科学について思うこと:『論文の教室』と『科学哲学の冒険』2008-06-08

2008/06/08 當山日出夫

科学・疑似科学について、さらに、トラックバックをいただいているので、思うことを、順次、考えながら書いていきたい。他のテーマと同時進行になるので、やや歩みは遅くなるかもしれないが。

Chromeplated Rat

http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/

定義の水準

http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-06-07/trackback

さて、このブログを始めるときのメインのテーマとして、デジタル・ヒューマニティーズ、と、アカデミック・ライティング、などとした。デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)は、立命館のグローバルCOEに関係してのこと。それから、アカデミック・ライティングは、たまたま、担当している、授業科目名(要するに、文学部の大学生相手の、作文技術の授業である。)

その教科書を選ぶとき、私は、まよわずに、『論文の教室』(戸田山和久、NHKブックス)を選んだ。

この本を教科書として使うと、困ることがある。それは、「事実」と「意見」の区別が、さほど明瞭に書かれていないことである。今、たいていの、作文技術関係の本を読めば、「事実」と「意見」を区別する、と強調している。

「事実」と「意見」の違い、このことを、日本の文章技術教育史(などという分野があるとして)に位置づけるなら、『理科系の作文技術』(木下是雄、中公新書)に、さかのぼる。その後の各種の本は、その影響下にあるだけ、といってよい。

『論文の教室』では、木下是雄の本を、まず、参考文献として推奨している。そして、その推奨のポイントは、パラグラフ・ライティングを、日本語の作文教育にとりいれた点、としている。

だが、『理科系の作文技術』を読めば(あるいは、その後の『レポートの組み立て方』など)、木下是雄が、特に強調したかった点は、2点ある。第一は、「事実」と「意見」の区別であり、第二は、パラグラフ・ライティング、である。

『論文の教室』を通読して、「余計な個人的な感想は書くな!」という指摘はある。また、パラグラフ・ライティングについても、かなり、詳しく説明してある。だが、「事実」と「意見」の区別については、木下是雄のような、明確な定義がなされてはいない。(これは、私の読み方であるが。)

このあたりを考えていくと『科学哲学の冒険』にいたる。そして、そこから、私なりに、科学的であるとはどういうことか、逆にいえば、非科学的である、あるいは、疑似科学とはどういうものであるか、と考えることになる。

なお、先に、結論めいたものを書けば、『疑似科学入門』(池内了、岩波新書)を、評価するのは、「疑似科学」という概念を、岩波新書という、きわめてポピュラーなメディアで、提示したことにある。内容がどうでもいいというわけではないのは、もちろんである。だが、その本が持つ社会的インパクト、というものも、ある意味で大事であると思う。

ある用語が広く使用されるようになること、その概念が、社会に広まることには、場合によっては、功罪がある。「デジタル・アーカイブ」など、私の直面する、問題である。

「疑似科学」という言葉から、どのように「科学」を考える方向にむかっていくのか、これが、『疑似科学入門』の瑕瑾をあげつらうよりも、今後の本当の課題であると、思う。

続きは後ほど。

當山日出夫(とうやまひでお)

これからの予定をすこし2008-06-08

2008/06/08 當山日出夫

これからの予定を、すこし(オープンにしてよいものに限定、まだ、未確定・計画中というイベントがありますので。)出席予定、発表予定、あるいは、行くかもしれないもの。

6月は、もう出たくない。

7月12日(土) ARGのオフ会(&シンポジウム)

7月25日(金) 情報処理学会・人文科学とコンピュータ研究会(神奈川県立金沢文庫)

ずっととんで、

10月12日(日) 訓点語学会(東京大学)

11月2日(日)・3日(月) 日本語学会(岩手大学)

さらにとんで、

12月6日(土) アート・ドキュメンテーション学会 第1会秋季研究発表会(印刷博物館)

今、とりあえず、確定していて、オープンにしてよいもの。これ以外に、あれこれと、たくさん行事があります。それは、決まってから、順次、掲載します。

當山日出夫(とうやまひでお)

JADS(1)2008-06-09

2008/06/09 當山日出夫

2008年6月7・8日と、アート・ドキュメンテーション学会が、京都マンガミュージアムで、開催された。今回から、その報告を、書いていくことにする。

第1日目は、第58回 研究会 シンポジウム

まず、基調講演として

イメージとテクストの交換:歴史的事例から見るアート・ドキュメンテーション

鷲見洋一

いきなり、個人的なことで恐縮であるが、鷲見さんは塾員(慶應義塾)。すでに、慶應義塾大学もはなれて、今は、中部大学。そして、私も、卒業してから25年が経過している。私が文学部の学生(国文)のとき、仏文の助教授だった。

私の頭のなかの鷲見さんは、フランス文学の先生、というイメージが強固にあったのだが、この話しを聞いて、そのような印象は、雲散霧消してしまった。

まず、イメージとテクストについて、ホラティウスからはじまる。「詩は絵のごとく Ut pictura poesis」が、時の経過とともに逆転して、「絵は詩のごとく Ut poesis pictura」になる。つまり、「絵」を、「文章」のように読み解くという方向に向かっていくのである。いいかえるなら、「絵の文法」が成立する。寓意画である。

しかしながら、18世紀以降、「絵」は、独立する。「絵」を「絵」として見るようになる。「絵」は「絵」によってしか、表現できない領域に、向かうことになる。これが、特に顕著に観察できるのが、フランス18世紀の『百科全書』。

さらに19世紀には、写真の発明がある。さらに、写真は、映画へと発展する。そして、映像は、映像として、自立した表現メディアになる。その例として、非ハリウッド的映画の代表として「ライフライン」が、紹介される。そして、この段階において、映像は映像として独立した表現手法をとりながらも、かつての寓意画のごとき様相をしめす。

と、このように書くと、いかもにかたい印象がある。しかし、それを、鷲見さんは、絶妙な、パワーポイントの画像表示で、楽しく見せてくれた。

そして、最後に、非常にわかりやすい3つの事例で、しめくくった。

1.池波正太郎『鬼平犯科帳』の原作(小説のテクスト)と、さいとうたかおのマンガ。その同一のシーンにおける描写の違い。

2.『明日のジョー』のマンガ版と、そのアニメ化の、同一シーンの、描写の技法の違い。必殺クロスカウンター、の場面。

3.『のだめカンタービレ』のマンガ版と、カラヤン指揮のベルリンフィルの演奏の比較。ロッシーニ「ウィリアム・テル」の冒頭。

印象として、既存のジャンルを超えた研究領域がなりたつことを、明確に予感させるものであった。この点、私の知見のおよぶ範囲で、日本文学研究の分野でも、テクスト資料と、絵画資料を、総合的に研究しようという、動きがある。

いわゆる「古典」研究であるか、現在の「ポピュラーカルチャー」であるかを問わず、画像・映像、テクスト、さらには、音楽・音声、これらを、総合する研究領域の未来が、少しではあるが、実感として、見えてきたような気がする。

以上の紹介で、鷲見さんは、劇画といっているが、私の方で、マンガに、統一させてもらった。鷲見さんが、劇画の用語をもちいたのは、それなりに理由があってのことと思うのではあるが。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』326号:あちらこちらの『世説新書』2008-06-09

2008/06/09 當山日出夫

ARGの326号についていささか。

私の興味・関心のある分野としては、京都国立博物館の

所蔵国宝・重要文化財・名品高精細画像閲覧システム

http://www.k-gallery.jp/

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080502/1209654474

である。このサイトでは、私が見たい本が見られない。それは、

『神田本 白氏文集』巻 三・四(新楽府)

この本、重要文化財に指定されている。だが、まだ、このサイトでは、見られない。

というよりも、京都国立博物館のHPのトップから、どうやってリンクをたどればいいのか、わからない。

京都国立博物館 日本語HP

http://www.kyohaku.go.jp/jp/index_top.html

ここからリンクでたどれるのは、「収蔵品」のところ。そこには、収蔵品データベースがある。しかし、これはここで、とまってしまっている。

収蔵品データベース

http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/index.html

ここからは、『神田本 白氏文集』にたどりつける。

はっきり言って、京都国立博物館内の、『所蔵国宝・重要文化財・名品高精細画像閲覧システム』と『収蔵品データベース』の関係が、不明なのである。これは、単に、私の探し方が、下手で見落としているだけなのか。

それから、同じものが、別のサイトで、別ルートで、見られることがある。東洋の古典籍としては、国宝『世説新書』である。

KNM Gallery『世説新書』

http://www.k-gallery.jp/cgi-bin/list.cgi?mz_synm=0000003426&&kubun=B_01&display_no=6&limit_no=1&next=0

e-国宝『世説新書』

http://www.emuseum.jp/cgi/detail.cgi?SyoID=3&ID=w025d&SubID=s000&Link=

文化遺産オンライン『世説新書』

http://bunka.nii.ac.jp/Index.do

東京国立博物館『世説新書』

http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B07&processId=02&colid=TB1570

それぞれに見せ方、画面解像度もちがう。それから、利用条件の記載も異なっている。どれを、どう見てつかえば、いいのであろうか。

また、今回のARGは、編集日誌が、非常に読みごたえがある。それについては、追って書くことにする。

當山日出夫(とうやまひでお)

JADS(2)2008-06-11

2008/06/11 當山日出夫

JADSの感想の続きである。

鷲見さんの基調発表の後、『物語るドキュメンテーション』のシンポジウムに移行する。

千速俊男さん(成安造形大学)

物語る美術作品のドキュメンテーション - 一西洋美術史研究者の立場から -

千速さんの論集は、冒頭にこうある。

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西洋美術において、narrative と対をなす概念は icon である。narrative を「この作品は何らかの物語を物語っていると、鑑賞者が受け取るような要素が美術作品のうちにある」とするならば、このような「物語を物語る要素」を欠いた形象が icon となろう。

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と、まず、 icon と narrative を対比する。そして、絵画が物語るとはどういうことであるのかを、歴史的に分析していく。このあたりの経緯は、西洋美術の門外漢である私には、よく判断しえないところである。

だが、最終的に、「ドキュメンテーション」ということを、キーワードに考えたとき、この発表の最後で紹介のあった映画「ルーブル美術館の秘密」は、興味深かった。

基本的に私は、言語の研究(日本語の文字)の立場にいる。だから、最終的に、言語として、どのように表現するかどうか、を考える。つまり、「ドキュメンテーション」という行為は、言語による言説化の範囲内でしか、考えられない。 ありていにいえば、メタデータとか、パラデータ、というような用語から離れられない。(これは、「ドキュメンテーション」という用語を、どのように定義しようとである。)

この意味で、美術作品(ルーブル美術館、それ自体が、一つの美術作品といえるだろう)を、映像によってとらえた「ルーブル美術館の秘密」を、「ドキュメンテーション」としてとらえる視点は、実に、驚きであり、新鮮であった。

また、発表におけるつぎの指摘は、重要であると思った。

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美術家と鑑賞者とでは、何がことなるのだろうか(中略)むしろ、世界のなかから物語の発端を見いだせるかどうか--これこそが決定的な差異なのではないか。

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この美術は、狭義の美術(絵画など)に限定されないであろう。文学・演劇、芸術一般にまで、射程のおよぶ問いかけであると感じた。

當山日出夫(とうやまひでお)

二つの写楽2008-06-12

2008/06/12 當山日出夫

先に書いた、『ARG』326号へのコメントの続きである。

同じコンテンツが、別ルートで見られる(公開されている)ことに気づいたのは、映像学部のデジタルアーカイブ論で、いろいろと、インターネット上の「デジタルアーカイブ」を探していたとき。

写楽の浮世絵 三世大谷鬼次の奴江戸兵衛

これが、二つのHPで見られることに気づいた。

第一に、東京国立博物館 名品ギャラリー ここで、「写楽」を、キーワードにして検索をかけると、出てくる。

http://www.tnm.go.jp/jp/gallery/index.html

ここの利用規程を見ると、「著作権・リンク」に、以下のようにある。

http://www.tnm.go.jp/jp/footer/copyright.html

>>>>>

当サイト内の全画像・資料は、利用者個人がブラウザを用いて画面上で見ることを前提にしています。別の媒体に収録して再配布する等の行為は有償・無償を問わず許諾できません。

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第二が、文化遺産オンライン

http://bunka.nii.ac.jp/Index.do

この画像データは、東京国立博物館にリンクしてある。リンクをクリックすると、上記の、東京国立博物館の画像データが、表示される。また、二つのサイトの画像を、ディスプレイに表示して見て観察してみると、(私の判断では)同一の画像データである。

ここの利用規程は、「このサイトについて」の「概要」で、「著作権」として、次の記載がある。

http://bunka.nii.ac.jp/jp/about/index.html

>>>>>

このホームページに掲載されている個々の情報(文字、写真、動画、イラスト等)は著作権の対象となっています。また、「文化遺産オンライン」全体も編集著作物として著作権の対象となっており、ともに著作権法及び国際条約により保護されています。法律で認められたものを除き、無断で転用・引用・改変することを禁じます

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ここには、「法律で認められたものを除き」とある。教育目的での利用、たとえば、インターネットに接続できない教室の場合、ブラウザの画面をコピー(ALT+PrintScreen)して、プロジェクタで、学生・生徒に見せる、このことは、フェアユースとして、認められるのだろう。

現行の著作権法は、すべてのコピーを禁じているわけではない。特定の利用(教育目的で、教室でのみ)であれば、可能であるはず(私の理解では)。また、どのような著作物であっても、適切に、それを「引用」する権利も、逆にある。これをすべて禁じたら、あらゆる研究が出来なくなってしまう。先行研究や作品の引用が認められてこそ、研究活動ができ、論文も書ける。

今、すべての、学校(小学校から大学にいたるまで)の教室が、インターネット接続が可能であるわけではない。そのとき、国の所有する文化財(この場合、写楽の浮世絵)が、美術教育に利用できない、してはいけない……ということを、東京国立博物館は宣言したに等しい。一方で、同じ画像データが、文化遺産オンラインでは、「法律で認められたものを除き」と限定している。

東京国立博物館の、利用規程は、早急に見直すべきであると、私は、考える。

當山日出夫(とうやまひでお)

JADS(3)2008-06-13

2008/06/13 當山日出夫

『非/アートとしてのマンガの収集・保存・公開に関する諸課題』

吉村和真さん

まず、吉村さんの肩書きであるが、論集には次のように記されている。

京都国際マンガミュージアム 京都精華大学国際マンガ研究センター 研究統括室長

京都精華大学マンガ学部准教授

実は、「京都国際マンガミュージアム」というのは、法人ではない。いいかえれば、法的には、博物館・美術館・図書館ではない、ということになる。建物は、以前の公立小学校(龍池小学校)。それを、地元の人と、京都市と、精華大学で、共同で、運用している、ということらしい。

この事情は、HPにも記載されている。

http://www.kyotomm.com/

現在は、これでいいのだが、将来はどうなるか、やや個人的には不安にならないでもない。司書・学芸員がいないということであり、あるいは、コレクションの所有権は、誰なのか、このあたりがはっきり見えない。(これは、私の誤解であるかもしれないし、杞憂であるのかもしれない。間違っていたら、指摘してほしい。)

ところで、吉村さんの発表自体は、とても興味深いものであった。まず、発表の視点の設定がいい。「非/アートとしてのマンガ」である。これを、「アート・ドキュメンテーション学会」で発表するのは、かなりのインパクトがある。少なくとも、私は、このように感じた。

マンガが「アート」であるか否か、これは、議論が分かれるかもしれない。それを、逆に、「非/アートとしてのマンガ」として、「非/アート」でないものを、「アート」として定義可能かどうかを、問いかけることになる。

そして、重要なのは、かりに、手塚治虫のマンガを「アート」として認定するとしても、その背後には、B級・C級クラスの、読み捨てにされる、即、ゴミにされてしまう、膨大な作品がある、という指摘。また、このような、B級・C級クラスのマンガこそ、コレクションが難しい。

このあたりの発想、私が、昔、慶應の国文科で学んだ、折口信夫の用語でいうところの「文学と文学以前」に相当するのかとも、思う。「A級作品」、あるいは、「文学」だけを見ていたのでは、それを支える社会・文化の全体像が見えない。ゴミとして棄てられたものこそ、文化史的には価値がある。

「非/アート」という視点から「アート」を見る、これが、この発表の眼目であると、思った次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)

JADS(4)2008-06-15

2008/06/15 當山日出夫

JADSのシンポジウム、次の発表は、

(財)松竹大谷図書館の資料整理方法について

発表は、ここの「司書」の 井川繭子さん

松竹大谷図書館

http://www.shochiku.co.jp/shochiku-otani-toshokan/

ここで、あえて「司書」の肩書きに触れたのは、この発表が、(私の感想であるが)、「ライブラリアン」の視点からのものであったことである。芸能・演劇研究者に、資料検索をサービスする(レファレンス)、という発想が、根底にあると感じた。映画・演劇研究者からのものではない。だが、これは、悪い意味で言っているのではない。私なりに感じ入った次第である。

ライブラリアン、レファレンス・サービスについては、ARGでも、多く話題になっている。

この発表は、3つの主要な部分からなる。

第一に、松竹大谷図書館のコレクションの概要。昭和33年の開館から、独自の分類法で整理。現在、約39万点の資料がある。

第二に、平成16(2004)年度から導入した、図書管理システムについての説明。使用のシステムは、「LX(Library Expert)」(システム・ラボ)。これを選んだ理由としては、利用目的に応じて、カスタマイズが容易であるからとのことであった。

松竹大谷図書館は、映画・演劇関係の多種多様な資料をあつかう。演劇であれば、その、タイトル、出演者、劇場、などが基本的な項目である。しかし、資料の特殊性として、役者が、「何代目の誰」であるか、など問題になる。これについては、「市川團十郎」でも検索できるし、また、現在の「市川團十郎」個人の、以前の芸名でも検索可能。

また、演じられた演目などのについて「件名」として「キーワード」一覧が表示される。例えば、「A」のところには、安倍宗任、油地獄、在原業平など、「B」には、化猫、弁慶、牡丹灯籠など。

まさに、映画・演劇研究に特化したシステムによって、閲覧者の要望に、こたえらえるようになっている。

第三に、この閲覧・検索システムを、背後で支える、図書館内部の業務には、データベース『桐』を使っているとのこと。実は、この『桐』(現在は、Ver.9、管理工学研究所)、最初に出たときから、私はずっと使い続けてきている。ファンクション・キーと、マウスの操作だけで、ほとんどの処理が可能。文字列検索に、「正規表現」を使用する必要はない。現在、『桐』の最新版は、JIS漢字コードの範囲しかあつかえない。ユニコードの拡張領域には、対応していない。これは、ある意味で、欠点ではあるが、逆に、うっかり変な文字を入力してしまわない、という安心感もある。ユニコードは、見方によれば、ゴミのような文字のかたまりといってもよい。

松竹大谷図書館という特殊な図書館の事例ではあるが、図書館における、ライブラリアンの役割、レファレンス・サービスとは、ということについて、考えさせられる発表であった。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』327号2008-06-16

2008/06/16 當山日出夫

ARGの327号を開いて、すぐ、東京大学の名前が見えた。

東京大学附属図書館と東京大学情報基盤センター

写真帖『東京帝国大学』電子版を公開

東京大学附属図書館と東京大学情報基盤センター

平賀譲 デジタルアーカイブを公開

の二つの記事である。これを見て、即座に、私が思い浮かべて、床につんであった本の中からとりだしてきたのは、

『アーカイブを学ぶ』.小川千代子(ほか).岩田書院.2007

である。はっきり言って(これは、もう、この分野では有名な話しであるから)、この本の著者(小川千代子さん)は、反・デジタルアーカイブの急先鋒と言ってよい立場で、発言している。そして、この『アーカイブを学ぶ』において事例としてとりあげられているのは、東京大学、である。第二部、「アーカイブを歩く」では、東京大学大学史史料室が、登場する。

さて、今後、東京大学全体として、デジタルにどのようにとりくんで行くのか、注目していきたい。

それから、今回の327号の編集日誌にある、ネット検索の事例は、非常に考えるところが多い。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080613/1213287103

>>>>>

以下の3問を15分以内に調べる。

1. 今出川・京田辺キャンパスにある施設のうち、名称が「○○館」という 和名の施設は幾つあるか。

2. 同じような和名の施設名称を持つ大学は他にどこがあるか。

3. なぜ、それらの大学では和名の施設名が用いられているのか

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2の問いは、まず、ネット検索では無理。たいていの大学は、HPがあり、そこを見れば、キャンパス・マップがある。しかし、その大部分は、画像であつかわれている。

ちなみに、私の出身大学(慶應義塾)で、 慶應 演説館 で検索したら、最初にヒットした。これは、やはり、特異な例である。三田キャンパスで、「館」とつくのは、この演説館だけであるし、慶應のシンボル的存在である。重要文化財。

まさに、ARG(327)で引用の、

LEARN TO LIVE AND LIVE TO LEARN.

という言葉の意味を考える。今、これから、ネットワークの時代、デジタルアーカイブの時代、我々は、何を学び、何を後世に残すのか。このところを追求していけば、デジタルアーカイブについても、なにがしかの意味を与えることができるだろうと、思った次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)

ワークショップ: 文字 ―(新)常用漢字を問う―2008-06-18

2008/06/18 當山日出夫

以下の企画を考えてしまいました。私(當山)と師茂樹先生(花園大学)との、 共同謀議(?)です。

「ワークショップ: 文字 ―(新)常用漢字を問う―」

2008年7月19日(土) 13:30より 花園大学 自適館 300教室

http://kura.hanazono.ac.jp/kanji/20080719.html

上記のHPより、抜粋・転載します。御参加希望の場合、なるべく事前に、御 連絡ください(私あてではなく、師さんあてに。s-moro★hanazono.ac.jp。★ は、アットマークに変更してください。)

このワークショップ開催にいたった経緯など、追って報告します。また、プロ グラムは、完全に確定というわけではありません(ほぼ、確定)。全体討論の 時間を設定してありますので、「自分も、これは、言いたい!」という方は、 是非ご参加下さい。

以下、HPより転載(一部省略)します。詳しくは、HPをご参照ください。

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趣旨

本年(2008)の5月、各新聞や報道機関において、「(新)常用漢字表」(案)なる ものが報道されました。 これについて、調べてみますと、そもそも「案」で すらない「素案以前のもの」であることが、明らかになりました。

また、これがそのまま「案」というわけではなく、委員会においては、新たに 正式の「案」を作成となっております。 しかしながら、どのような形にせよ、 「常用漢字表」の改訂が、各方面に影響を与えることは必至です。

このワークショップ「文字?(新)常用漢字表を問う?」では、そもそも文字とは 何であるかという根源的な問いかけから、 常用漢字表改訂の意味、さらには、 情報社会といわれる今日、コンピュータにおける文字コードにどのような影響 をあたえるのか、 幅広い多様な視点から、文字というものを考えます。

文字、(新)常用漢字表に、御興味御関心のある方々の御参加を希望いたします。

    2008年6月15日 記

日時 2008年7月19日(土)13:30より

場所 花園大学 自適館 300教室

プログラム(予定)

基調報告 當山日出夫 13:30-13:45

(新)常用漢字表」(案)報道と現代社会の文字

発表(1) 師茂樹 13:45-14:20

一般キャラクタ論としての文字論の可能性

休憩 14:20-14:40

特別講演 安岡孝一 14:40-15:40

(新)常用漢字と人名用漢字と文字コード

発表(2) 高田智和 14:40-16:15

常用漢字と「行政用文字」

発表(3) 小形克宏 16:15-16:50

(新)常用漢字は本当に必要か

全体討論

終了後、懇親会を予定しています。

参加方法

入場無料

資料や懇親会の準備の都合がありますので、なるべく前日までに下の申込書に ご記入の上、 s-moro★hanazono.ac.jpまでメールでお申込み下さい (事前申 し込みなしでも入場はできますが、資料等が間に合わないかもしれません)。

関連情報

文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 文化審議会国語分科会 | 漢字小委員会

小形克宏氏 [新常用漢字表] - もじのなまえ

當山日出夫氏

新常用漢字:国語と日本語と「葛」: やまもも書斎記

新常用漢字:国語研コーパスが利用されないのは何故か: やまもも書斎記

お問い合わせ

師茂樹(花園大学; s-moro★hanazono.ac.jp)

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當山日出夫(とうやまひでお)