冬のサンシュユ2018-02-01

2018-02-01 當山日出夫(とうやまひでお)

我が家の庭に、サンシュユ(山茱萸)の木が一本ある。その冬のときの様子を写してみた。

この木は秋に赤い実をつける。去年のこと、その実をみて、サンシュユと判断した。図鑑など見ると花が咲く。その花の咲く前の状態をと思って、撮ってみたもの。見ると、もうじきほころんで花が咲きそうである。これから、この木のことも観察して、写真に撮っていきたいと思っている。

使っているのは、NIKKORのマイクロ85ミリ。RAWで撮ったものを、バッチ処理してある。ホワイトバランスの設定(曇天)とピクチャーコントロール(風景)である。RAWから、直接、ブログ掲載用のJPEG画像に変換したものである。

サンシュユ

サンシュユ

サンシュユ

サンシュユ

Nikon D7500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

『老いの生きかた』鶴見俊輔(編)2018-02-02

2018-02-02 當山日出夫(とうやまひでお)

鶴見俊輔(編).『老いの生きかた』(ちくま文庫).筑摩書房.1997 (筑摩書房.1988)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480033277/

鶴見俊輔の本をWEBで探していて、たまたま見つけたので買ってみた。こんな本も出していたのかと、ちょっと意外な感じもした。

もとの本が出たのが、1988であるから、一昔前のことになる。その当時の「老い」の状況と、今日の少子高齢化社会を迎えての「老い」の状況は異なるだろう。時代とともに文学があるとするならば、これからの時代、「老い」ということは、大きな文学のテーマになるにちがない。

おおむね、日本の近代文学の作家は若死にしている(今日の平均寿命とくらべて、ということなるが。)漱石など、五十で亡くなっている。だからということもないが、漱石の作品には、あまり「老い」を感じるものがない。鴎外も同様である(史伝になる、すこし趣が違うかもしれないが)。

芥川竜之介や太宰治は、若い時に、自ら命をたっている。

これまでに読んだ作品で、もっとも「老い」を実感したのは、『山の音』(川端康成)である。

やまもも書斎記 2017年2月15日
『山の音』川端康成
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/15/8362121

この鶴見俊輔(編)『老いの生きかた』であるが、「老い」をテーマにしたアンソロジーである。全部で二十編ほどの短い文章をおさめてある。

その最初に収録されているのが、「柳先生」。中勘助の作品である。昭和22年の文章である。小学校のときの思い出として、柳先生のことを書いている。老教師の生活である。短い作品なのだが、最後を読んで、「人生五十年」とある。(私は、もうとうに五十をすぎてしまった。)

まだ、戦後まもないころの時代としては、人間の生涯というのは五十才ぐらいが、一つの節目であったのだろう。それが、いまでは、七十、八十までは、元気でいるのが当然のような時代になってきた。

しかし、人は必ず年老いる。少子高齢化社会において、文学は、どのような「老い」を描いていくことになるのだろうか。ちょうどその時代に、自分自身が生きてきていることになる。

生老病死という。「死」についての文学は多くある。「老」は「死」に向き合うことでもある。だが、今日では、それのみではない。鰥寡孤独の境涯にあって、ひとりで生きていくことの意味を考えることにもなろう。また、社会的には福祉の課題でもある。

これからの読書、自らの「老い」を考えることにもなるのかと思っている。

と、以上の文章を書いたのが数日前。今、読んでいるのは、『おらおらでひとりいぐも』(若竹千佐子)、第158回の芥川賞である。これは、まさに、老年小説というべき作品。この本については、後ほど。

『明治天皇』(三)ドナルド・キーン2018-02-03

2018-02-03 當山日出夫(とうやまひでお)

ドナルド・キーン.角地幸男(訳).『明治天皇』(三)(新潮文庫).新潮社.2007 (新潮社.2001)
http://www.shinchosha.co.jp/book/131353/

続きである。
やまもも書斎記 2018年1月22日
『明治天皇』(二)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/22/8774280

三冊目である。この巻は、普通の日本史でいえば、憲法の制定から、日清戦争のころまで。三冊目まで読んで思うことなど、いささか。

第一は、閔妃暗殺の事件に一つの章をつかってあること。この事件のことをめぐっては、普通の日本史の教科書などでは、そう大きくあつかうことはないだろうと思われる。が、この事件は、日本の近代の歴史を考えるとき、はずせないことでもある。

というのは、この『明治天皇』という本は、確かに、明治天皇というひとりの君主の生涯を追っている評伝・歴史書ではあるのだが、同時に、その当時の世界における日本、特に東アジアにおける日本という観点をもって書かれているからでもある。日本だけから見た日本になっていない。(このあたり、ドナルド・キーンという外の目から見た日本であるということになる。今では、著者は、日本国籍であるが。)

第二は、上述のこととも関連するのだが、明治国家にとっての最大の課題として、条約改正を描いていることである。治外法権をみとめ、関税自主権が無い、という不平等条約の改正こそが、明治国家の最大の課題であったという視点がつらぬかれている。

思い起こせば、明治の初めの岩倉使節団の欧米への派遣も、条約改正を視野にいれての準備であったと記述されていた。

現在の日本は、不平等条約のもとにはない。(まあ、在日米軍の問題があるにはあるのだが。)だからであろうか、明治国家の最大の目標が、不平等条約の改正にあったということが忘れ去られてしまいがちである。だが、著者の立場からすれば、世界のなかにおける日本ということを考えるとき、諸外国とどのような条件で条約をむすんでいたのかは、最大の課題ということになる。

以上の二点が、第三巻を読んで強く印象にのこっているところである。

東アジアにおける日本を国際的な視点から見る……このことの一つのあらわれが、第50章「清国の「神風連」」かもしれない。中国近代史では義和団の事件である。このことにかなりのページがつかってある。

これは、幕末から明治にかけての日本の歴史……開国から明治維新……におけるナショナリズム、これを、東アジア全体の流れのなかにおいて見ようという発想からくるものだと思って読んだ。日本におけるナショナリズムの動きが、尊皇攘夷運動から明治維新にいたったとして、では、となりの中国ではどうであったか、義和団の件を軸に記述してある。中国では欧米列強の侵略に対してどう対応したのであろうか。

また、閔妃暗殺事件の流れの裏には、朝鮮におけるナショナリズムをめぐる様々な動きを無視できないとも読み取れる。それが、近代の日本との朝鮮との関係のなかで、不幸な事件をひきおこした遠因であるとも解釈できる。(直接的には、そのように書いてあるというのではないのだが。)

この本は、19世紀の日本、明治という時代を描きながら、同時に、東アジアの歴史における日本を見る視点の重要性を教えてくれる。このような歴史の視点は、まさに著者として人を得て書かれたというべきであろう。

追記 2018-02-17
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月17日
『明治天皇』(四)ドナルド・キーン
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789356

『わろてんか』あれこれ「女興行師てん」2018-02-04

2018-02-04 當山日出夫(とうやまひでお)

『わろてんか』第18週「女興行師てん」
https://www.nhk.or.jp/warotenka/story/18.html

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月28日
『わろてんか』あれこれ「ずっと、わろてんか」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/28/8777877

この週の見どころは、リリコと四郎の漫才だろう。この週で、表記が「漫才」になっていた。

気になったので、ジャパンナレッジを見てみた。

「漫才」の項目には、次のようにある。日本国語大辞典。

もとは「万歳」であったものが、「寄席演芸の一つ。二人の芸人がしぐさや言葉で観客を笑わせる演芸。エンタツ・アチャコの人気を受けて、昭和七年(一九三二)一月の吉本興業の宣伝雑誌「ヨシモト」に、宣伝部長橋本鉄彦が漫談にヒントを得て命名し載せたのが初めという。」と書いてある。

「漫才」の表記が使用されるようになったのは、昭和のはじめ、ヨシモトからのことらしい。このドラマは、吉本興業がモデルのはずだから、リリコと四郎の二人から、「漫才」がはじまったという設定は、史実をなぞっていることになる。

で、そのリリコと四郎であるが……どうも、舞台の芸が面白くない。リリコのしゃべりは巧い。歌も上手である。一方、四郎の方は、話しが下手である。だが、アコーディオンのうではある。この二人、漫才のコンビを組むまでのやりとりの方が見ていて面白いと感じさせた。だが、舞台での二人は、あまり面白くなかった(と、私は思えた。)

次週、この二人の漫才をめぐってドラマは展開するようだ。

それから、アメリカに行っていた子ども(隼也)が帰ってきた。アメリカには、祖母(啄子)がいる。いろいろアメリカの芸能事情を案内してもらってきたらしい。

ただ、時代的背景としては、満州事変があり、五・一五事件がおこって、日中戦争が本格化するまでの時期になる。アメリカでも、日系移民への対応が厳しくなっていたころだろう。

このドラマは、基本的に、時代的背景、世相というものを描かない方針のようだ。だが、「漫才」という新しい芸能の誕生した時代が、まさに、日本が泥沼の戦争に入り込んでいった時期であるということは、これはこれとして興味深いことでもある。一見すると暗い世相のように見えるが、庶民の生活はまだまだ明るさがあったのだろう。そのあたりの世相を描いてくれると、このドラマももっと面白くなると思うのだが。

追記 2018-02-11
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月11日
『わろてんか』あれこれ「最高のコンビ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/11/8785984

『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子2018-02-05

2018-02-05 當山日出夫(とうやまひでお)

若竹千佐子.『おらおらでひとりいぐも』.河出書房新社.2017
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026374/

今年の第158回芥川賞受賞作である。

この作品を一言で言うならば、老年小説、とでもいうべきであろうか。

第一に、この作品の作者(若竹千佐子)は、1954年の生まれ。芥川賞の受賞者としては高齢になる。が、そんなことよりも、現代において「文学」の担い手が、高齢化しているということを表しているのだと思う。

かつて、「文学」とは若い人のものであった。その文学青年(今では、もう死語かもしれない)が、年をとってきて、今、老年にさしかかっている。「文学」の読み手も、また、書き手も、老年のことになってきている。

第二に、この作品の描いている世界が、まさに老年の日常である。主人公(桃子)は、七十才を越えて、ひとり暮らしの生活。都市近郊の住宅地に、ひとりで住んでいる。幸い、娘が近くにいるので、なにかと日常の助けにはなっているようだ。だが、病気もある。出かけるといっても、最小限の買い物をのぞけば、病院にいくか、亡き夫の墓参りぐらいである。

いま、まさに、少子高齢化社会をむかえて、どこにでもいるような独居老人の日常を、その心の奥底から描いている。

だが、「老い」を描いたというべきこの小説に、暗さはない。たぶん、意図的にそのような側面を描かなかったのだろうと思われる。老人には老人なりの充実した時間があるというストーリーの展開である。

以上の二点が、「老人文学」として見た場合のことである。

それから、この作品のもう一つの側面としては、「方言小説」それも「東北弁小説」ということがある。作者、それから、主人公は、東北の出身。東京オリンピックのころに東京に出てきて、結婚。家庭をもって、その子どもたちも大きくなり、家を出て、夫は先に亡くなり、今は、独居生活。その生活のなかの奥底からたちあがってくるのが、故郷の言葉、方言、東北方言である。

この小説の独白の多くの部分は、東北弁で語られる。

「東北弁とは最古層のおらそのものである。もしくは最古層のおらをくみ上げるストローのごときものである、と言う。」(p.15)

人間が年老いてきたとき、その人生の体験の原体験とでもいうべきものにたちかえるとするならば、そこにあるのは、母方言である。そして、その母方言としては、東北弁はいかにもにつかわしい。

「老人小説」として、また、「東北方言小説」として、この作品は、今日の日本の「文学」であるというにふさわしいと思う次第である。

『西郷どん』あれこれ「相撲じゃ!相撲じゃ!」2018-02-06

2018-02-06 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年2月4日、第5回「相撲じゃ!相撲じゃ!」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/05/

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月30日
『西郷どん』あれこれ「新しき藩主」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/30/8778969

今回は相撲。新しい藩主がお国入りして、御前相撲というのがあっても、これはおかしくないだろうと思う。で、ドラマとしては、お約束のとおり西郷は順当に勝ち上がっていく。最後の勝負でも、正々堂々と戦って勝ったということになっていた。

これはいいとして、終わってからのこと。斉彬との相撲になって西郷は勝ってしまった。だが、なぜ、西郷は、牢に入れられることになるのか。勝負を望んできたのは、斉彬の方である。それに、実力勝負で勝って何がわるいのか。ここは、尚武の地、薩摩としてはふさわしくない対応であると感じられてならない。

ともあれ、この一件で、斉彬に西郷が認められることになる、そのエピソードとして描いてある。江戸の世子であった斉彬のもとに書状を送っていたのが西郷。その西郷と、ここでまみえることになった。(ただ、身分の上下関係の厳しい薩摩藩にあって、国元(薩摩)の下級武士が、直接、江戸の斉彬に手紙をとどけることができたかどうかは、問題だとは思うのだが。)

それから、牢に入れられたところにいた、謎の男。この男の正体も気になる。あるいは、西郷とこの謎の男をめぐりあわせるために、西郷は牢に入れられたという展開になったのだろうか。

ところで、この回には、於一(後の篤姫)が登場していた。見ていると、薩摩ことばであった。このあたりのことについては、また改めて考えてみたい。

次回は、謎の男をめぐる展開のようである。楽しみに見ることにしよう。

追記 2018-02-13
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月13日
『西郷どん』あれこれ「謎の漂流者」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/13/8787097

木瓜の冬芽2018-02-07

2018-02-07 當山日出夫(とうやまひでお)

水曜日は花の写真の日。冬なので花がすくない。山茶花はもう終わり。椿の花はまだ咲かない。今日は、木瓜の木の冬芽を写してみたもの。

去年撮った写真を見てみると、この木の花の咲くのは、三月ごろになってからのようである。その花の咲く前の冬芽の時をと思って、写してみた。

時々、見ている木である。まだ冬芽といっていいと思うのだが、先週ごろにくらべると、徐々にではあるが、色づいて膨らんできているように見える。これから、この花の咲くのを観察していきたいと思っている。

使っているのは、85ミリのマイクロ。冬芽の写真などを撮るには、ちょうどいいと感じる。40ミリのマイクロも使って試してみたのだが、これでは焦点距離が短すぎるようだ。両方試してみて、85ミリで撮った方を掲載することにした。

木瓜

木瓜

木瓜

木瓜

Nikon D7500
AF-S DX Micro NIKKOR 85mm f/3.5G ED VR

『西郷どん』における方言(二)2018-02-08

2018-02-08 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2018年1月26日
『西郷どん』における方言
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/26/8776739

前回、とりあげなかった人物で、そのことばが気になる人びとについて。

まず、由羅。江戸ことばであった。薩摩の地で斉興とともにいるのだが、そのことばは江戸ことばである。

NHKのHPを見ると、由羅は江戸出身とある。薩摩にきて、斉興のもとにいることになっても、そのことばは江戸ことばのままである。

それから、新しく登場した於一(篤姫)。これは、鹿児島ことばであった。島津の姫のひとりということだから、鹿児島ことばでも自然といえば、そうなのだが。しかし、この姫は、いずれ江戸の将軍のもとに嫁ぐことになる。江戸に行ってからも、鹿児島ことばのままなのであろうか。

さて、以前のNHKの大河ドラマ『篤姫』では、どうだったろうか。(これは、あまりはっきり覚えていない。)

また、斉彬は薩摩藩主になっても、江戸ことばのままである。この斉彬の江戸ことばと、斉興の鹿児島ことばの違いが、親子の対立を一層鮮明にしている。

この『西郷どん』の脚本は中園ミホである。今、BSで再放送している『花子とアン』の脚本も書いている。『花子とアン』をみていると、村岡花子は、もともと山梨ことば。それが、東京の女学校に入って、東京ことばになっていく。働いて、結婚して、という展開だが、東京の仕事の場面や家族との会話のシーンでは、東京ことば。しかし、故郷の家族(父や母)と話すときには、山梨ことばになっている。

また、妹のかよも、東京のカフェで働いているという設定であるが、山梨ことばが抜けていない。

中園ミホ脚本においては、登場人物が、どの方言を話すかは、状況によっていくぶん左右されるところがあるようだ。キャラクターの設定と場面によって、どの方言を、どのような場面で使うか選択的である、ともいえようか。

では、『西郷どん』ではどうなるだろうか。今のところ、登場人物の状況の変化によって、そのことばが変わるということはない。だとすると、このまま明治維新になって、明治政府ができるとすると……そこは、まさに『国語元年』(井上ひさし)のような状況になるだろう。薩摩や長州、京都などのことばが入り乱れる。

たぶん、なにがしかの共通のことばがあったはずである。方言のまま同士でことばが通じるとは思えない。だが、江戸ことばの斉彬と、鹿児島ことばの薩摩の人びとと支障なくコミュニケーションできているという設定からするならば、このまま方言をかえずにいくということもあり得るだろう。(あくまでもドラマの演出としてであるが。)

これから、幕末の動乱期、明治維新をむかえるとき、西郷隆盛や、篤姫のことばは、どのように変化するだろうか/あるいはしないのだろうか、このあたり、注目して見ていこうと思っている。

そして、牢にいた謎の男は、どんなことばをはなすのだろうか。

追記 2018-03-08
この続きは、
やまもも書斎記 2018年3月8日
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799659

『謀略の都』ロバート・ゴダード2018-02-09

2018-02-09 當山日出夫(とうやまひでお)

ロバート・ゴダード.北田絵里子(訳).『謀略の都』(上・下)(講談社文庫).講談社.2017
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062935739
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062935746

「1919年三部作」として出たもの。出た時に順番に買ってはあったのだが、さすがに、全6冊となると、一息で読むのがつらい。積んだままになっていて、今になった。

1919年というと、日本では、大正8年。第一次世界大戦が終わって、パリ講和会議の時である。その時の、パリ、それから、英国を舞台にして、この物語は展開する。

この小説、歴史的背景は忠実に描いてあるらしい。パリ講和会議に、日本の全権として西園寺公望も登場している。

ロバート・ゴダードは、私は、好みである。重厚な歴史的物語とでもいうのだろうか、何層にも積み重なった過去のできごとを、じっくりと語る物語が好きである。ジャンルとしては、ミステリということになる。そのミステリ的要素は、特に強いというわけではない。(奇抜なトリックがしかけてあるということはない。これは、他のロバート・ゴダードの作品に同じ。)

主人公はマックス。第一次大戦中は、英国のパイロットとして活躍。その戦後のこと、父である外交官が、パリで変死する。その謎を解くために、彼は、パリに赴く。そこで出会う、謎のドイツ人。また、ロシア人の女性。おきまりのパターンといってしまえばそれまでだが、さすがにロバート・ゴダードだけのことはある。読んでいて、陳腐さを感じさせない。物語世界に入り込んでいく。

三部作の第一部になる本書では、父の外交官の死の謎を解き明かすところぐらいでおわっている。これから、さらにマックスの冒険の旅がはじまるようだ。

書物を読む楽しみを満喫させてくれる英国探偵小説、そう思っていいだろう。やっと後期試験も終わった。そろそろ花粉症のシーズンになるのだが、年のうちで、おちついてじっくり本が読める時期でもある。楽しみに次の第二部を読むことにしよう。

追記 2018-02-10
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月10日
『灰色の密命』ロバート・ゴダード
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/10/8785539

『灰色の密命』ロバート・ゴダード2018-02-10

2018-02-10 當山日出夫(とうやまひでお)

ロバート・ゴダード.北田絵里子(訳).『灰色の密命』(上・下)(講談社文庫).講談社.2017
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062936217
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062936224

「1919年三部作」の第二部にあたる。第一部、『謀略の都』については、すでに書いた。

やまもも書斎記 2018年2月9日
『謀略の都』ロバート・ゴダード
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/09/8785083

『謀略の都』がゴシック・ロマンスという雰囲気のある作品であったのに比べると、第二部『灰色の密命』は、いわゆるジェットコースター的展開のスパイ冒険小説。いや、主人公のマックスは元パイロットだから、敵味方入り乱れての空中戦的展開と言ってもいいかもしれない。

第一部をうけて、英国のスコットランドの港街からこの小説ははじまる。そこで待ち受けている謎のミッション。そこから始まって、英国、フランスを舞台にして、波瀾万丈の大活劇となる。

いったい誰が敵で、誰が味方か……裏切り、謀略……が、それも、この第二部の中程をすぎると、敵と味方がはっきりしてくる。最終的な敵は、ドイツの謀略組織、それをあやつる謎のドイツ人。

この作品、主人公は英国の貴族であり外交官のマックス。その家族(兄やその妻、叔父など)も登場する。第一部では、比較的背後にかくれていてマックスの英国での生いたちの説明ぐらいの役割であった。だが、この第二部になると、その英国貴族の動きが、話しの本筋にからんでくる。そして、この英国貴族のある一族の物語……それは、マックスの父の外交官としての経歴とも深く関連しているのだが……があることによって、小説に、深みと厚みをもたらしている。単なる、スパイ冒険小説にとどまっていない。英国貴族小説といった趣もある。

また、この第二部でも、基本的に歴史的事実には忠実である。第一次大戦後のパリ講和会議を背景にしている。

ところで、この第二部『灰色の密使』の終わり方、これは……どうしても、次の第三部を読みたくなる。そして、第三部は、どうやら日本が舞台になるようだ。これも楽しみに読むことにしよう。

追記 2018-02-15
この続きは、
やまもも書斎記 2018年2月15日
『宿命の地』ロバート・ゴダード
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/02/15/8788216