『あ・うん』「(1)こま犬」2025-01-20

2025年1月20日 當山日出夫

『あ・うん』 (1)こま犬

数年前、向田邦子のエッセイをまとめて読みかえしたことがある。向田邦子が、台湾で飛行機事故で亡くなったのは、私が学生のときだった。そのことは、新聞で知っただろうか。テレビを持っていないときだった。

若いとき、『父の詫び状』が文庫本で出たときに買って読んで、うまいなあと感じたものである。それから、いくつかのエッセイ集を読んだ。向田邦子は、昭和の戦前から戦後の時代に生きた人びとの生活感情を、確かに描きだしたエッセイストであり、脚本家であった。

『あ・うん』も読んだ本である。

NHKのBSでの再放送のドラマであるが、昔、見たかと思うが、はっきりした記憶があるわけではない。このドラマは、これまでにも何度か再放送している。

買った文庫本を探すのが面倒なので、Kindle版で買って読み返してみた。

「こま犬」の回であるが、原作の小説のとおりに作ってある。このあたりのことは、脚本家として向田邦子の作品であるから、そう大きく改編するということもなかったのだろう。

水田と門倉については、昭和の戦前の中産階級、あるいは、サラリーマンという人たちの生活感覚を描いている。これは、向田邦子の体験した時代であり、その多くは、父親のことを感じさせる。向田邦子の父親は、保険会社につとめていて、たたき上げである。転勤も多く、向田邦子のエッセイに出てくる地方都市というと、仙台、鹿児島、高松、というあたりのことになる。作品中、水田の家が白金で、門倉が目黒のカフェーで遊ぶという設定である。向田邦子の書いたものを読むと、東京に住んでいたとき目黒に家があって、空襲にあったときのことを、克明に記している。

小説は三人称視点で書かれているのだが、ドラマは、むすめのさと子の視点がとりこんである。そのことによって、若い世代(向田邦子に近い)から見た、その時代の大人たちの感覚が描き出されることになっている。

これは、教育勅語が日常生活の感覚のなかにあった時代を描いた作品である。いや、それと同時に、このドラマが作られた時代は、ドラマのなかで教育勅語を出すことが可能であった、というべきである。今の時代では、もう無理だろう。どのような立場からであるにせよ。

2025年1月17日記

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