「台湾海峡で何が〜米中“新冷戦”と日本〜」2024-01-13

2024年1月13日 當山日出夫

BS1スペシャル 台湾海峡で何が〜米中“新冷戦”と日本〜

最初の放送は、二〇二一年のNHKスペシャル。

台湾の総統選挙を前にして、BSで再放送したものであろう。

台湾の人びと、それから、中国の人びとにとって、もっとも望ましいのは現状維持ということだと思っている。総統選挙がどのようになろうと、人びとの気持ちの傾向は変わらないだろう。

見て思ったことを書いておく。

台湾有事となったとき、台湾の周辺の制空権・制海権が問題になる。これを中国が完全に掌握しようとするならば、当然のことながら、南西諸島の島のいくつかが重要な拠点になることになる。また、アメリカ本土から西太平洋にかけての島々、東シナ海の島々も重要になる。これらの島の取り合いになるというのが、まず考えられることである。南西諸島が最前線であるという認識であるべきだと考える。

戦争は始めることよりも終わらせることの方が難しい。もし、中国が台湾に侵攻したとして、それを終わらせるのは、どのようなシナリオが想定されるのか。これが最も困難な課題であると思う。

自衛隊の国民保護、避難ということが、今にいたっても十分に議論されていない。安倍政権のときの、安保法制の議論はいったい何だったのかと思う。自衛隊について批判的な言論は目にするが、もし事が起こったときにどうすべきかという議論については、スルーしているように思えてならない。このことをふくめて具体的な議論が必要である。

国家の指導者が理性的・合理的判断をくだすならば、おそらく台湾有事ということはないだろう。だが、常に国家の指導者がまともでありつづけるとは限らない。そのことをふくんでの、抑止力であり、外交であり、また、日常からの様々なレベルでの交流が必要ということになる。

2024年1月12日記

「欲望の資本主義2024 ニッポンのカイシャと生産性の謎」2024-01-13

2024年1月13日 當山日出夫

BSスペシャル 欲望の資本主義2024 ニッポンのカイシャと生産性の謎

見て思うことはいろいろとある。

たまたまになるが、お正月に能登半島での地震があった。まだその被害の全容も不明という状況である。この地震災害の報道を見ていて感じることだが、今の日本の政府に国民からの信頼感があるのだろうか。私の感じるところでは、これはかなりあやういと思わざるをえない。

一方で、このような災害があっても、暴動とかが発生しない。これは、やはり日本の国民の公共への信頼感というべきだろうか。

時の政権への信頼感はきわめて希薄ではあるものの、公共的な感覚は維持されている。これが今の日本の姿ということになろうか。

では、これからの未来において、社会の信頼を基礎とする無形資産はどう形成されることになるだろうか。このあたりが懸念されるところである。

天邪鬼な見方かとは思うが、近代的であり、欧米的であり、資本主義であり、ということに、それほどの価値があるのかという気もしないではない。また、GDPとか、生産性とかは、それほど価値のあることなのだろうか。確かに生産性は重要であるが、それよりも重要なのは、やりがいのある仕事をしているかどうかである。番組の中では出てこなかったが、ブルシットジョブがあまりに多すぎるということが課題なのだと思う。人びとが平和で、そこそこのレベルで暮らしていくことができるなら、GDPで世界の順位が落ちても、まあそれでいいだろう。(かつて、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代を忘れられない人たちは、歯がゆい思いをするかとも思うが。)

番組の中で出てきたことばでいうならば、「製作本能」ということが重要だろう。仕事にやりがいを見いだせること、これが何よりも、人びとの幸せにつながるはずである。人間をどのようなものとしてとらえるか、人間観がどのようなものであるか、これこそが、政治への信頼感につながるものだと思っている。

ちなみに、今の政府の推進しているマイナンバーカードが政策として愚策であると感じるのは、人間を利己的なものとしてしか見ていないことだと私は思っている。利己的な気持ちに訴えかけようとして、ポイント付与ということで取得率を上げようとした。しかし、これは、ポイントなんかいらない、という人には効果がない。それよりも、社会のデジタル化を進めると、自分だけではなく他の人にとってもいいことがある、みんなのためになる、この方向であるべきである。ここでは、政府の示した人間観が軽薄なのである。このような軽薄な人間観しか持ち合わせていない政府に、これからの未来の社会の舵取りが出来るかどうか、私は大いに疑問であると感じざるをえない。

そして、イノベーションに必要なのは、能力・意欲ある人びとの知的好奇心を刺激し育てることである。今の社会は、知的好奇心ということをさほど重視していないように思えるのが残念でもある。

2024年1月12日記

「ジーン・シャープ“独裁体制から民主主義へ” (1)独裁体制は見かけほど強くない」2024-01-13

2024年1月13日 當山日出夫

100分de名著 ジーン・シャープ“独裁体制から民主主義へ” (1)独裁体制は見かけほど強くない

再放送を見ている。

番組の最初の放送の時点でということではあるが、独裁体制の国の見本として、北朝鮮とアフガニスタンをあげていた。どういう事例を示そうと自由かもしれないが、中国とかロシアとかは、どうなのかと思ってしまう。当然、これらの国独裁体制の国である。まさか、よい独裁と悪い独裁がある、などという詭弁は使わないだろう。そんなことを言い出したら、冷戦時代に逆戻りである。

しかし、中国における香港の様子を見ていると(報道で見る限りということだが)、非暴力という抵抗が、無残に押しつぶされた事例として目の前にあるように思える。

独裁体制よりも民主主義の方がすぐれている。そのことに、独裁体制下の国の人びとが気づいている。これが重要なことであると思えてならない。

うまく統治できて、経済的に発展して、生活が豊かになるのであるならば、強いて今の独裁体制を倒す必要もない。このように思う人びとがいても不思議ではない。

そして重要なことは、現代では、SNSを通じて独裁国家は人びとの日常生活を検閲することができる。今後、このことは、AIの利用によってより加速するにちがいない。さて、どうすべきであろうか。

2024年1月10日記