「金嬉老事件 “ライフル魔”と呼ばれた男」2024-10-12

2024年10月12日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 金嬉老事件 “ライフル魔”と呼ばれた男

金嬉老事件……ATOKは「きんきろう」では変換してくれなかった……のことは憶えている。この事件のことをリアルタイムの事件として記憶している世代となると、私ぐらいが限界かもしれない。昭和三〇(一九五五)の生まれである。テレビのニュースで見たことは、憶えている。

この番組で語った範囲内のことでも、いろいろと思うことはある。

印象に残るのは、金嬉老事件のおこった時代、多くの日本の人びとのなかに、朝鮮人差別の記憶があった、ということである。現在では、それは過去のことであり、また、現在でも一部であることとして認識されているが、一方で、昭和戦前から戦後にかけて、日本の社会のなかにあった朝鮮人差別の日常的な感覚は、失われてきているというべきかもしれない。

こういう言い方はあまり適切ではないかもしれないのだが、差別のあり方や、その感覚については、歴史的な変化がある。無論、差別一般として批判することも必要なことにはちがいないが、その時代による人びとの具体的な感覚がどのようなものであったかという観点も、また考えてみるべきことかとも思う。それが、現在でも続く差別感情、嫌韓感情と、どのように関連するのかということは、かなり微妙な問題があるかとも思う。かつての差別の感覚と連続するところもありながら、しかし、その時代ごとの様相の違いもあるだろう。

金嬉老は、「日本人」にも「朝鮮人」にもなれなかった、ということができようか。現在なら、アイデンティティーの喪失、というような概念でとらえることになるだろうが、この事件のおこった時代には、まだアイデンティティーという用語は、一般化してはいなかった。(このことばが、広く使われるようになるのは、一九七〇年代以降、私が大学生になってしばらくしてからだったと憶えている。)

ことばの面で興味深いのは、金嬉老は、日本語が母語であり、朝鮮語(私は、言語の名称としては朝鮮語ということにしている)は知らなかった。一方、その母親は、朝鮮出身で日本に渡ってきた労働者であったが、日本語は書けなかった。朝鮮語を母語としている場合、漢字が書ければ、平仮名をおぼえて、漢字仮名交じりの日本語文を書くことは、そう困難なことではないと思われるのだが、おそらくは、母親は漢字を書くことができなかったののだろう。

金嬉老が、釈放されて韓国に帰ったときのことは、ニュースになったこととして記憶している。だが、韓国社会は、彼をあたたかく迎えて、継続的にその生活を支援するということはなかったことになる。これは、金嬉老自身の問題もあるだろうし、また、そもそもの原因としての日本と朝鮮との歴史の問題もあるし、また韓国社会の問題でもある。

2024年10月8日記

「受け入れ急増 外国人労働者 〜韓国〜」2024-10-12

2024年10月12日 當山日出夫

AsiaInsight 受け入れ急増 外国人労働者 〜韓国〜

韓国も日本も似たり寄ったり、というのがまず思ったことである。だが、このような韓国の実情が、日本の普通のテレビのニュースなどで、報道されることはない。日本のジャーナリズムは、韓国の社会の暗部や底辺というあたりのことについては、まったく報道しようとしない、といっていいだろうか。

韓国も日本同様に少子化である。労働力が不足するから、外国から労働者を受け入れる。基本的には単純労働……制度としては農業や工場といった限定的なものようだが……に、大量の外国人労働者を受け入れている。その多くは、東南アジアなどからである。

韓国の方が日本よりも賃金が高い、ということは、日本経済の低迷の例としてよく言われることであるが、そうなると、外国から働きに来る人も、より高い賃金の国に集まることになる。将来、日本で働きたいという労働者がどれぐらいいるだろうか。

農業や造船などでの、底辺の仕事をすることになる。造船の設備と工場を持っている大手企業から、何段階かの下請けに、ただの労働者として使われることになる。その労働環境は劣悪である。健康を害しても労災として認めてもらえない。悪徳業者もいる。

職種とか転職の制限があるが、滞在期限をすぎても残る、つまり不法滞在も多くいる。このような人びとは、いったいどんな仕事をして、どんな暮らしをしているのだろうか。

町の風景のなかに、ハラルの店があるということは、イスラムの人たちも多く来ていることなのだろう。このような人たちが、これから、多く韓国社会の中に住むことになるとして、どのようになるだろうか。これは、日本においても大きな課題となっていることである。

外国人労働者の支援をしているのが、牧師というのも、韓国社会らしいことではある。はたして、政府や行政サービスの実態は、どうなのだろうかと思う。このようなことは、まさにこれからの日本の課題でもあり、ただ隣国のこととして見ていればいいというものではない。

2024年10月10日記