「「こわいマンガ」はなぜ怖い? 〜トイレに行けない!表現進化の70年〜」 ― 2024-12-26
2024年12月26日 當山日出夫
ダークサイドミステリー 「こわいマンガ」はなぜ怖い? 〜トイレに行けない!表現進化の70年〜
再放送である。最初は、二〇二四年六月四日。この間に、楳図かずおが亡くなった。番組のなかに楳図かずおは登場してきているが、その没年が表示されていない。
私は、昭和三〇年(一九五五)の生まれなので、ちょうど『墓場の鬼太郎』が「少年マガジン」で連載が始まったときに、リアルタイムで読んだ。その後、タイトルが『ゲゲゲの鬼太郎』になり、そのうち映画になり(これは見ていない、実写版である)、テレビアニメになった。この過程で、当初の怪奇性がどんどん薄れていって、鬼太郎が正義のヒーローになっていった。もちろん、だんだんつまらなくなっていったことになる。
また、この時代は、少女漫画で「ヘビ女」が大ブームだった時代でもある。
何度も書いてきたことだが、私の年代が、ちょうど貸本屋というのをリアルで知っている最後の年代になるかもしれない。貸本屋というものは、昭和三〇年代まであり、その後、急速に姿を消していった。
番組を見て思うことはいくつかある。
まず、広い視点としては、日本人はいったい何を読んできたのか、という読書史と文学史、マンガ史、などの融合したところから考えることになる。このなかには、貸本マンガ、貸本小説などもあり、また、週刊誌など雑誌掲載の作品もある。近年では、コンビニで販売された作品などもふくむことになる。
いったいこれらの作品は、いま、どこにどうなっているのだろうか。漫画については、明治大学とか京都精華大学などでコレクションしていると思うが、もっと大規模に収集しておく必要があることになるだろう。国立メディア芸術総合センターが、はたしてこれからどうなるだろうか。また、国会図書館などの蔵書がどう利用できるようになっていくか。これらをふまえて、まさにこれからの研究課題になっていくことだろう。できれば、国文学研究資料館の古典籍のデジタルアーカイブとおなじぐらいの規模で、近代から現代にいたるまでの、いろんな作品を集めていく必要があるとは思っている。はたして、これからどうなるだろうか。
恐怖をどう描くか、ということはまさに日本の文学史や絵画史や民俗学、それから、漫画研究の総合的な研究領域になってくる。これに近年では、ネット怪談ということが加わっている。
怖いマンガは、マンガ史においても周縁の位置にある。だが、そもそも「怪談」というものが、サブカルチャーのさらにその周縁にあり、しかし、途絶えることなく続いてきているものであることを、認識しておくべきことだろう。
さて、どうでもいいことかもしれないが、やなせたかしを読んでおかないといけないし、つづいて小泉八雲も読んでおきたい。『怪談』を、日本の怪異の文学の歴史のなかでどう考えることになるのか、興味あるところである。
2024年12月21日記
ダークサイドミステリー 「こわいマンガ」はなぜ怖い? 〜トイレに行けない!表現進化の70年〜
再放送である。最初は、二〇二四年六月四日。この間に、楳図かずおが亡くなった。番組のなかに楳図かずおは登場してきているが、その没年が表示されていない。
私は、昭和三〇年(一九五五)の生まれなので、ちょうど『墓場の鬼太郎』が「少年マガジン」で連載が始まったときに、リアルタイムで読んだ。その後、タイトルが『ゲゲゲの鬼太郎』になり、そのうち映画になり(これは見ていない、実写版である)、テレビアニメになった。この過程で、当初の怪奇性がどんどん薄れていって、鬼太郎が正義のヒーローになっていった。もちろん、だんだんつまらなくなっていったことになる。
また、この時代は、少女漫画で「ヘビ女」が大ブームだった時代でもある。
何度も書いてきたことだが、私の年代が、ちょうど貸本屋というのをリアルで知っている最後の年代になるかもしれない。貸本屋というものは、昭和三〇年代まであり、その後、急速に姿を消していった。
番組を見て思うことはいくつかある。
まず、広い視点としては、日本人はいったい何を読んできたのか、という読書史と文学史、マンガ史、などの融合したところから考えることになる。このなかには、貸本マンガ、貸本小説などもあり、また、週刊誌など雑誌掲載の作品もある。近年では、コンビニで販売された作品などもふくむことになる。
いったいこれらの作品は、いま、どこにどうなっているのだろうか。漫画については、明治大学とか京都精華大学などでコレクションしていると思うが、もっと大規模に収集しておく必要があることになるだろう。国立メディア芸術総合センターが、はたしてこれからどうなるだろうか。また、国会図書館などの蔵書がどう利用できるようになっていくか。これらをふまえて、まさにこれからの研究課題になっていくことだろう。できれば、国文学研究資料館の古典籍のデジタルアーカイブとおなじぐらいの規模で、近代から現代にいたるまでの、いろんな作品を集めていく必要があるとは思っている。はたして、これからどうなるだろうか。
恐怖をどう描くか、ということはまさに日本の文学史や絵画史や民俗学、それから、漫画研究の総合的な研究領域になってくる。これに近年では、ネット怪談ということが加わっている。
怖いマンガは、マンガ史においても周縁の位置にある。だが、そもそも「怪談」というものが、サブカルチャーのさらにその周縁にあり、しかし、途絶えることなく続いてきているものであることを、認識しておくべきことだろう。
さて、どうでもいいことかもしれないが、やなせたかしを読んでおかないといけないし、つづいて小泉八雲も読んでおきたい。『怪談』を、日本の怪異の文学の歴史のなかでどう考えることになるのか、興味あるところである。
2024年12月21日記
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