『余白の愛』小川洋子2021-08-31

2021-08-31 當山日出夫(とうやまひでお)

余白の

小川洋子.『余白の愛』(中公文庫).中央公論新社.2004(福武書店.1991)
https://www.chuko.co.jp/bunko/2004/06/204379.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年8月23日
『やさしい訴え』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/08/23/9413992

最初の刊行が一九九一年という作品だから、小川洋子としては初期の作品になる。

読後感としては、なんとも幻想的な、そして、清らかな印象がある。最後まで読んで、これまで読んできたことは、すべて幻だったのか、それにしても、清らかな幻であることよと、思ってしまう。

が、この小説は、どこからどこまでが、本当のこと、事実としてあったこと、どこからが、幻想の世界のこと、と割りきって読むこともできない。いつの間にか幻想の世界にはいりこんでいて、ふとそこから覚めて終わる、といえばいいだろうか。

それにしても、小川洋子は、病気を書くのがうまい。うまいというよりも、小川洋子の小説に出てくる病気は、病気らしさがない。この小説に出てくる病気は、耳の病気である。突発性難聴になった女性が、その体験譚を語ることになる。そこに居合わせることになる、速記者のY。

速記というものが小説の世界であつかわれている、珍しい作品かもしれないと思って読んだ。速記は、ことばを紙のうえに書きとめる技術である。それは、ことばに忠実である。そして、その速記をする手と指は、何かしら神秘的でもある。

耳の病気で、耳鳴りのする女性。そのことばを書きとめる速記者。基本的にこのふたりの関係で、小説は進行していく。ただ、語ることを紙の上にとどめるだけの行為が、これほどまでに神秘的で魅力的に描かれた小説は他にないかもしれない。普通、耳の病気というと、どうしても不快感を感じてしまうのだが、小川洋子の小説には、いや感じがまったくしない。

そして、この小説の舞台として設定されているのが、小さなホテル。昔は邸宅であったものを、今はホテルとしてつかっている。小体なホテルである。ホテルだから、つくりとしては洋館になる。小川洋子の小説には、洋館が魅力的に登場する。この作品においても、このホテルが重要な役割をはたしている。

初期の小川洋子の透明感にみちた、そして、幻想性のある佳品といっていいだろう。

2021年5月28日記

追記 2021年9月4日
この続きは、
やまもも書斎記 2021年9月4日
『人質の朗読会』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/09/04/9419295