『いだてん』あれこれ「炎のランナー」2019-12-10

2019-12-10 當山日出夫(とうやまひでお)

『いだてん~東京オリムピック噺~』第46回「炎のランナー」
https://www.nhk.or.jp/idaten/r/story/046/

前回は、
やまもも書斎記 2019年12月3日
『いだてん』あれこれ「火の鳥」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/03/9184379

この回のメインの話題は、聖火のこと。

一九六四年(昭和三九)の東京オリンピックの時、私は小学生だった。そのいくつかの競技をテレビで見たのを記憶している。特に、最後にあった、女子バレーボールのソ連との試合を見たと憶えている。

聖火リレーである。どういういきさつがあって決まったルートなのかしらないが、その当時、私の通っていた小学校の近くを通ることになった。それで、授業を中断して、学校そろってその走るのを見に行った。ただ、それは、人が走るのを見たというのにとどまる。特に、それがオリンピックの聖火であるという感慨などは、特に感じることなく終わってしまった。実にあっけなかったというのが、正直なところである。

その聖火リレーのスタートが、沖縄であったということは、このドラマを見て知った。その当時、沖縄は、アメリカの統治下にあった。そのため、日の丸の旗を掲揚することも、自由にはできなかったとのこと。その後の知識として、日の丸の旗が、沖縄の本土復帰のシンボルとなっていったことを知っている。(さらにいえば、今では、逆に、日の丸の旗は、日本のなかで虐げられた立場にある沖縄を象徴するものに、変化してきている。)

その当時は、まだ小学校であったこともあるのだが、特にナショナリズムということを感じてはいなかった。ただ、日本の選手が頑張ればうれしかった。

しかし、今になって思う……ナショナリズムとは、素朴な社会の人間の感情のなかに醸成されていくものである、ということを。(ただ、私は、ナショナリズムそのものを悪いものだとは思ってはいない。)

ドラマも終盤である。次回、いよいよ最終回。東京オリンピック開催ということになる。

そして、今から振り返ってみるならば、東京オリンピックは成功であった。しかし、その裏側には、実に生々しい人間のドラマがあったことになる。この『いだてん』というドラマは、オリンピックの理念を描くと同時に、その理念のもとに展開された様々な人間ドラマを描いてきた。ともあれ、次回、最終回を楽しみに見ることにしようと思う。

2019年12月9日記

追記 2019-12-17
この続きは、
やまもも書斎記 2019年12月17日
『いだてん』あれこれ「時間よ止まれ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/17/9190320