『放浪記』林芙美子2020-03-12

2020-03-12 當山日出夫(とうやまひでお)

放浪記

林芙美子.『放浪記』(新潮文庫).新潮社.1979(2002.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/106101/

トルストイの『復活』を読んだら、カチューシャの唄のことを思い出した。私が、カチューシャの唄を憶えたのは、『放浪記』であったと記憶する。『放浪記』は、これまでに二~三回は読んでいるかと思うが、新しくなった本で再度読んでみることにした。

やまもも書斎記 2020年3月5日
『復活』(上)トルストイ/岩波文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/05/9220796

やまもも書斎記 2020年3月6日
『復活』(下)トルストイ/岩波文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/06/9221152

『放浪記』は、たしか高校のときの国語の教科書にあったように憶えている。その冒頭の部分……私には故郷がないということ……このことは、憶えている。それから、幼いときのこととして、家計を助けるために行商に出たことなど。その当時の直方の炭坑町の描写なども記憶にある。

それから、川本三郎の『林芙美子の昭和』が出たときには、買って読んでいる。探せばこの本はまだどこかにあるはずである。

さて、『放浪記』であるが……特にストーリーらしいストーリーもないような、かなり大部になる作品であるが、全部ページを繰ってしまった。そして、最終的には、この作品を読みふけっている自分に気付くことになる。

読んで思うことを書いて見るならば、次の二点であろうか。

第一に、社会の底辺とでもいうべき生活を見つめるリアリズムである。

「放浪者」である林芙美子は、定住して職につくということをしていない。安下宿か木賃宿を渡り歩く生活である。その生活はといえば、カフェーの女給までしている。読んでいると、これ以上落ちるところといったら玉の井で体を売るしかない、そんな生活をしている。

大正から昭和にかけての、主に東京の貧民(このようなことばは今は使わないだろうが)の生活として読んで、これはこれとして、非常に興味深いものがある。

第二に、リアルに貧乏生活を描いていながら、同時にただよっている詩情である。

作品中に、いくつかの詩も掲載になっている。だが、それよりも、ただあてどない毎日のことを綴っている文章の行間から感じるのは、詩情である。読みながらふと文学的な感銘を感じるのは、この詩情に共感するからである。

以上の二つの側面……リアリズムの精神と、詩情と、この一見するとあまり両立しないように思える要素が、見事に融合して『放浪記』という文学を形作っている。

ところで、『放浪記』といえば、舞台のことを思う。森光子が演じていた。が、私は、この舞台を見たことがない。(基本的に演劇とは無縁の生活を送ってきたといっていいだろう。)今にして思えば、何かきっかけをつくって、舞台を見ておくべきだったかという気もしている。

2020年3月9日記

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