「ジーン・シャープ“独裁体制から民主主義へ” (4)非暴力闘争の限界と可能性」2024-02-01

2024年2月1日 當山日出夫

100分de名著 ジーン・シャープ“独裁体制から民主主義へ” (4)非暴力闘争の限界と可能性

軍隊を持たない国家としてコスタリカのことを引き合いにだす人を、久しぶりに見た。常識的に考えれば、地政学的観点から、常備軍を維持するコストを考えてのことと考えるべきだろう。国家として、まったく暴力的な組織を持たないということではない。

そもそも、国家の選択肢として常備軍を持たないことと、独裁に対する反体制運動における非暴力は、同列にならべて論じることはできないはずである。

確かにヒトラーは、民主的な手続きを経て誕生したのであり、それはその当時のドイツ国民に支持された。そして、平和を望んでいたことも確かである。

アメリカのトランプ大統領は、いわゆるポピュリズムの結果ではあっても、独裁者ではない。(どうも、自分の気に入らない政治家は、なんでも独裁者と言っているように思える。)

では今の中国はどうだろうか。共産党独裁は民主的な方法によって出来たものではない。その統治は独裁政権である。そして、重要なことは、その国で暮らす人びとが、そこそこ満足している(らしい)ということである。生活が安定して、豊かになっていくのなら、独裁体制でもかまわないと思っている(らしい)。今の中国の人びとに、今の暮らしの安定を棄てて、自由と民主主義を求めるべきだと、語りかけることはどれほど現実的なのだろうか。

強いていうならば、孫文の理想にかえれ、ということになるのかもしれない。

台湾の人びとに対して、中国が侵攻してきても、軍備を放棄して、非暴力闘争でそれをふせぐことが可能である、と言えるのだろうか。また、それで中国の意図をくじくことが可能なのだろうか。

この番組を見て、なんとなく不満が残るのは、理想は理解できるのだが、では、過去に独裁体制を倒そうとして失敗した事例から何を学ぶべきなのか、という視点が感じとれないことである。ただ、反体制運動において、認識、分析が不十分であった、あるいは、政権の側がさらに上をいっていた、ということで終わってしまっている。

民主主義=善=味方、独裁=悪=敵、という二分論で割り切れないのが、現実の人間の世の中であり、国際社会の実相ではないかと思う。

そうはいっても、人間の一つの理想のあり方として、糸車を回すガンジーの姿を考えることには、深く同意するところがある。

2024年1月30日記

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