『やさしい訴え』小川洋子2021-08-23

2021-08-23 當山日出夫(とうやまひでお)

やさしい訴え

小川洋子.『やさしい訴え』(文春文庫).文藝春秋.2004(文藝春秋.1996)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167557027

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月26日
『シュガータイム』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/26/9370993

小川洋子の作品を見つくろって読んでいっていこうとして、ふと途中で、山田風太郎の明治小説を読むことになった。それも、筑摩版に収録の作品は読みきったので、ふたたび小川洋子にもどることになった。

読後感としては、透明な充足感といっていいのであろう、非常に満ち足りた気持ちになる小説である。

チェンバロの物語である。主な登場人物は、私と、チェンバロの製作をする男性と、その傍らにいる女性、この三人である。といって、三角関係を描いた作品ではない。そのような感情の交錯があってもいいような設定なのだが、作品ではそうなっていない。三人は、それぞれのいる立場で、その人生を生きている。そして、それは、常にチェンバロとともにある。

なぜ、小川洋子はチェンバロという楽器を題材に選んだのだろうか。

チェンバロといっても、その実物の演奏を聴いたことはない。昔聞いた、ラジオのFM放送で耳にしたことを記憶しているぐらいである。が、その繊細な音色は印象にのこるものである。

この小説を読みながら、常にチェンバロの音色がどこからとなく聞こえてくるような感じがしてならない。(たぶん、このような読後感は、多くの読者がいだくのではないだろうか。まさに、チェンバロという題材があっての小説である。)

ひょっとして、小川洋子は、チェンバロという楽器のことが最初にあって、この小説を書いたのではないだろうかとも思えてならない。

COVID-19で居職の生活を送っている。そのなかで、小川洋子の作品を読むと、満ち足りた時間をすごすことができる。これから、残りの作品を読んでいきたいと思う。

2021年5月27日記

追記 2021年8月31日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年8月31日
『余白の愛』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/31/9417426