞こえることが多い。これにはどうしても違和感があった。『カムカムエヴリバディ』でも、この点はあった。
おじさんの家にやってきた男性(岩崎要をなぐろうとしてやってきたのだが)、玄関で、挨拶して帽子をちょっと取っていた。普通は男性は外出するときに帽子をかぶるものであり、人と会ったらそれを取るのが礼儀である……ことさら言うほどのことではないかもしれないが、人びとの生活のなかで、今は失われてしまった感覚であるとも感じる。
蝶子が、洗濯物を干しているシーンがあったが、そのなかに、女性の腰巻きがあった。これは、今のドラマでは出てこない。洗濯物を干すシーンはあっても、たいていは、手ぬぐいか、男性用のシャツぐらいである。実際の家庭の洗濯物は、多様であったはずだが(今でもそうだが)、ドラマのなかでは映すものが、非常に限定されるようになってきている。
音楽学校に入って勉強する蝶子であるが、あまり歌はうまくないようである。東京に来て、はじめてピアノを見たと言っていた。これは、この時代(昭和のはじめごろ)では、こんなものだっただろうと思う。地方(北海道の滝川)と東京とでは、音楽という芸術にこころざそうという人においても、文化資本の格差ということは、歴然としてあったにちがいない。
蝶子は、バイオリニストの岩崎に、どうしたら、声楽家になれるでしょうか、ときいていた。それに対して、努力や才能も必要だが、それを超えるための何かが必要である、と答えていた。これは、そのとおりである。努力と才能だけで、仕事ができる分野もあるだろうが、芸術、また、学問の世界もそうであるが、努力と才能だけではない、何かが必要である、と感じることは確かにある。
週の最後で、邦子が蝶子のもとをたずねてきた。女学生と先生の関係であるから、この時代として、かなりスキャンダラスであったかもしれないのだが、そんなことはまったく感じさせない。(女学生と教師の関係というと、私などの世代だと、どうしても石坂洋次郎の『若い人』を思い出すことになる。)
邦子と神谷先生は、一緒に暮らしているという。その部屋を蝶子はおとずれるのだが、そこに男性と女性の生活を見ることになり、おそらく内心でかなり動揺したらしい。しかし、まだ純情で素朴な少女としての蝶子は、その気持ちをうまく表現出来ないということもある。この雰囲気を、非常にうまく描いてあった。こういう場面で、古村比呂は品を感じさせる。『チョッちゃん』のヒロインとして、古村比呂が魅力的であると感じるところである。
2025年5月10日記
『チョッちゃん』 2025年5月5日の週
この週から、蝶子の東京でのくらしがはじまることになる。音楽学校に入学でき、住むところは、おじさん(泰輔)の家に下宿することになる。新しい登場人物としては、同じ下宿の落語家であったり、映画館の楽師であったり、そして、バイオリニストの岩崎要である。また、邦子と神谷先生も再登場であった。
見ながら思うことはいろいろとある。
このドラマの作られた1980年代だと、昭和の戦前の時代の雰囲気を憶えている人が多かった。さりげないところに、それを感じる。
おじさんの家にはラジオがあった。北海道の家には、まだラジオがなかった。そのラジオを聞くとき、チューナーのダイヤルを回して周波数を合わせていた。ほんのちょっとしたことだが、昔のラジオは、こうする必要があった。今のドラマでラジオが出てくると、スイッチをいれてすぐに音声が聞こえることが多い。これにはどうしても違和感があった。『カムカムエヴリバディ』でも、この点はあった。
おじさんの家にやってきた男性(岩崎要をなぐろうとしてやってきたのだが)、玄関で、挨拶して帽子をちょっと取っていた。普通は男性は外出するときに帽子をかぶるものであり、人と会ったらそれを取るのが礼儀である……ことさら言うほどのことではないかもしれないが、人びとの生活のなかで、今は失われてしまった感覚であるとも感じる。
蝶子が、洗濯物を干しているシーンがあったが、そのなかに、女性の腰巻きがあった。これは、今のドラマでは出てこない。洗濯物を干すシーンはあっても、たいていは、手ぬぐいか、男性用のシャツぐらいである。実際の家庭の洗濯物は、多様であったはずだが(今でもそうだが)、ドラマのなかでは映すものが、非常に限定されるようになってきている。
音楽学校に入って勉強する蝶子であるが、あまり歌はうまくないようである。東京に来て、はじめてピアノを見たと言っていた。これは、この時代(昭和のはじめごろ)では、こんなものだっただろうと思う。地方(北海道の滝川)と東京とでは、音楽という芸術にこころざそうという人においても、文化資本の格差ということは、歴然としてあったにちがいない。
蝶子は、バイオリニストの岩崎に、どうしたら、声楽家になれるでしょうか、ときいていた。それに対して、努力や才能も必要だが、それを超えるための何かが必要である、と答えていた。これは、そのとおりである。努力と才能だけで、仕事ができる分野もあるだろうが、芸術、また、学問の世界もそうであるが、努力と才能だけではない、何かが必要である、と感じることは確かにある。
週の最後で、邦子が蝶子のもとをたずねてきた。女学生と先生の関係であるから、この時代として、かなりスキャンダラスであったかもしれないのだが、そんなことはまったく感じさせない。(女学生と教師の関係というと、私などの世代だと、どうしても石坂洋次郎の『若い人』を思い出すことになる。)
邦子と神谷先生は、一緒に暮らしているという。その部屋を蝶子はおとずれるのだが、そこに男性と女性の生活を見ることになり、おそらく内心でかなり動揺したらしい。しかし、まだ純情で素朴な少女としての蝶子は、その気持ちをうまく表現出来ないということもある。この雰囲気を、非常にうまく描いてあった。こういう場面で、古村比呂は品を感じさせる。『チョッちゃん』のヒロインとして、古村比呂が魅力的であると感じるところである。
2025年5月10日記
『とと姉ちゃん』「常子、父と約束する」 ― 2025-05-11
2025年5月11日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、父と約束する」
最初の放送のときに、全部見ているはずである。二回目になる。
『とと姉ちゃん』のときは、週に六回の放送であったから、土曜日でひとまとまりになるのだが、とりあえず、この週を見た範囲で思うことを書いておく。
はっきりいって、このドラマのことは、あまり強く印象に残っていない。憶えているのは、最初の週に出てきた、染め物工場で染めた布を干してある場面であったり、東京に行ってから常子が水に飛び込む場面だったり、それから、何故かよく分からないがたびたび出てきていた福助人形だったり、である。
戦前から、戦中、戦後の社会を描き、その中で、自立して自分の生き方を見出していった女性の物語ではあったのだけれど、今一つ、印象的な場面とか、エピソードとかがあったという記憶がない。
二回目を見て、たいていこの頃のどの朝ドラもそうなのだが、第一週目は、非常に丁寧に作ってある。こういう家庭環境で育った女性なら、その後、『暮らしの手帖』(ドラマでは別の名前の雑誌だが)にかかわってもおかしくはない、そう感じさせるところがある。
浜松の小橋の家庭は、(この時代の普通の家庭を想像してみると)あまり普通ではない。お父さんが、ものわかりがよすぎる、やさしすぎるといってもいい。その一方で、責任感は非常に強い。こういうお父さんをうけついで、これからの常子が存在するということになるのだろう。
2025年5月9日記
『とと姉ちゃん』「常子、父と約束する」
最初の放送のときに、全部見ているはずである。二回目になる。
『とと姉ちゃん』のときは、週に六回の放送であったから、土曜日でひとまとまりになるのだが、とりあえず、この週を見た範囲で思うことを書いておく。
はっきりいって、このドラマのことは、あまり強く印象に残っていない。憶えているのは、最初の週に出てきた、染め物工場で染めた布を干してある場面であったり、東京に行ってから常子が水に飛び込む場面だったり、それから、何故かよく分からないがたびたび出てきていた福助人形だったり、である。
戦前から、戦中、戦後の社会を描き、その中で、自立して自分の生き方を見出していった女性の物語ではあったのだけれど、今一つ、印象的な場面とか、エピソードとかがあったという記憶がない。
二回目を見て、たいていこの頃のどの朝ドラもそうなのだが、第一週目は、非常に丁寧に作ってある。こういう家庭環境で育った女性なら、その後、『暮らしの手帖』(ドラマでは別の名前の雑誌だが)にかかわってもおかしくはない、そう感じさせるところがある。
浜松の小橋の家庭は、(この時代の普通の家庭を想像してみると)あまり普通ではない。お父さんが、ものわかりがよすぎる、やさしすぎるといってもいい。その一方で、責任感は非常に強い。こういうお父さんをうけついで、これからの常子が存在するということになるのだろう。
2025年5月9日記
『あんぱん』「くるしむのか愛するのか」 ― 2025-05-11
2025年5月11日 當山日出夫
『あんぱん』「くるしむのか愛するのか」
逆転しない正義、これがこのドラマ、あるいは、モデルとなったやなせたかしの言いたいことなのだろうと思っている。その意味で、歴史の流れの中で逆転してしまうことになる正義もある……かつてあったし、今の時代にもあるはずである……これを描くことが必要になる。それを端的にいえば、昭和の戦前の価値観……軍国主義といってもいいかと思うが……ということになる。それをドラマでどう描くかということは、この『あんぱん』の重要なポイントであるにちがいない。
このように思って見ているのだが、どうにも描き方が雑としか思えない。以下、私の思うところを、いくぶん批判的な立場から書いてみる。
金曜日になって、のぶが、突然、忠君愛国の軍国少女になった。その理由としては、石材店で働いていた豪が出征したことがある。妹の蘭子と豪は、お互いに思い合っていて、その二人の仲をひきさくものとして、豪の出征があった。
これだけの理由で、戦地にいる兵隊さんたちのために慰問袋を作ろうと思いたち、学校の同級生たちに呼びかけて、街角で募金活動をする。それが、地元の新聞に大きく取りあげられる。よろこんだ女子師範学校の校長が、授業中であるにもかかわらず、受業を中断してまで、教室にやってきて絶賛する。(女子師範学校で、このような校長の行為はないだろうと思うけれど。)
はっきりいって、いかにも不自然である。
脚本がこのように書いてあるということは、のぶの感じた正義が、学校教育(師範学校での)によるものでもなく、新聞やラジオによるものでもなく、身近な人の出征という、日常の中でおこった出来事による、人間としての自然な感情としてであった、ということで描きたかったのだろうと思うことになる。(ねっからの軍国少女ではなかった、ということにもなる。)
この時代の人びとが、その時代の雰囲気のなかでどのような気持ちをいだいていたか、ここは、もっと多面的に描いておくべきところだったと思う。
中でも大きな役割をはたしたのがラジオであった。今年、まさに、放送100年ということで、NHKは、いろんな特集番組を作っている。この流れとしては、戦前の日本の世論(輿論)の形成に、ラジオがはたした役割の検証ということもあるはずである。このことについては、NHKはさんざん反省の番組も作ってきたはずである。
これは、スルーしていいことではないだろう。では、なぜ、パンくい競走の景品がラジオであったのか(朝田のそう裕福でもない家にラジオがあるのか)、というこの週の以前に描いてきたことが、無駄になってしまう。ラジオの放送で、多くのニュースを聞き、新聞を読み……これは、今の時代のことばでいえば、政府のプロパガンダであり、言論の統制であったことになるだろうが……というなかで、作りあげられてきたものである。少なくとも、常識的な歴史、特にメディアの歴史という観点からは、こう言っていいだろう。
世論の形成と放送(ラジオ)や新聞ということに、無頓着であっていいとは思えない。ただ、盧溝橋事件のことを伝えるためだけにラジオがあるのは、演出としてもったいないと思える。
慰問袋が実際に作られて戦地に送られていたことは確かであるが、それは、女子師範学校の生徒が、このドラマで描いたような形でおこなわれたのだろうか。あったとしても、おそらくは、学校側からの強制的な指導のもとに組織的におこなわれた、と普通は考えると思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。このあたりの描き方については、実際はどうだったのか、もう少し説得力のある描き方であった方がよかったと思う。(私などの見方では、どうしても疑問の方を強く感じてしまう。)
生徒たちが、慰問袋の募金を街頭でおこなっていたとき、「八紘一宇」の文字の書いたのぼりがあったが、これは、どうなのだろうか。ちょっとWikipediaを見ただけなのだが、「八紘一宇」のことばを政府が一般に使いはじめたのは、昭和15年の第二次近衛内閣から、ということなので、ドラマの時点(昭和12年)で、一般に認知されることばであったかどうか、疑わしい。ことばとしては、それより以前からあったことはたしかである。それが、広く使われるようになるのは、太平洋戦争となり、大東亜共栄圏という概念が出てきて、それをささえる理論的支柱として使われた、というのが普通の理解であると思っている。
なぜ、このようなことが気になるのか。ただ時代考証のミスを言いたいだけではない。別にドラマを面白くするためなら、多少の史実の改変はあってもいいとは思う。だが、このドラマの場合、人びとが信じる正義が、どのように世の中で形成され、意識されるようになっていったか、ということは、きちんと描いておくべきところだと思っている。のぶが、八紘一宇ということばを知ったのは、どういう経緯であったのか、これはおろそかにしていいことではない。
ともあれ、のぶがなぜ軍国主義に傾倒していったのかが、豪の出征ということを理由にしているのは、ドラマとして説得力にかける。逆転してしまう正義とは、その時代の多くの人びとが信じていたことであり、日常生活のなかで、自然と身につけてしまっていたものである、そのようなものであっても、時代の流れとともに逆転してしまうことがある、そうでなければ、逆転しない正義、をより強く描くことができないと思う。逆転してしまう正義とは、放送(ラジオ)であり、新聞であり、学校の先生であり……の語ったことであったはずである。国家が言ったことに限らない。
のぶの場合、出征した豪のことを案じるという、ヒューマニズムのある気持ちからであったということにしたいのかもしれない。だが、そういう動機の純粋さによって許されることにはならないのが、世の中の正義(と信じていたもの)というものであるはずである。この理屈がとおるなら、この時代の軍国主義者は、ほとんど免責されてしまうことになる。あえていえば、テロリストこそ、もっとも純粋な動機のもちぬしである。この、動機が純粋なら許される、ということを、さらに超えたところにあるのが、アンパンマンの正義である、と私は理解している。
その他、気になっていることとしては、嵩のはいった美術の学校の制服。美術の学校なら、制服なんかなしにして、自由なファッションでいればいいと思うのだが、はたしてこの時代は、実際にどうだったのだろうか。嵩自身は、制服であることに、何の疑問も感じていないようである。
昭和12年、日中戦争がはじまったころ、東京にいる嵩は、自由を楽しんでいる。これは、たしかにそうだったのだろう。すでに満州事変があり、戦争の時代ということなのだが、東京の生活は、まだ自由を満喫できる状況にあったことは、そうだろうと思う。
だが、これを描くならば、その時代の高知の田舎町(と言ってしまうことになるが)の御免与の町が、どれほど封建的で前近代的な生活であったか、ということをきちんと描いておくべきであった。これまで、このドラマで描いてきた、御免与の町は、地方の町という感じはするが、人びとの自由を圧迫する抑圧的ななにかがただよっている、そんな感じはしていない。せいぜい、朝田の家の祖父(釜次)が頑固じじいであるぐらいである。のぶの父も母も、嵩の家のおじさんもおばさんも、この時代にしては、非常に開明的で進歩的な考えのもちぬしとして描かれている。
あえてステレオタイプな言い方をすれば、前近代的な封建的家父長制を象徴する「父」というものが、御免与の町の描写には出てこない。この「父」が不在でありながら、そこには自由がない、と言うのは、物語の枠組みとして少し無理を感じる。(あるいは、あえて「父」の出てこない脚本ということになっているのだろうか。わざとステレオタイプから外れた作り方をしたかとも理解できる。あるいは、現代ではもう「父」など描くことができない時代になっているのかもしれない。以前の『虎に翼』では、この「父」の役割を、強引に穂高先生に割り振って、結果的にはそれが失敗につながったと、私は見ている。まあ、強いて「父」を探せば、女子師範学校の黒雪先生ということになるかもしれない。)
東京に行った嵩が感じたのは、自由もあっただろうが、それ以上に、東京と御免与の町の間の、人びとの文化資本の落差、ということだっただろうと思う。これは、絵の才能があるなしでは、どうしようもないものであったはずである。(これは、同時に放送することになった『チョッちゃん』を見ていると強く感じることである。)
さらに思うこととしては、蘭子と豪のことである。二人が一緒になることを、母親(羽多子)は後押しする。今の時代の感覚からすれば、こういう描き方もあるかとは思う。しかし、この時代だったら、結婚は当人の了解など関係なく家同士で決まるものだったかと思われるし(地域や社会階層によっても異なるだろうが)、それよりなにより、出征することになっている豪と一緒になっても、それは、離別の悲しさを増幅させるだけのことになる。ここは、余計につらくなるから、自分の感情を押し殺して、笑顔で出征を見送るというのが、これまでのドラマで描いてきたことかと思う。こういう描き方になっているというのも、時代の流れの変化ということではあるのだろう。
この週の最後で、嵩は東京のカフェの店内の電話から、高知に電話をかけていた。この時代に、東京~高知の長距離通話が、そう簡単につながって手軽に電話がかけられたとは思えない。このドラマ、時代考証の感覚が、もう麻痺してしまっているとしか思えない。電話がそう簡単につながるものではないということは、すなわち、東京と高知の距離感でもある。時代考証というのは、その時代の人びとの生活の感覚を、より説得力あるものとして描くために必要なのである。
やむおじさんの言っていることは、今でいえば、絶対平和主義の非戦論である。この時代としては、かなり過激な考え方であったかもしれない。それはいいとしても、今の世界で、このような非戦論は、あまり意味を持たないものになってきてしまっている。言うまでもなく、ウクライナのこともあり、イスラエルのこともある。それでもなお、このような非戦論を語らせることの意義を、これからどうドラマのなかで描くことになるのか、これは気になるところである。
2025年5月9日記
『あんぱん』「くるしむのか愛するのか」
逆転しない正義、これがこのドラマ、あるいは、モデルとなったやなせたかしの言いたいことなのだろうと思っている。その意味で、歴史の流れの中で逆転してしまうことになる正義もある……かつてあったし、今の時代にもあるはずである……これを描くことが必要になる。それを端的にいえば、昭和の戦前の価値観……軍国主義といってもいいかと思うが……ということになる。それをドラマでどう描くかということは、この『あんぱん』の重要なポイントであるにちがいない。
このように思って見ているのだが、どうにも描き方が雑としか思えない。以下、私の思うところを、いくぶん批判的な立場から書いてみる。
金曜日になって、のぶが、突然、忠君愛国の軍国少女になった。その理由としては、石材店で働いていた豪が出征したことがある。妹の蘭子と豪は、お互いに思い合っていて、その二人の仲をひきさくものとして、豪の出征があった。
これだけの理由で、戦地にいる兵隊さんたちのために慰問袋を作ろうと思いたち、学校の同級生たちに呼びかけて、街角で募金活動をする。それが、地元の新聞に大きく取りあげられる。よろこんだ女子師範学校の校長が、授業中であるにもかかわらず、受業を中断してまで、教室にやってきて絶賛する。(女子師範学校で、このような校長の行為はないだろうと思うけれど。)
はっきりいって、いかにも不自然である。
脚本がこのように書いてあるということは、のぶの感じた正義が、学校教育(師範学校での)によるものでもなく、新聞やラジオによるものでもなく、身近な人の出征という、日常の中でおこった出来事による、人間としての自然な感情としてであった、ということで描きたかったのだろうと思うことになる。(ねっからの軍国少女ではなかった、ということにもなる。)
この時代の人びとが、その時代の雰囲気のなかでどのような気持ちをいだいていたか、ここは、もっと多面的に描いておくべきところだったと思う。
中でも大きな役割をはたしたのがラジオであった。今年、まさに、放送100年ということで、NHKは、いろんな特集番組を作っている。この流れとしては、戦前の日本の世論(輿論)の形成に、ラジオがはたした役割の検証ということもあるはずである。このことについては、NHKはさんざん反省の番組も作ってきたはずである。
これは、スルーしていいことではないだろう。では、なぜ、パンくい競走の景品がラジオであったのか(朝田のそう裕福でもない家にラジオがあるのか)、というこの週の以前に描いてきたことが、無駄になってしまう。ラジオの放送で、多くのニュースを聞き、新聞を読み……これは、今の時代のことばでいえば、政府のプロパガンダであり、言論の統制であったことになるだろうが……というなかで、作りあげられてきたものである。少なくとも、常識的な歴史、特にメディアの歴史という観点からは、こう言っていいだろう。
世論の形成と放送(ラジオ)や新聞ということに、無頓着であっていいとは思えない。ただ、盧溝橋事件のことを伝えるためだけにラジオがあるのは、演出としてもったいないと思える。
慰問袋が実際に作られて戦地に送られていたことは確かであるが、それは、女子師範学校の生徒が、このドラマで描いたような形でおこなわれたのだろうか。あったとしても、おそらくは、学校側からの強制的な指導のもとに組織的におこなわれた、と普通は考えると思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。このあたりの描き方については、実際はどうだったのか、もう少し説得力のある描き方であった方がよかったと思う。(私などの見方では、どうしても疑問の方を強く感じてしまう。)
生徒たちが、慰問袋の募金を街頭でおこなっていたとき、「八紘一宇」の文字の書いたのぼりがあったが、これは、どうなのだろうか。ちょっとWikipediaを見ただけなのだが、「八紘一宇」のことばを政府が一般に使いはじめたのは、昭和15年の第二次近衛内閣から、ということなので、ドラマの時点(昭和12年)で、一般に認知されることばであったかどうか、疑わしい。ことばとしては、それより以前からあったことはたしかである。それが、広く使われるようになるのは、太平洋戦争となり、大東亜共栄圏という概念が出てきて、それをささえる理論的支柱として使われた、というのが普通の理解であると思っている。
なぜ、このようなことが気になるのか。ただ時代考証のミスを言いたいだけではない。別にドラマを面白くするためなら、多少の史実の改変はあってもいいとは思う。だが、このドラマの場合、人びとが信じる正義が、どのように世の中で形成され、意識されるようになっていったか、ということは、きちんと描いておくべきところだと思っている。のぶが、八紘一宇ということばを知ったのは、どういう経緯であったのか、これはおろそかにしていいことではない。
ともあれ、のぶがなぜ軍国主義に傾倒していったのかが、豪の出征ということを理由にしているのは、ドラマとして説得力にかける。逆転してしまう正義とは、その時代の多くの人びとが信じていたことであり、日常生活のなかで、自然と身につけてしまっていたものである、そのようなものであっても、時代の流れとともに逆転してしまうことがある、そうでなければ、逆転しない正義、をより強く描くことができないと思う。逆転してしまう正義とは、放送(ラジオ)であり、新聞であり、学校の先生であり……の語ったことであったはずである。国家が言ったことに限らない。
のぶの場合、出征した豪のことを案じるという、ヒューマニズムのある気持ちからであったということにしたいのかもしれない。だが、そういう動機の純粋さによって許されることにはならないのが、世の中の正義(と信じていたもの)というものであるはずである。この理屈がとおるなら、この時代の軍国主義者は、ほとんど免責されてしまうことになる。あえていえば、テロリストこそ、もっとも純粋な動機のもちぬしである。この、動機が純粋なら許される、ということを、さらに超えたところにあるのが、アンパンマンの正義である、と私は理解している。
その他、気になっていることとしては、嵩のはいった美術の学校の制服。美術の学校なら、制服なんかなしにして、自由なファッションでいればいいと思うのだが、はたしてこの時代は、実際にどうだったのだろうか。嵩自身は、制服であることに、何の疑問も感じていないようである。
昭和12年、日中戦争がはじまったころ、東京にいる嵩は、自由を楽しんでいる。これは、たしかにそうだったのだろう。すでに満州事変があり、戦争の時代ということなのだが、東京の生活は、まだ自由を満喫できる状況にあったことは、そうだろうと思う。
だが、これを描くならば、その時代の高知の田舎町(と言ってしまうことになるが)の御免与の町が、どれほど封建的で前近代的な生活であったか、ということをきちんと描いておくべきであった。これまで、このドラマで描いてきた、御免与の町は、地方の町という感じはするが、人びとの自由を圧迫する抑圧的ななにかがただよっている、そんな感じはしていない。せいぜい、朝田の家の祖父(釜次)が頑固じじいであるぐらいである。のぶの父も母も、嵩の家のおじさんもおばさんも、この時代にしては、非常に開明的で進歩的な考えのもちぬしとして描かれている。
あえてステレオタイプな言い方をすれば、前近代的な封建的家父長制を象徴する「父」というものが、御免与の町の描写には出てこない。この「父」が不在でありながら、そこには自由がない、と言うのは、物語の枠組みとして少し無理を感じる。(あるいは、あえて「父」の出てこない脚本ということになっているのだろうか。わざとステレオタイプから外れた作り方をしたかとも理解できる。あるいは、現代ではもう「父」など描くことができない時代になっているのかもしれない。以前の『虎に翼』では、この「父」の役割を、強引に穂高先生に割り振って、結果的にはそれが失敗につながったと、私は見ている。まあ、強いて「父」を探せば、女子師範学校の黒雪先生ということになるかもしれない。)
東京に行った嵩が感じたのは、自由もあっただろうが、それ以上に、東京と御免与の町の間の、人びとの文化資本の落差、ということだっただろうと思う。これは、絵の才能があるなしでは、どうしようもないものであったはずである。(これは、同時に放送することになった『チョッちゃん』を見ていると強く感じることである。)
さらに思うこととしては、蘭子と豪のことである。二人が一緒になることを、母親(羽多子)は後押しする。今の時代の感覚からすれば、こういう描き方もあるかとは思う。しかし、この時代だったら、結婚は当人の了解など関係なく家同士で決まるものだったかと思われるし(地域や社会階層によっても異なるだろうが)、それよりなにより、出征することになっている豪と一緒になっても、それは、離別の悲しさを増幅させるだけのことになる。ここは、余計につらくなるから、自分の感情を押し殺して、笑顔で出征を見送るというのが、これまでのドラマで描いてきたことかと思う。こういう描き方になっているというのも、時代の流れの変化ということではあるのだろう。
この週の最後で、嵩は東京のカフェの店内の電話から、高知に電話をかけていた。この時代に、東京~高知の長距離通話が、そう簡単につながって手軽に電話がかけられたとは思えない。このドラマ、時代考証の感覚が、もう麻痺してしまっているとしか思えない。電話がそう簡単につながるものではないということは、すなわち、東京と高知の距離感でもある。時代考証というのは、その時代の人びとの生活の感覚を、より説得力あるものとして描くために必要なのである。
やむおじさんの言っていることは、今でいえば、絶対平和主義の非戦論である。この時代としては、かなり過激な考え方であったかもしれない。それはいいとしても、今の世界で、このような非戦論は、あまり意味を持たないものになってきてしまっている。言うまでもなく、ウクライナのこともあり、イスラエルのこともある。それでもなお、このような非戦論を語らせることの意義を、これからどうドラマのなかで描くことになるのか、これは気になるところである。
2025年5月9日記
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