『いだてん』あれこれ「復活」2019-04-02

2019-04-02 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』2019年3月31日、第13回「復活」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/013/

前回は、
やまもも書斎記 2019年3月26日
『いだてん』あれこれ「太陽がいっぱい」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/03/26/9051551

四三は、マラソンを走ることができなかった。その経緯について触れた回であった。

この回、これまでの放送を見て感じることは……オリンピックは、参加することに意義がある、平和の祭典として開催することに意義がある、というメッセージである。

無論、勝つにこしたことはないであろう。だが、その勝負の相手は、他の国、選手ではない。記録との戦いである。

四三も、他の国の選手も……その中には、ラザロもふくまれる……それぞれの国を代表して参加している。そのプレッシャーも、もちろんある。だが、国のためだけに競技に参加しているのではない。他国の選手とともに、公正に戦い記録にいどむ、そのオリンピック精神、スポーツの精神のために参加している。

たしかにこのドラマでは、これまで、国というものを登場させてきている。日の丸も、また、各国の国旗も出てきている。だが、これが、ナショナリズムを感じさせる作り方にはなっていない。ナショナリズムよりも、さらに強いものとして、各個人のオリンピックへの思いが描かれていたように感じる。(ただ、私は、ナショナリズムを悪いものだとは思っていないのだが。)

オリンピックの精神を語れば語るほど、来年の2020年の東京オリンピックへの批判として見えてくる、という感じがしてならない。それほどまでに近年のオリンピックは、当初のオリンピック精神から離れてしまっているということなのであろう。

次週は、一回休みになるようだ。この回で、ストックホルム編は終わりということになる。日本で最初のオリンピック参加というできごとを描きながら、このドラマでは、近代日本におけるスポーツの黎明と、そこにおける様々な個々人の思いを語っていたのだと思う。

次の回から、時代は大正になって、いよいよ近代日本のスポーツを描くことになるようだ。

ところで、この回においても思ったことなのだが、どうにも、志ん生の落語家の部分が面白くない。作中で演じる落語も今一つという感じだった。近代日本というものを、距離をおいて見る視点として、志ん生という存在があると思うのだが、まだそれは、近代というもの、スポーツをというものを相対化して見るところにいたっていない。

たかがオリンピック、たかがメダル、と言い切るだけの毒をもった存在としての、ビートたけしの起用であったと思っているのだが、まだその本領を発揮するにいたっていない。

次回以降を楽しみに見ることにしよう。

追記 2019-04-16
この続きは、
やまもも書斎記 2019年4月16日
『いだてん』あれこれ「新世界」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/16/9060306

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