『街道をゆく 湖西のみち、甲州街道、長州路ほか』司馬遼太郎/朝日文庫2023-06-27

2023年6月27日 當山日出夫

湖西のみち

司馬遼太郎.『街道をゆく 湖西のみち、甲州街道、長州路ほか』(朝日文庫)、朝日新聞出版.2008
https://publications.asahi.com/kaidou/01/index.shtml

収録するのは、

湖西のみち
竹内街道
甲州街道
葛城道
長州路

主に、日本の古代から、幕末のあたりがあつかわれる。

もとは一九七一年に「週刊朝日」の連載である。これが、「街道をゆく」シリーズの最初である。一九七一年というと、私は高校生のころのことになる。まだ、小説家としての司馬遼太郎は読んでいなかったと思う。無論、「街道をゆく」のことは知らなかった。

「街道をゆく」を読んでいる。その始まりがどんなふうだったかと思って、この本を読んでみることにした。

その後長く続くことになるシリーズの最初は、近江の湖西からである。なるほど、日本の歴史をもし京都を中心としてみるとするならば、それに隣接する湖西のあたりを、旅の始まりにえらんだ、司馬遼太郎の慧眼といわざるをえない。

読んで思うことは、妙に理屈っぽい。司馬遼太郎が小説の余談として書いているようなことが、次々に出てくるのだが、一家言のべておくというような雰囲気を感じる。これが、後の「奈良散歩」あたりになると、雑談の連想が心地よく感じるのだが。

そうはいっても、これは司馬遼太郎の世界が確固としてあると思う。

この時代、一九七〇年代の初めごろ、日本語の起源とか、日本文化の起源とか、さかんに言われていたことを思い出す。今、日本語学の領域において、日本語の起源ということは、ほとんど論じられなくなっている。今から思えば、私の若いころ、学生のころの話しである。この意味では、読んでいて、ふと懐かしい思いになるところがある。

興味の赴くままに、「街道をゆく」を読んでいってみようと思う。

2023年6月26日記

ドキュメント72時間「沖縄 オールナイトで弁当を」2023-06-27

2023年6月27日 當山日出夫

ドキュメント72時間 沖縄 オールナイトで弁当を

お弁当屋さんのことが続いている。この回は沖縄の宜野湾市にあるお弁当屋さん。

見方はいろいろあるだろう。

沖縄といっても、特に特殊な人がいるわけではない。普通の人びとの普通の暮らしがある。その生活のなかに、お弁当屋さんもある。

また一方で、沖縄ならではの事情もある。基地の問題であったり、移民であったり。

多様な観点をおりまぜながら、今ある沖縄の日常の一コマを切り取っていたと思う。ここから様々に考えることはあるかもしれないが、私としては、日本の中の沖縄の一つの日常の風景として見ておきたいと思う。

それにしても安い。この前放送していた新大久保のお弁当屋さんも安かったが、それよりも格段に安い。これで営業がなりたっているのだろかと思う。しかも、二四時間営業でやっているという。たぶん、地域の人びとにとってはなくてはならない存在なのだろう。これからも続いていってほしいと思う。

2023年6月26日記

『どうする家康』あれこれ「築山へ集え!」2023-06-27

2023年6月27日 當山日出夫

『どうする家康』第24回「築山へ集え!」

一般的な見方からするならば、築山殿、瀬名は、武田と内通したということになるのだろう。あるいは、武田からすると、築山殿、岡崎を調略してともいえる。たぶん、歴史の普通の解釈ではそうだろう。

これを、このドラマでは、瀬名の発案にかかる、東国連合とでもいうべき構想として描かれていた。なるほど、このように解釈することもできるのかと思う。

だが、歴史の結果として、天下を統一し、その後の安寧の世をもたらすのは、家康の武力的な統一によってであることは、わかっている。瀬名の語ったことは理想論にすぎない。

とはいえ、歴史のあり得たかもしれない「もし」ということを考えるとき、戦国時代における、東国連合というようなものも、あながち荒唐無稽と退けることはないと思う。ここは、ドラマのなかのこととはいえ、もしそのような歴史があったならと空想してみることもいいだろう。

ところで、この回、大鼠と千代の対決があった。服部半蔵も出てきていた。ここでは、大鼠と千代は引き分けたという感じであったが、さて、これからもこの二人の対決シーンはあるだろうか。

次回、さらに瀬名をめぐって話しは展開するようだ。楽しみに見ることにしよう。

2023年6月26日記