ダークサイドミステリー「その英雄、凶暴につき 天使か悪魔か ビリー・ザ・キッド伝説」 ― 2025-03-18
2025年3月18日 當山日出夫
ダークサイドミステリー その英雄、凶暴につき 天使か悪魔か ビリー・ザ・キッド伝説
再放送である。最初の放送は、2023年5月18日。
ビリー・ザ・キッドの名前は知っている。たぶん、小学生ぐらいのときに、子ども向けの漫画雑誌に載っていただろうかと思うのだが、はっきりと憶えているわけではない。
史実としては、かなりの人間を殺した悪人ということである。その生いたちは、アイルランド系の移民であり、初歩的な学校教育は受けたらしい。残っている手紙の文字からは、かなりのリテラシがあったことが分かる。その後、西部に行って、土地の有力者たちとの間で、さまざまな事件があり、最終的には射殺される。21歳で死んだ。
この事実が、同時代にも、電信で東部の地域にも伝わり、新聞のニュースになっていた、というのも興味深い。画面に映っていた当時の新聞には、「TELEGRAM」と書いてあった。電信による配信記事ということなのだろう。
いったんは忘れられたが、その後、1930年に復活する。伝記の本が書かれ、ベストセラーになったからである。この時代は、アメリカの好景気から、大不況へという、時代であり、社会の労働者、貧困層に、鬱積のたまっていた時代であった。こういう時代背景として、権力にさからった英雄としてのビリー・ザ、キッドが好まれたということになる。
この時代は、日本では昭和の初めごろであり、出版史としては、円本の時代ということにもなる。また、多くの講談本などが読まれた時代でもある。庶民の間に、書物を読むということが普及していった時代に、いったい何が好まれる読み物であり、どういう題材や出来事、人物が、愛好されたのか、これはこれで、非常に興味のあるところである。
日本だと、戦前の時代劇映画のころということにもなる。また、新撰組が人びとに思い出された時代であったのかもしれない。永倉新八が出てきたのは、この時代よりも、いくぶん前のことになるが。
では、1920~1930年のころ、アメリカでは、いったいどんな読み物が、人びとに読まれていたのだろうか。そこで、人びとは、どんな英雄を求めることになったのだろうか。こういう視点で見ると、近代の大衆社会のなかでの、読書や映画、そして、英雄ということを、総合的に考えることになる。アメリカでの、西部劇というジャンルの歴史については、研究のある分野だと思うのだが、もう今からそれを勉強してみようとは思わない(まあ、年をとってしまったのであるけれど。)
さらに、ベトナム戦争のころ、再び、ビリー・ザ・キッドがよみがえる。カウンター・カルチャーの英雄としてである。この時代の雰囲気は、私の年代だと、憶えていることになる。アメリカン・ニュー・シネマの時代でもある。番組のなかでは言及はなかったが、『イージー・ライダー』の時代といってもいい。
ビリー・ザ・キッドが、実際はどんな人間だったかということも、興味深い。西部において、メキシコ系の人たちと交流があったということは、重要なことかもしれない。
そして、その後、アメリカの社会のなかで、ビリー・ザ・キッドが、映画などのなかでどう描かれて受容されてきたのか、そこにアメリカの歴史を見ることができる。そして、事実を改変してでも、見たいものとしてビリー・ザ・キッドは描かれてきた、というのは、アメリカというのは、そういう社会である。このようなことは、日本においても、新撰組や坂本竜馬の描かれ方に、見てとることができるかもしれない。(さすがに、暗殺されずに生きのびた坂本竜馬はいないかと思うけれど。)
悪人、犯罪者が、庶民のヒーローになっていく歴史というのは、かなり広く認めることができることかと思う。
2025年3月16日記
ダークサイドミステリー その英雄、凶暴につき 天使か悪魔か ビリー・ザ・キッド伝説
再放送である。最初の放送は、2023年5月18日。
ビリー・ザ・キッドの名前は知っている。たぶん、小学生ぐらいのときに、子ども向けの漫画雑誌に載っていただろうかと思うのだが、はっきりと憶えているわけではない。
史実としては、かなりの人間を殺した悪人ということである。その生いたちは、アイルランド系の移民であり、初歩的な学校教育は受けたらしい。残っている手紙の文字からは、かなりのリテラシがあったことが分かる。その後、西部に行って、土地の有力者たちとの間で、さまざまな事件があり、最終的には射殺される。21歳で死んだ。
この事実が、同時代にも、電信で東部の地域にも伝わり、新聞のニュースになっていた、というのも興味深い。画面に映っていた当時の新聞には、「TELEGRAM」と書いてあった。電信による配信記事ということなのだろう。
いったんは忘れられたが、その後、1930年に復活する。伝記の本が書かれ、ベストセラーになったからである。この時代は、アメリカの好景気から、大不況へという、時代であり、社会の労働者、貧困層に、鬱積のたまっていた時代であった。こういう時代背景として、権力にさからった英雄としてのビリー・ザ、キッドが好まれたということになる。
この時代は、日本では昭和の初めごろであり、出版史としては、円本の時代ということにもなる。また、多くの講談本などが読まれた時代でもある。庶民の間に、書物を読むということが普及していった時代に、いったい何が好まれる読み物であり、どういう題材や出来事、人物が、愛好されたのか、これはこれで、非常に興味のあるところである。
日本だと、戦前の時代劇映画のころということにもなる。また、新撰組が人びとに思い出された時代であったのかもしれない。永倉新八が出てきたのは、この時代よりも、いくぶん前のことになるが。
では、1920~1930年のころ、アメリカでは、いったいどんな読み物が、人びとに読まれていたのだろうか。そこで、人びとは、どんな英雄を求めることになったのだろうか。こういう視点で見ると、近代の大衆社会のなかでの、読書や映画、そして、英雄ということを、総合的に考えることになる。アメリカでの、西部劇というジャンルの歴史については、研究のある分野だと思うのだが、もう今からそれを勉強してみようとは思わない(まあ、年をとってしまったのであるけれど。)
さらに、ベトナム戦争のころ、再び、ビリー・ザ・キッドがよみがえる。カウンター・カルチャーの英雄としてである。この時代の雰囲気は、私の年代だと、憶えていることになる。アメリカン・ニュー・シネマの時代でもある。番組のなかでは言及はなかったが、『イージー・ライダー』の時代といってもいい。
ビリー・ザ・キッドが、実際はどんな人間だったかということも、興味深い。西部において、メキシコ系の人たちと交流があったということは、重要なことかもしれない。
そして、その後、アメリカの社会のなかで、ビリー・ザ・キッドが、映画などのなかでどう描かれて受容されてきたのか、そこにアメリカの歴史を見ることができる。そして、事実を改変してでも、見たいものとしてビリー・ザ・キッドは描かれてきた、というのは、アメリカというのは、そういう社会である。このようなことは、日本においても、新撰組や坂本竜馬の描かれ方に、見てとることができるかもしれない。(さすがに、暗殺されずに生きのびた坂本竜馬はいないかと思うけれど。)
悪人、犯罪者が、庶民のヒーローになっていく歴史というのは、かなり広く認めることができることかと思う。
2025年3月16日記
よみがえる新日本紀行「歌が生まれてそして〜長崎県奈留島〜」 ― 2025-03-18
2025年3月18日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「歌が生まれてそして〜長崎県奈留島〜」
再放送である。最初は、2022年12月16日。オリジナルは、昭和51年。
昭和51年というと、私は、大学生になっていた。三田のキャンパスに通っていたころになるだろうか。
そのころ、ユーミンは流行っていた。特に学生の間では、ある種、特別な存在でもあった。だが、私は、そう聞くこともなくすごしていた。目黒の四畳半の下宿で、ラジオだけがあった。ラジオで、ユーミンの曲が流れていたことは記憶しているのだが、はっきりとは憶えていない。荒井由実、あるいは、松任谷由実の曲として聞くようになるのは、もうちょっと時間がたってからのことになる。
国語学の勉強をしていて、友達になった同年配の研究者は、ユーミンを研究していた。(国語学、日本語の研究の領域として、特に、計量的な分析の分野では、日本の歌謡曲やポピュラーソングの歌詞を研究対象とする、古くからの伝統というべきものがある。)
「瞳を閉じて」は、今、持っている(Walkmanに入っている)松任谷由実のアルバムのなかにもある。時々、聞く曲である。
奈留島が、隠れキリシタン(今では、潜伏キリシタンというが)の島であることは、番組を見て知った。信者の男性が、仏壇(これは偽装のためのものだろう)の下の奥から出してきたのは、オラショであった。隠れキリシタンの祈りのことばである。
学生のとき、東京の国立劇場の民俗芸能公演で、隠れキリシタンのオラショの公演を聞いたことがある。これは、現在の、バチカンで歌われている伝わっている聖歌に符合するとのことだったと記憶する。これは、口伝えだけで、17世紀の初めのころから、20世紀の終わりのころまで、時間をとばして、伝承がつながっていることをあらわす。これだけの期間、口承でつたわるものがあるということは、たとえば、奈良時代から、平安時代をとばして、鎌倉時代まで伝わるものがある、ということになる。日本の文化の伝承ということを考えるときに、このことは考慮にいれておかなければならないことだと、学生のときに思ったことを、今でも憶えている。
昭和51年のときでも、奈留島は過疎の島であった。島の高校を卒業した生徒は、多くは、島を出て行く、ユーミンに校歌をたのんだ生徒も、東京に出ることになった。番組の取材当時、東京駅の地下のレストランでウエイトレスをしながら、大学を目指すと言っていた。この時代の、女性の大学進学率は、そう高くはない。(その後も、東京で暮らしたことのようだが、大学進学はあきらめたということなのだろうかと思うことになる。)
現在の島は、さらに人口が減っている。ただ、島の高校では、離島留学の生徒を受け入れている。離島ならではのこころみである。これは、現在でも長崎県の事業として継続しているようである。
選ばなければ大学に入学できるようになっている時代である。どの高校で学ぶか、このような選択肢も、若い人にとっては意味のあることにちがいない。
2025年3月15日記
よみがえる新日本紀行 「歌が生まれてそして〜長崎県奈留島〜」
再放送である。最初は、2022年12月16日。オリジナルは、昭和51年。
昭和51年というと、私は、大学生になっていた。三田のキャンパスに通っていたころになるだろうか。
そのころ、ユーミンは流行っていた。特に学生の間では、ある種、特別な存在でもあった。だが、私は、そう聞くこともなくすごしていた。目黒の四畳半の下宿で、ラジオだけがあった。ラジオで、ユーミンの曲が流れていたことは記憶しているのだが、はっきりとは憶えていない。荒井由実、あるいは、松任谷由実の曲として聞くようになるのは、もうちょっと時間がたってからのことになる。
国語学の勉強をしていて、友達になった同年配の研究者は、ユーミンを研究していた。(国語学、日本語の研究の領域として、特に、計量的な分析の分野では、日本の歌謡曲やポピュラーソングの歌詞を研究対象とする、古くからの伝統というべきものがある。)
「瞳を閉じて」は、今、持っている(Walkmanに入っている)松任谷由実のアルバムのなかにもある。時々、聞く曲である。
奈留島が、隠れキリシタン(今では、潜伏キリシタンというが)の島であることは、番組を見て知った。信者の男性が、仏壇(これは偽装のためのものだろう)の下の奥から出してきたのは、オラショであった。隠れキリシタンの祈りのことばである。
学生のとき、東京の国立劇場の民俗芸能公演で、隠れキリシタンのオラショの公演を聞いたことがある。これは、現在の、バチカンで歌われている伝わっている聖歌に符合するとのことだったと記憶する。これは、口伝えだけで、17世紀の初めのころから、20世紀の終わりのころまで、時間をとばして、伝承がつながっていることをあらわす。これだけの期間、口承でつたわるものがあるということは、たとえば、奈良時代から、平安時代をとばして、鎌倉時代まで伝わるものがある、ということになる。日本の文化の伝承ということを考えるときに、このことは考慮にいれておかなければならないことだと、学生のときに思ったことを、今でも憶えている。
昭和51年のときでも、奈留島は過疎の島であった。島の高校を卒業した生徒は、多くは、島を出て行く、ユーミンに校歌をたのんだ生徒も、東京に出ることになった。番組の取材当時、東京駅の地下のレストランでウエイトレスをしながら、大学を目指すと言っていた。この時代の、女性の大学進学率は、そう高くはない。(その後も、東京で暮らしたことのようだが、大学進学はあきらめたということなのだろうかと思うことになる。)
現在の島は、さらに人口が減っている。ただ、島の高校では、離島留学の生徒を受け入れている。離島ならではのこころみである。これは、現在でも長崎県の事業として継続しているようである。
選ばなければ大学に入学できるようになっている時代である。どの高校で学ぶか、このような選択肢も、若い人にとっては意味のあることにちがいない。
2025年3月15日記
フランケンシュタインの誘惑「ナチス 人間焼却炉」 ― 2025-03-18
2025年3月18日 當山日出夫
フランケンシュタインの誘惑 「ナチス 人間焼却炉」
再放送である。最初は、2021年。
まず興味深かったのは、ドイツが階級社会であった、ということからスタートしていたことである。おそらく、今でも、ヨーロッパの社会は基本的にそうだと認識しているが、労働者階級、資産家階級、など、かなり厳然とした違いがある、と思っている。それも、近年ではゆるんできているのかもしれないが。
労働者階級に生まれた、クルト・プリューファーにとって、会社に就職して地位を得て、給料が上がること、これが人生の目的だった。それが、たまたま、時代の流れのなかで、ナチスに協力するということになっただけのことであった、このように見ることもできる。プリューファーは、ナチスに協力したが、しかし、反ユダヤ思想の持ち主ではなかったらしい。
番組の最後で言っていたことであるが、普通の市民が普通の仕事をする、これが、ときとして災厄をまねくこともある。おそらく、歴史的に考えて、ナチスについての評価としては、これが最も妥当で重要なことであると、私は思う。ヒトラーを礼讃したのも、ユダヤ人迫害にたずさわったのも、また、戦場において連合軍と戦ったのも、普通の市民であった。(ヨーロッパ戦線では、多くの悲劇があったわけだが、そこで戦った兵士たちは、敵味方双方ともに、もし歴史がそうなっていなければ、普通の市民として生活をおくるような人たちだったろうと思う。)
強制収容所でのユダヤ人の虐殺に、効率化、合理性が、求められたのは、まあ、たしかにそういう面があったことは認めなければならないだろう。その意図や、意味を考えることなく、目の前の仕事をこなしていくことも、また、人間が生きていくということなのであるから。
プリューファーのやった仕事は、人間の遺体の処理(火葬、あるいは、焼却)ということについては、たしかに、非常に合理的に考えたということは、理解できる。
ところで、日本の場合、人が死んで火葬にするのが一般的ではあるが、その施設が具体的にどうなっているのか、技術的なことは、まったく一般には知られていないといっていいだろう。ニュースになるのは、火葬場が足りないとか、建設しようとしたが住民の反対があったとか、政治家がからんでいるとか、というような話しばかりである。火葬にする技術ということについて、もうすこし広く知られていてもいいように思う。日本のように、適度に遺骨を残すというのは、かなり高度な技術であるはずである。
ドイツで火葬について、炎が直接遺体にふれないように、という規定があることは、歴史的な文化の違いを感じる。魔女の火刑を連想するからということである。だが、日本では、炎によって浄化するという発想もあるのだろうが、炎があたることを否定する考えは無いだろうと思う。これから、日本で死亡して火葬になる外国人も増えてくるはずだし、その遺体をどうするかは、本格的に議論が必要である。一部で、土葬の是非が言われてはいるのだが。
2025年3月11日記
フランケンシュタインの誘惑 「ナチス 人間焼却炉」
再放送である。最初は、2021年。
まず興味深かったのは、ドイツが階級社会であった、ということからスタートしていたことである。おそらく、今でも、ヨーロッパの社会は基本的にそうだと認識しているが、労働者階級、資産家階級、など、かなり厳然とした違いがある、と思っている。それも、近年ではゆるんできているのかもしれないが。
労働者階級に生まれた、クルト・プリューファーにとって、会社に就職して地位を得て、給料が上がること、これが人生の目的だった。それが、たまたま、時代の流れのなかで、ナチスに協力するということになっただけのことであった、このように見ることもできる。プリューファーは、ナチスに協力したが、しかし、反ユダヤ思想の持ち主ではなかったらしい。
番組の最後で言っていたことであるが、普通の市民が普通の仕事をする、これが、ときとして災厄をまねくこともある。おそらく、歴史的に考えて、ナチスについての評価としては、これが最も妥当で重要なことであると、私は思う。ヒトラーを礼讃したのも、ユダヤ人迫害にたずさわったのも、また、戦場において連合軍と戦ったのも、普通の市民であった。(ヨーロッパ戦線では、多くの悲劇があったわけだが、そこで戦った兵士たちは、敵味方双方ともに、もし歴史がそうなっていなければ、普通の市民として生活をおくるような人たちだったろうと思う。)
強制収容所でのユダヤ人の虐殺に、効率化、合理性が、求められたのは、まあ、たしかにそういう面があったことは認めなければならないだろう。その意図や、意味を考えることなく、目の前の仕事をこなしていくことも、また、人間が生きていくということなのであるから。
プリューファーのやった仕事は、人間の遺体の処理(火葬、あるいは、焼却)ということについては、たしかに、非常に合理的に考えたということは、理解できる。
ところで、日本の場合、人が死んで火葬にするのが一般的ではあるが、その施設が具体的にどうなっているのか、技術的なことは、まったく一般には知られていないといっていいだろう。ニュースになるのは、火葬場が足りないとか、建設しようとしたが住民の反対があったとか、政治家がからんでいるとか、というような話しばかりである。火葬にする技術ということについて、もうすこし広く知られていてもいいように思う。日本のように、適度に遺骨を残すというのは、かなり高度な技術であるはずである。
ドイツで火葬について、炎が直接遺体にふれないように、という規定があることは、歴史的な文化の違いを感じる。魔女の火刑を連想するからということである。だが、日本では、炎によって浄化するという発想もあるのだろうが、炎があたることを否定する考えは無いだろうと思う。これから、日本で死亡して火葬になる外国人も増えてくるはずだし、その遺体をどうするかは、本格的に議論が必要である。一部で、土葬の是非が言われてはいるのだが。
2025年3月11日記
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