『日日是好日』森下典子 ― 2018-11-09
2018-11-09 當山日出夫(とうやまひでお)
森下典子.『日日是好日』(新潮文庫).新潮社.2008(飛鳥新社.2002)
https://www.shinchosha.co.jp/book/136351/
映画化されて話題になっている本である。読んでみることにした。
この本に接するのは、二度目である。かなり以前、NHKのラジオの朗読の時間に、この作品をとりあげていた。そのころ、たまたま、学校に通う時間帯で自動車を運転しているときに、この番組があった。自動車の中のラジオで、この本のことを知った。その時、これはいい本だなと思った記憶はあるのだが、読まずにすごして、今にいたっている。
この本を読んで(あるいは、二度目に接して)感じるところは、次の二点であろうか。
第一には、この本の文章は、耳で聴いてわかる文章であること。これは、私が、始めにこの本に接したのがラジオの朗読によってであるせいかかもしれないが、こんど、本を目で読んでみて、その平明で闊達な文章のたくみさを感じた。
第二には、これもラジオを聞いたとき、「ああ、このことは重要だな」と思って憶えていること。それは、お茶の稽古をするとき、メモをとることを禁じる場面である。新しい文庫本だと、56ページに出てくる。
古典的な芸道というのは、その教授法とともにある……これをさらに拡大して、近代になってからの学問的な知「学知」もまた、その教授法とともにある……これは、私の持論である。いつからこのことに自覚的になったかは憶えていない。しかし、このように考えるきっかけになった、あるいは、はっきりとこのようなことを意識しだしたきっかけになったものとして、この本のことがある。
以上の二点が、久しぶりに、この本を読んでみて(最初は、耳で聴いていただけだったが)、確認しておきたいことである。特に、ここで述べたことの後者の点、学知、あるいは、古典的な芸道というものは、その教授法とともにある……このことが、この本から学ぶべき重要な点であると考える。
この本は、お茶について、蘊蓄を傾けるというよりも、自分が若いときから習ってきて、その時々のエピソードをおりまぜながら、お茶の魅力について語っている。そして、これが、そのまま、お茶とは、その教授法……先生について習う……とワンセットになっていることが知られる。
もちろん、先生になどつかず、自分流に楽しむこともあっていいのだろう。そのような楽しみ方を否定するものではないが、しかし、しかるべき先生に教授してもらうことの意味、ということについて、教えてくれる。
お茶という芸事についてのみならず、学問、研究ということについても、そのあり方について、重要な示唆に富む本だと思う。
https://www.shinchosha.co.jp/book/136351/
映画化されて話題になっている本である。読んでみることにした。
この本に接するのは、二度目である。かなり以前、NHKのラジオの朗読の時間に、この作品をとりあげていた。そのころ、たまたま、学校に通う時間帯で自動車を運転しているときに、この番組があった。自動車の中のラジオで、この本のことを知った。その時、これはいい本だなと思った記憶はあるのだが、読まずにすごして、今にいたっている。
この本を読んで(あるいは、二度目に接して)感じるところは、次の二点であろうか。
第一には、この本の文章は、耳で聴いてわかる文章であること。これは、私が、始めにこの本に接したのがラジオの朗読によってであるせいかかもしれないが、こんど、本を目で読んでみて、その平明で闊達な文章のたくみさを感じた。
第二には、これもラジオを聞いたとき、「ああ、このことは重要だな」と思って憶えていること。それは、お茶の稽古をするとき、メモをとることを禁じる場面である。新しい文庫本だと、56ページに出てくる。
古典的な芸道というのは、その教授法とともにある……これをさらに拡大して、近代になってからの学問的な知「学知」もまた、その教授法とともにある……これは、私の持論である。いつからこのことに自覚的になったかは憶えていない。しかし、このように考えるきっかけになった、あるいは、はっきりとこのようなことを意識しだしたきっかけになったものとして、この本のことがある。
以上の二点が、久しぶりに、この本を読んでみて(最初は、耳で聴いていただけだったが)、確認しておきたいことである。特に、ここで述べたことの後者の点、学知、あるいは、古典的な芸道というものは、その教授法とともにある……このことが、この本から学ぶべき重要な点であると考える。
この本は、お茶について、蘊蓄を傾けるというよりも、自分が若いときから習ってきて、その時々のエピソードをおりまぜながら、お茶の魅力について語っている。そして、これが、そのまま、お茶とは、その教授法……先生について習う……とワンセットになっていることが知られる。
もちろん、先生になどつかず、自分流に楽しむこともあっていいのだろう。そのような楽しみ方を否定するものではないが、しかし、しかるべき先生に教授してもらうことの意味、ということについて、教えてくれる。
お茶という芸事についてのみならず、学問、研究ということについても、そのあり方について、重要な示唆に富む本だと思う。
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