『西郷どん』あれこれ「両雄激突」2018-11-13

2018-11-13 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年11月11日、第42回「両雄激突」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/42/

前回は、
やまもも書斎記 2018年11月6日
『西郷どん』あれこれ「新しき国へ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/06/8992129

明治篇も、ここまで見た感じでは、歴史上のエピソードをつなぐようなつくりになっている。これはこれでいたしかたのない面もあるのかもしれないが、しかし、ドラマとしてはつまらない。

なぜか、それは、江戸時代を終わらせ、近代を築いていくことになる、大きな歴史の物語が見えてこないのである。

今の我々は歴史の結果を知っている。征韓論があり、西郷は下野する。そして、大久保を中心とした明治国家の建設がある。それに対する、不平士族の反乱があり、その最後が西南戦争ということになる。そして、西郷は死ぬことになる。

このような歴史の経緯を知った上で、では、その歴史の激動のなかで、個々の人びとは、変わりゆく世の中で、何を感じ、どう生きてきたのか、そこのところの歴史の物語が、このドラマからは感じられないのである。

強いていえば、大久保のめざした近代(富国強兵路線というべきか)と、西郷の考える近代(農本主義的というべきか)との対立、このように理解することができるのかもしれない。だが、この対立する二つの近代が、説得力を持って描かれているとは感じられない。岩倉使節団の派遣中に、数々の改革をなしとげた西郷も、これはこれとして、近代を推し進めた人物の一人にちがない。その西郷にとっての近代とは、いかなるものであったのか。

歴史学ではない、歴史ドラマには、大きな歴史の物語が背景に必要だと私は思っている。たとえ、その歴史観に、賛否あるとしても。このドラマ、役者の熱演はわかるのだが、しかし、歴史ドラマとして肝心な何かが欠如しているとしか、私には思えないのである。

それから、岩倉使節団の意義については、今日の歴史学では、もうちょっとちがう評価がされているように思うのだが、ここのところも気になったところである。

追記 2018-11-20
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月20日
『西郷どん』あれこれ「さらば、東京」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/20/9000952

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