『坂の上の雲』「(25)日本海海戦(前編)」2025-03-07

2025年3月7日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(25)日本海海戦(前編)」

日本海海戦が、日露戦争を描く『坂の上の雲』のドラマとしては、最大の見せ場である。このドラマでは、このところに、非常にコストをかけて、見事な映像として描いていたことは、たしかである。ドラマとしては、非常にいい。

だが、このドラマで描いていないことが気になる。このドラマが最初に放送されたときに見ているし、再放送も見ているので、日本海海戦のシーンを見るのは何度目かになる。また、前回までの満州での戦いについても、見てきて思うことである。

それは、このドラマには、捕虜が出てこないということである。日露戦争では、日本軍は世界の中で模範的であろうとした。司馬遼太郎は、原作の『坂の上の雲』で書いていたと憶えている。模範生であることの一つに、捕虜のあつかいもあった。

満州で旅順を攻略した後、その兵たちはどうなったのか。捕虜としたのなら、その処遇はどうであったのか。日本海海戦で、ロシア兵で助かって捕虜となった人たちは、どうあつかわれたのか。こういうことが、このドラマでは、一切出てきていない。

もし、今、このドラマを作るとしたら、捕虜のあつかいということは、どうしてもふくめることになるだろうと思う。あるいは、このドラマの企画の段階では、そのようなことも考慮されたのかもしれず、最終的にカットされることになったのかとも思う。さて、どうなのだろうか。

それから、このドラマで出てきていないのが、日露戦争の時代の日本国内における反戦論、非戦論、である。日本中がこぞって、ロシアに恐怖し、もし負けたらロシアの殖民地になると、ドラマの中の夏目漱石のように考えたということもないはずである。反戦、非戦、平和論も、あった。それは、描いておくべきことだったと、思う。

ただ、ロシアに負ければ殖民地になり、日本の伝統文化は破壊される、と夏目漱石に言わせたのは、そういうこともあるかと思う。漱石は、イギリスに留学し、大英帝国の繁栄の実態と、植民地支配の実相を、知っていたはずである。(そういう漱石だからこそ、『三四郞』のなかで、広田先生に、日本は亡びるね、と言わせているということもあるのだが。)

海軍の戦闘のことで気になることがある。連合艦隊が、バルチック艦隊と海戦をたたかったとき、敵艦隊のどの船を目標に砲撃するか、それを、一つの軍艦のなかで、また、他の軍艦どうしで、どうやって連絡して調整したのだろうか。ただ、やみくもに砲撃したはずではなく、どの軍艦が、敵のどの船を狙うのか、統合的に指示しなければならなかったはずである。無線か、旗旒信号か、信号灯か、手旗信号か、いったいどういう方法で、連絡し、命令を伝達していたのだろうか。

また、日本海海戦の後、夜間に駆逐艦などが出動したと言っていたが、レーダーが実用化されていないこの時期に、どうやって夜の暗闇のなかで、敵を見つけて攻撃できたのだろうか。夜の闇のなかを逃げる船を、探して攻撃するのは、かなり困難だろうと思うのだが、どうやったのだろうか。

ともあれ、日本海海戦の勝利は歴史的な事件であったことはたしかなことであり、あえて意地の悪い見方をすれば、この勝利が、その後の日本を誤らせたとも言えなくはない。とはいえ、負けていれば、いや、半数ほどを逃してしまったら、日露戦争の帰趨がどうなったかということもあるが。

どうでもいいことかもしれないが、今の日本で、海軍記念日が5月27日、ということを知っている人は、希になっていることはたしかだろう。

2025年3月6日記

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