『崩れゆく絆』アチェベ/粟飯原文子(訳)2020-11-06

2020-11-06 當山日出夫(とうやまひでお)

崩れゆく絆

アチェベ.粟飯原文子(訳).『崩れゆく絆』(光文社古典新訳文庫).光文社.2013
https://www.kotensinyaku.jp/books/book180/

『文学こそ最高の教養である』の本を読んでいる。アフリカ文学ではこの作品がとりあげられている。

読んで思うことは、次の二点。

第一には、アフリカにとって、「小説」というのは、西欧の近代とイコールなのだろう、という思いである。あるいは、「小説」という文学の形式、様式こそ、まさに、西欧的な何かでしかないとでもいえようか。

言い換えるならば、アフリカにもともとからあった、(良くは知らないが)古くから伝わる口承伝承のような文芸とは、明らかに異質である。アフリカにおける「小説」とは、植民地化され、そこから、さらに独立国となっていく過程において、「近代」の社会を生きるようになってから、形成されてきたものなのだろう。

第二には、その意味において、この本を読んで感じるのは、むしろ、日本の明治文学である。明治維新を経て、「近代」の日本になっていくプロセスにおいて、「文学」もまた「近代」であることを要求されることになる。(このあたりの事情は、日本文学史の概略の知識である。)

前近代、非近代であるところから、「近代」を成立させようとする、さまざまなとりくみがなされてきた。このような日本の文学史を知った上で読むと、なるほど「近代」に直面するとは、このようなことなのか、と感じるところがある。

以上の二点が、この作品を読んで感じることなどである。

アフリカ文学として、安易に共感するところはないのであるが、しかし、いま普通に思っている「小説」という文学が、決してアプリオリに普遍的なものではない、ということは感じとれる。そして、それを、新しい現代日本語訳ということで、読めるというのも、また、一つの事実ではある。

アフリカ文学も、かなりの作品が日本語訳で読める。これを機会に、この分野の作品を読んでおきたいと思う。

2020年11月5日記

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