「殉難者の祈り」2023-10-19

2023年10月19日 當山日出夫

こころの時代 殉難者の祈り 「オホーツク民衆史講座」の人々

「タコ部屋」ということばは、知っている。いつ憶えたかはさだかではないが、知識としては知っていることばになる。

番組自体の趣旨からはずれるかもしれないが、思うことを書いておく。

一つには、近代になっても怨霊思想というべきものがある、ということである。無念の死をとげた人びとの霊は、それにふさわしく弔われなくてはならない。そうしないと、生きている人間にたたりをなす。古くからの日本のなかにあった考え方であるが、これが近代にいたっても生きていることになる。トンネル工事の死者の幽霊が出る、病人が出る、という、現代の常識からすれば無意味なことのようであるが、実際のその現地に生活している人びとの感覚としては、生々しくある。

現代に生きる怨霊思想ということで、考える必要のあることだろうと思う。この観点からは、いわゆる英霊祭祀ということも考えられていいと思う。(私は、一般論として英霊祭祀はあっていいと思う。だが、それに靖国神社がふさわしいかどうかは、また別の問題である。)

また、日本の死生観のなかにある、遺骨への思いということを確認することになる。一般的に、死者とは何かという問いで考えることもできる。それが、日本の場合、遺骨のあつかいということに象徴されるところがある。

日本における遺骨と死者との関係は、これからどうなっていくだろうか。葬儀、埋葬の簡略化という時代の流れのなかで、考えていくべき問題の一つであると思う。

もちろん、北海道の開拓のみならず、過酷な労働で犠牲になった人びとのことは忘れてはならない。おそらく、全国のトンネルや道路、鉱山などにおいて、多くの殉難者がいることと思う。これもまた、大きな課題の一つといっていいだろう。

日本近代の一つの歴史という面もあるが、日本の人々の奥底にある死生観を問いかける番組だったと思う。

2023年10月18日記

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