丸山真男「「である」ことと「する」こと」 ― 2016-08-18
2016-08-18 當山日出夫
『なつかしの高校国語』から、さらにつづけることにする。
筑摩書房(編).『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2011
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093783/
丸山真男「「である」ことと「する」こと」
この文章は、もと『日本の思想』(岩波新書)に収録のもの。丸山真男が残した文章のなかで、最も有名なものの一つ。私の記憶では、昔の岩波新書版で読んだと覚えている。岩波新書版の『日本の思想』は、近年、改版されてきれいになっている。その新しいのを買ってある。
丸山真男.『日本の思想』(岩波新書).岩波書店.1961(2014.改版)
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/X/4120390.html
『なつかしの高校国語』には、全文の収録ではない。抄録になっている。ここでは、岩波新書版を読んでみることにする。
私の高校生のころ、『日本の思想』は、必読書とされていたように覚えている。無論、高校生で、丸山真男の文章が完全に読解できるというものではない。いや、難解であった。それでも、「思想のあり方について」の「タコツボ」「ササラ」の問題とか、ここでとりあげてみたい「「である」ことと「する」こと」とかは、印象に残っている。
丸山真男については、いろいろ毀誉褒貶あることは承知しているのだが、『日本の思想』の「思想のあり方について」「「である」ことと「する」こと」、この二つの文章だけは、今後も長く読み続けられるのではないか。その価値のある文章だと思っている。
だからといって、その主張に全面的に賛同しているというわけではない。「思想のあり方について」の「タコツボ」「ササラ」の類型分類など、はたして西欧の社会・文化が「ササラ」といっていいかどうか、現時点からは批判の余地があると思う。たとえば、中性におけるイスラム文化の存在など。だが、こと日本の諸問題をかんがえるとき、「タコツボ」の概念は、依然として有効であるし、現に、つかわれている。
「「である」ことと「する」こと」である。私の感想としてであるが、久しぶりに、「「する」こと」の場面を目にしたような気がしたことがある……ちょっと前のことになるが、安保法案をめぐっての一連の反対運動などである。
私個人の意見としては、いわゆる安保法案反対に全面的に賛同しているというわけではない。ある意味、これからの日本にとって、必要性のある法案であると思っている。ただ、その成立のプロセス、議論のすすめかたについては、反対の立場にせよ、賛成するにせよ、いろいろ問題はあると思うが。
ともあれ、そのことはさておくとしても、「「する」こと」……日本が民主国家であって、自分の意見を主張することの自由があること、そうすべきと思うときには、はっきりとそう言うこと……これらを目の当たりにした印象をいだいたのは、確かなことである。憲法には、主権在民とある。その権利のうえに安住しているのではなく、主権者として行動をおこすべきとには、しかるべく合法的に行動をおこす。
ただ、法的な議論として、主権が国民にあることをめぐって問題のあることは、浅羽通明などの指摘するところでもあるが。
「「である」ことと「する」こと」を、今の視点で読み返してみると、いまだに通用する重要な考え方であると思う一方で、やはりこの文章の書かれた時代を感じさせるところもある。が、すでにのべた、安保法案反対の運動との関連でいえば、次のところは、今でもしっかりと確認しておく必要のあるところだろう。
「果たして現在いろいろなかたちで潜在もしくは顕在している議会政治に対する批判を、たとえそれがどんなに型破り、あるいは非常識と思われる議論であっても広く国民の前に表明させ、それとのオープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していくという道を進むほかに、どうして議会政治が日本で〈発展〉し、根づく方向を期待できるでしょうか。本当に「おそれ」なければならないのは、議会否認の風潮ではなくて、議会政治がちょうどかつての日本の「國體」(表記原文ママ)のように、否定論によってきたえられないで、頭から神聖触るるべからずとして、その信奉が強要されることなのです。」(p.188) (〈 〉原文傍点)
ちなみに、「「である」ことと「する」こと」のもとになった講演がおこなわれたのは、昭和33年(1958)である。60年安保のすこし前になる。
ここで半世紀前の文章を読んで、今さかんにいわれるようになった「主権在民」「平和憲法」が「國體」となっていないか、ちょっと考えてみてもいいように思う。
『なつかしの高校国語』から、さらにつづけることにする。
筑摩書房(編).『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2011
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480093783/
丸山真男「「である」ことと「する」こと」
この文章は、もと『日本の思想』(岩波新書)に収録のもの。丸山真男が残した文章のなかで、最も有名なものの一つ。私の記憶では、昔の岩波新書版で読んだと覚えている。岩波新書版の『日本の思想』は、近年、改版されてきれいになっている。その新しいのを買ってある。
丸山真男.『日本の思想』(岩波新書).岩波書店.1961(2014.改版)
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/41/X/4120390.html
『なつかしの高校国語』には、全文の収録ではない。抄録になっている。ここでは、岩波新書版を読んでみることにする。
私の高校生のころ、『日本の思想』は、必読書とされていたように覚えている。無論、高校生で、丸山真男の文章が完全に読解できるというものではない。いや、難解であった。それでも、「思想のあり方について」の「タコツボ」「ササラ」の問題とか、ここでとりあげてみたい「「である」ことと「する」こと」とかは、印象に残っている。
丸山真男については、いろいろ毀誉褒貶あることは承知しているのだが、『日本の思想』の「思想のあり方について」「「である」ことと「する」こと」、この二つの文章だけは、今後も長く読み続けられるのではないか。その価値のある文章だと思っている。
だからといって、その主張に全面的に賛同しているというわけではない。「思想のあり方について」の「タコツボ」「ササラ」の類型分類など、はたして西欧の社会・文化が「ササラ」といっていいかどうか、現時点からは批判の余地があると思う。たとえば、中性におけるイスラム文化の存在など。だが、こと日本の諸問題をかんがえるとき、「タコツボ」の概念は、依然として有効であるし、現に、つかわれている。
「「である」ことと「する」こと」である。私の感想としてであるが、久しぶりに、「「する」こと」の場面を目にしたような気がしたことがある……ちょっと前のことになるが、安保法案をめぐっての一連の反対運動などである。
私個人の意見としては、いわゆる安保法案反対に全面的に賛同しているというわけではない。ある意味、これからの日本にとって、必要性のある法案であると思っている。ただ、その成立のプロセス、議論のすすめかたについては、反対の立場にせよ、賛成するにせよ、いろいろ問題はあると思うが。
ともあれ、そのことはさておくとしても、「「する」こと」……日本が民主国家であって、自分の意見を主張することの自由があること、そうすべきと思うときには、はっきりとそう言うこと……これらを目の当たりにした印象をいだいたのは、確かなことである。憲法には、主権在民とある。その権利のうえに安住しているのではなく、主権者として行動をおこすべきとには、しかるべく合法的に行動をおこす。
ただ、法的な議論として、主権が国民にあることをめぐって問題のあることは、浅羽通明などの指摘するところでもあるが。
「「である」ことと「する」こと」を、今の視点で読み返してみると、いまだに通用する重要な考え方であると思う一方で、やはりこの文章の書かれた時代を感じさせるところもある。が、すでにのべた、安保法案反対の運動との関連でいえば、次のところは、今でもしっかりと確認しておく必要のあるところだろう。
「果たして現在いろいろなかたちで潜在もしくは顕在している議会政治に対する批判を、たとえそれがどんなに型破り、あるいは非常識と思われる議論であっても広く国民の前に表明させ、それとのオープンな対決と競争を通じて、議会政治の合理的な根拠を国民が納得していくという道を進むほかに、どうして議会政治が日本で〈発展〉し、根づく方向を期待できるでしょうか。本当に「おそれ」なければならないのは、議会否認の風潮ではなくて、議会政治がちょうどかつての日本の「國體」(表記原文ママ)のように、否定論によってきたえられないで、頭から神聖触るるべからずとして、その信奉が強要されることなのです。」(p.188) (〈 〉原文傍点)
ちなみに、「「である」ことと「する」こと」のもとになった講演がおこなわれたのは、昭和33年(1958)である。60年安保のすこし前になる。
ここで半世紀前の文章を読んで、今さかんにいわれるようになった「主権在民」「平和憲法」が「國體」となっていないか、ちょっと考えてみてもいいように思う。
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