『ブギウギ』「ワテはワテだす」 ― 2024-01-21
2024年1月21日 當山日出夫
『ブギウギ』第16週「ワテはワテだす」
エノケン、榎本健一のことは、かろうじて記憶にある。その最晩年のころ、テレビにに出ていたのを見たことを憶えている。ただ、その舞台を見たということはない。
日本の喜劇ということでは、まさに一つの時代を作った人物である。エノケンと笠置シズ子がかかわっていたということは、そのとおりなのだが、これをドラマでどう描くかということに興味がある。
ドラマでタナケンは言っていた。舞台を見に来る人は、現実を忘れるためにやってくる。これと同じ意味のことが、以前の大阪のUSKでも語られていた。この意味では、テレビの朝の一五分間も、また現実から離れることのできる時間と言えるかもしれない。
その舞台での「コペカチータ」は、さすがであると感じさせるものであった。
この『ブギウギ』というドラマの良さは、舞台のシーンをきちんと作ってあること、そして、それが主演の趣里の魅力を十分に引き出すものになっていることである。
ところで、小夜ちゃんは、アメリカ兵のサムについてアメリカに渡ることになった。おそらく、戦後間もないころの日本では、このような選択をした女性がいたことになる。
スズ子と愛助の結婚が認めてもらえるということだが、スズ子に歌手をやめろという。さて、次週以降どうなるだろうか。楽しみに見ることにしよう。
2024年1月20日記
『ブギウギ』第16週「ワテはワテだす」
エノケン、榎本健一のことは、かろうじて記憶にある。その最晩年のころ、テレビにに出ていたのを見たことを憶えている。ただ、その舞台を見たということはない。
日本の喜劇ということでは、まさに一つの時代を作った人物である。エノケンと笠置シズ子がかかわっていたということは、そのとおりなのだが、これをドラマでどう描くかということに興味がある。
ドラマでタナケンは言っていた。舞台を見に来る人は、現実を忘れるためにやってくる。これと同じ意味のことが、以前の大阪のUSKでも語られていた。この意味では、テレビの朝の一五分間も、また現実から離れることのできる時間と言えるかもしれない。
その舞台での「コペカチータ」は、さすがであると感じさせるものであった。
この『ブギウギ』というドラマの良さは、舞台のシーンをきちんと作ってあること、そして、それが主演の趣里の魅力を十分に引き出すものになっていることである。
ところで、小夜ちゃんは、アメリカ兵のサムについてアメリカに渡ることになった。おそらく、戦後間もないころの日本では、このような選択をした女性がいたことになる。
スズ子と愛助の結婚が認めてもらえるということだが、スズ子に歌手をやめろという。さて、次週以降どうなるだろうか。楽しみに見ることにしよう。
2024年1月20日記
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