『カーネーション』「揺れる心」2025-01-12

2025年1月12日 當山日出夫

『カーネーション』 「揺れる心」

この週も印象にのこるシーンがいくつかあった。

まずは、奈津のこと。パンパンをしていた奈津を糸子は安岡のおばちゃんの力をかりて、更生(?)させることになる。その奈津に対して、安岡のおばちゃんは、もう過去のことは言うなと止める。また、糸子も、奈津との恩義はチャラにすると言う。数少ない科白のなかで、岸和田の商店街の人びとが、奈津をもとのように受け入れる気持ち、その優しさが、たくみに描かれていたと感じる。

久しぶりに組合の会合に出て、糸子は、組合長から北村を紹介され、レディーメイドの婦人服の店を立ち上げる手伝いを頼まれる。ここで、糸子は、周防と再会することになる。

糸子は、婦人服のビジネス、女性のおしゃれ、ということについて、北村に説明することになる。ここはことばで言うのではなく、北村を自分の店につれてき、その商売の様子を見せる。

今の時代だと、特に女性だからどうこうという言い方は、あまり表だっては言われないようになってきているが、戦後まもなくのころの日本の社会としては、女性が女性らしくおしゃれできることが、時代が変わったことの象徴でもあったことになる。そして、重要だと思ったことは、糸子は、女性のおしゃれについて、パンパンの女性たちを、決して否定していないことである。むしろ、そのおしゃれのセンスを肯定的に語っていた。

奈津に対することと矛盾するかもしれないが、人間としての生き方と、おしゃれの感覚とは別物と考えていることになる。この二面性を、素直に描いているところが、このドラマの人間観の奥行きといっていいだろう。

週の最後の組合の宴会のシーンで、組合長が、新しい時代になったと感慨ぶかげに言っていた。具体的に、戦争中に何があったのか、何をうしなったのかは、語っていない。北村についても同じであり、周防についても、長崎でどんな体験をしたのかは、具体的に語られることはない。しかし、戦争が終わって新しい時代になったことを、宴会のシーンで糸子は感じとることになる。こういうことは、特に説明することではないと思う。周防が、長崎の原爆でどんな体験をしてきたのか、説明されない、ただ三味線を弾いている、仕事をしている、その姿から、人生を推しはかることになる。見るものの想像力にまかされることになる。こういう描き方の方が、より説得力のあるドラマになる。

具体的に時代が変わったことを示すのは、だんじりを直子がひくことができるようになったことであった。ただ、これだけのことで、確実に社会の価値観が変化してきたことを印象づけている。

このドラマで、糸子が洋服を着たのは、週の最後の回で周防に会いに行ったときが、初めてになるはずである。それまで、洋装店の店主でありながら、ずっと着物姿だった。それが、始めて洋服を着るときが、周防に気持ちを打ち明ける場面に設定されている。

周防に抱擁されたときの、糸子の目の表情がとてもよかった。

2025年1月11日記

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