『カムカムエヴリバディ』「1984ー1992」「1992ー1993」2025-03-30

2025年3月30日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1984ー1993」「1992ー1993」

条映の太秦の映画村、撮影所、ここを舞台にして、人間の哀切を描いていたと感じる。映画産業は衰退している。特に、時代劇映画はほろびる方向である。このことは、現場にいる人びとが、その日常の仕事のなかで肌で感じていたことであろう。

五十嵐は、『隠れ里の決闘』以来、切られ役をやっている。役名も、台詞もない。そのまま数年が経過したことになるが、状況は悪くなる一方である。しかし、五十嵐はひなたと一緒になろうと決意し、ひなたもそれをうけいれる。

しかし、五十嵐は、そば屋で酔っ払って事件をおこしてしまう。破天荒将軍の役者に対して、暴言を言う。そこには、美咲すみれもいた。このシーンは、うまいと思って見ていた。この時代、時代劇映画にかかわっているなら、破天荒将軍といえども、その業界の衰退を感じていたはずだし、撮影所の大部屋俳優がどんな境遇で仕事をしているか、熟知しているはずである。だから、自分に言われた暴言については、許す、といっていたことになる。このあたりの脚本は、この時代の太秦の映画関係者の気持ちを、深く表現していると感じたところである。

だが、五十嵐は、ひなたと別れることになる。

この週の最後(金曜日)、道場での五十嵐と虚無蔵、大月の家でのひなたとるい、撮影所での五十嵐とジョー、これらの話しをする場面だけだったが、それぞれの登場人物が、これまでにどんな人生を歩んできたか、それをふまえて、五十嵐、それから、ひなたに対して、どう生きていくことができるのか語る、音楽としては、るいが歌う「On the Sunny Side of the Street」だった。ドラマとして、人の気持ちを描くとは、こういうことなのだろうと納得できる描写になっていた。しんみりと心にしみる場面であった・

2025年3月28日記

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