『ビギナーズ』レイモンド・カーヴァー/村上春樹(訳)2019-12-13

2019-12-13 當山日出夫(とうやまひでお)

ビギナーズ

レイモンド・カーヴァー.村上春樹(訳).『ビギナーズ』(村上春樹 翻訳ライブラリー).中央公論新社.2010
http://www.chuko.co.jp/tanko/2010/03/403531.html

続きである。
やまもも書斎記 2019年12月7日
『村上ラヂオ2』村上春樹・大橋歩
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/12/07/9186095

やまもも書斎記 2019年11月30日
『愛について語るときに我々の語ること』レイモンド・カーヴァー/村上春樹(訳)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/11/30/9183071

ひとまず説明するならば、『愛について語るときに我々の語ること』という作品集は、実は、編集者による大幅な改変(削除)をうけていた。それを、元の原稿にもどして、改めて作品集として刊行したもの、ということになる。このあたりの経緯については、この本に詳しく説明がある。

ただ、読んでみての感想めいたものを書くとするならば……レイモンド・カーヴァーは、その作品について、「ミニマリスト」と言われることを嫌ったらしい。そうだろうと思う。『愛について語るときに我々の語ること』を評して、そのように言われたとするならば、絶対に許せないにちがいない。

それほど、大きな改編がなされている。読んで、もとの作品とがらりと印象が異なる。これでは、まったく別の作品になってしまっていると言っても過言ではない。ともあれ、この『ビギナーズ』を読んで、作者(レイモンド・カーヴァー)が、どのような文学を目指していたのか、その本当のところがわかったような気がする。

たとえば、「ささやかだけれど、役にたつこと」。この作品は、いったい何がどう役にたつことになるのか、短縮、改編版の方では今一つよくわからなかったといってよい。たしかに、改編後の作品でも、それなりに文学的余韻を感じさせる作品にはなっているのだが、これは、絶対にもとの方がいいと感じる。私は、少なくとも、この『ビギナーズ』で元のかたちのものを読んで、やっとこの作品に納得がいった。ああそうか、作者(レイモンド・カーヴァー)は、このようなことを、この作品で語りたかったのか、理解できたような気がする。

また、文学研究の立場からみても、このような作品の改編ということが、作品、作家にとってどのような意味のあることなのか、考えることができよう。この意味では、復元版とでもいうべきこの『ビギナーズ』を、同じく村上春樹の翻訳で読めるというのは、興味深いことでもある。

次の村上春樹は、またエッセイにもどって、『村上ラヂオ3』である。

追記 2020-01-11
この続きは、
やまもも書斎記 2020年1月11日
『村上ラヂオ3』村上春樹・大橋歩
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/11/9200606

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