知恵泉「出版1300年 文化はかくして生まれた」 ― 2025-01-07
2025年1月7日 當山日出夫
知恵泉 出版1300年 文化はかくして生まれた
NHKの番組のなかで「知恵泉」は、時々は見るのだが、そのたびにがっかりする。いったい誰が監修したというか、誰に相談して作ったのだろうか。
これも、出版ということで、『べらぼう』のあやかり番組ということになる。
興味深かったのは、(まあ、強いていうことのほどではないかもしれないが)今の人は、活版印刷というものを知らない、ということである。そうだろうとは思う。私が、慶應義塾大学の学生だったとき、三田のキャンパスの塾監局の地下には、印刷所があった。塾内の出版物などを請け負って仕事をしていた。(ただ、このようなことをあまり学生には知られていないことだったとは思う。そもそも、普通の学生は、たぶんほとんど塾監局などには行かないだろう。)
私が大学院の学生のときに取り組んだのが、「神田本白氏文集」の索引(漢字・訓点語)だが、『神田本白氏文集の研究』(大田次男・小林芳規、勉誠社)は、基本的に活版印刷で作った本である。この本を作るとき、印刷所の活版を組んでいる現場まで出かけていって、直接、職人さんに話をしたものである。このようなことは、普通の本の作り方としては、異例であるが。
今、活版印刷の実際を見ようと思うと、凸版印刷の印刷博物館に行くことになるだろう。その他、活字の実物が残っているところは、いくつかある。しかし、現在では、もはや活字の母型を作ることが出来なくなってしまっている。最後のベントン彫刻機が稼働しているを見た、ほとんど最後の人間の一人であると思う。これを見るために、わざわざ山梨県まで出かけて行ったことがある。
この番組、録画しておいて、日本文学とか日本史を勉強している大学院の学生に見せて、どこに不備があるか考えてみなさい、というようなことをやってみたら、面白いかもしれない。番組の中で言っていたことは、個々のことがらについては、間違ったことはないのだが(疑問に思うところがないわけではないが)、ふっとばしてしまったこと、言及しなかったことで、非常に重要なことがいっぱいある。
たとえば、キリシタン版、日本の古活字版、朝鮮の活字本、日本の板本、これらのことを、学生に非常にざっくりとした話し(そういう出版があったという歴史的事実のざっと話すだけ)をするだけで、一時間以上は必要だろうし、場合によっては(専門的には)、通年の授業でも足りない。
戯作者と収入(原稿料)ということであれば、山東京伝を出すのに続いて、曲亭馬琴のことも言っておくべきだろう。
『学問のすゝめ』については、牛乳のことを話すよりも、著作権のことを言うべきところだろう。
その他、いろいろとある。
とはいっても、日本の書物史、出版文化史、というようなことについて、概論としてコンパクトで適当な本があるかといえば、簡単には見つからないのが現状ではある。
2025年1月2日記
知恵泉 出版1300年 文化はかくして生まれた
NHKの番組のなかで「知恵泉」は、時々は見るのだが、そのたびにがっかりする。いったい誰が監修したというか、誰に相談して作ったのだろうか。
これも、出版ということで、『べらぼう』のあやかり番組ということになる。
興味深かったのは、(まあ、強いていうことのほどではないかもしれないが)今の人は、活版印刷というものを知らない、ということである。そうだろうとは思う。私が、慶應義塾大学の学生だったとき、三田のキャンパスの塾監局の地下には、印刷所があった。塾内の出版物などを請け負って仕事をしていた。(ただ、このようなことをあまり学生には知られていないことだったとは思う。そもそも、普通の学生は、たぶんほとんど塾監局などには行かないだろう。)
私が大学院の学生のときに取り組んだのが、「神田本白氏文集」の索引(漢字・訓点語)だが、『神田本白氏文集の研究』(大田次男・小林芳規、勉誠社)は、基本的に活版印刷で作った本である。この本を作るとき、印刷所の活版を組んでいる現場まで出かけていって、直接、職人さんに話をしたものである。このようなことは、普通の本の作り方としては、異例であるが。
今、活版印刷の実際を見ようと思うと、凸版印刷の印刷博物館に行くことになるだろう。その他、活字の実物が残っているところは、いくつかある。しかし、現在では、もはや活字の母型を作ることが出来なくなってしまっている。最後のベントン彫刻機が稼働しているを見た、ほとんど最後の人間の一人であると思う。これを見るために、わざわざ山梨県まで出かけて行ったことがある。
この番組、録画しておいて、日本文学とか日本史を勉強している大学院の学生に見せて、どこに不備があるか考えてみなさい、というようなことをやってみたら、面白いかもしれない。番組の中で言っていたことは、個々のことがらについては、間違ったことはないのだが(疑問に思うところがないわけではないが)、ふっとばしてしまったこと、言及しなかったことで、非常に重要なことがいっぱいある。
たとえば、キリシタン版、日本の古活字版、朝鮮の活字本、日本の板本、これらのことを、学生に非常にざっくりとした話し(そういう出版があったという歴史的事実のざっと話すだけ)をするだけで、一時間以上は必要だろうし、場合によっては(専門的には)、通年の授業でも足りない。
戯作者と収入(原稿料)ということであれば、山東京伝を出すのに続いて、曲亭馬琴のことも言っておくべきだろう。
『学問のすゝめ』については、牛乳のことを話すよりも、著作権のことを言うべきところだろう。
その他、いろいろとある。
とはいっても、日本の書物史、出版文化史、というようなことについて、概論としてコンパクトで適当な本があるかといえば、簡単には見つからないのが現状ではある。
2025年1月2日記
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