「戦火の放送局II〜ウクライナ うつりゆく“正義”」 ― 2024-03-09
2024年3月9日 當山日出夫
NHKスペシャル 戦火の放送局II〜ウクライナ うつりゆく“正義”
戦時下における報道とはどのようなものなのか、考えることになる。ここでは、あえて「どうあるべきか」という言い方はしないし、できない。
確かにNHKはウクライナ寄りの立場で報道し番組を作っているこ。このことについて批判することも可能だろう。だが、この番組を見て思うことは、ここからはある種の普遍性を感じとることができることである。ウクライナのジャーナリストが感じている葛藤は、多かれ少なかれロシアのジャーナリストも感じていることだろう。
戦争が始まって二年が経過して、ジャーナリストの考え方、感じ方も変わってきている。いわゆる戦場の真実を伝えることに意義があるという発想だけでは、仕事が続けられなくなってきている。
ジャーナリストであり、母であり、ウクライナの国民であり、そして人間である……さまざまな立場が混在する。そのなかで、ジャーナリストにこうあるべきだと強いることは、残酷なことになると感じる。
戦時下における報道はどのような状況におかれることになるのか、取材し記録しておくことには意義がある。あるいはひょっとすると、近い将来、日本がその当事者にならないとは限らないのであるから。
2024年3月4日記
NHKスペシャル 戦火の放送局II〜ウクライナ うつりゆく“正義”
戦時下における報道とはどのようなものなのか、考えることになる。ここでは、あえて「どうあるべきか」という言い方はしないし、できない。
確かにNHKはウクライナ寄りの立場で報道し番組を作っているこ。このことについて批判することも可能だろう。だが、この番組を見て思うことは、ここからはある種の普遍性を感じとることができることである。ウクライナのジャーナリストが感じている葛藤は、多かれ少なかれロシアのジャーナリストも感じていることだろう。
戦争が始まって二年が経過して、ジャーナリストの考え方、感じ方も変わってきている。いわゆる戦場の真実を伝えることに意義があるという発想だけでは、仕事が続けられなくなってきている。
ジャーナリストであり、母であり、ウクライナの国民であり、そして人間である……さまざまな立場が混在する。そのなかで、ジャーナリストにこうあるべきだと強いることは、残酷なことになると感じる。
戦時下における報道はどのような状況におかれることになるのか、取材し記録しておくことには意義がある。あるいはひょっとすると、近い将来、日本がその当事者にならないとは限らないのであるから。
2024年3月4日記
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