『あんぱん』「人間なんてさみしいね」 ― 2025-04-06
2025年4月6日 當山日出夫
『あんぱん』「人間なんてさみしいね」
始まりはアンパンマンからだった。やなせたかしは、アンパンマンを何種類か描いているが、その最初のものだった。アンパンマンの正義は、おなかをすかせて困っている人に、パン(自分の顔)をあげる、ただそれだけの素朴なものである。だからこそ、より多くの人たち、また、子どもたちがこれに共感する。
『あんぱん』の場合、特筆すべきは、はじまって最初の方で、このドラマの着地点を明確に示していることだろう。やなせたかし自身が多くのことばを残している。正義は逆転する。正義はかっこうのいいものではない。正義はみずからも傷つくものである。
このやなせたかしの正義についての考え方は、AKが前に作った『虎に翼』と、正反対の性質のものである。『虎に翼』では、正義とはひたすら主張するものであり、絶対の正義(女性の権利ということ)はゆらぐことのないものであった。特に、ドラマの後半、戦後になってからは、史実はどうであるか、法曹の世界の仕事はどうであるか、法律にもとづいて考えるとはどういうことか、というようなことを放り出して、その主人公(寅子)の言いたいことを主張することがメインであった。それに異なる意見が、どうして存在するのか考慮されることはなかった。せいぜい、それは、古風な封建的遺制であると排斥されるだけであった。
ある意味では明確な目標ではあったのだが、残念ながら、その目標である女性の権利が、どのような歴史的背景があって、そのように考えられるようになったのか、という思想の歴史については、完全に無視したことになっていた。近代になってからの、女性運動、廃娼運動、戦時中の婦人会、戦後になってから、ウーマンリブ、など、時代のなかにあっての思想の歴史についてまったくふれることがなかった。私は、ここのところが、『虎に翼』の最大の問題点だと思っている。歴史を描いてこそ、その思想がドラマのなかで説得力をもって語れる、ということが分かっていなかった。これは、その思想への賛否とは、また別の次元でのことである。また、もう一つの問題点は、三権分立を無視したことである。
『あんぱん』は、最初の週は、非常に密度の高い展開になっていた。高知の田舎町の住む少女、東京からの転校生、そのお母さんのこと、のぶのお父さんの死、パンをやくおじさんのこと、いろんなことが、五回の放送のなかにつめこまれていて、それが、破綻することなく、きれいに描かれていた。また、個々のシーンの映像がとてもいい。
崇の母親が、子供たちを残して去って行くシーンなど、非常に印象的であった。また、のぶと崇と千尋がシーソーで遊ぶ場面などは、その後の、これらの登場人物の関係性がどうなるのか、予感させるものとなっていた。
室内の描写でも、明暗の対比をつかって奥行きのある映像の表現となっている。
また、舞台となっている、御免与の街の通りのセットがいい。店のたたずまいとか、通りの歩く人の姿とか、いかにもそれらしい印象を与えるように、丁寧に作ってある。いいドラマは、画面の中に映っているものの数が多い……というのは、一般的にいえるかもしれない。のぶの朝田の家のなかの小道具類、崇の家の中の様子、病院の診察室、非常によく作ってあると感じる。
この最初の週から、やむおじさんが登場している。アンパンマンのジャムおじさんの役割になるのだろう。アンパンマンが、困っている人に自分の顔を食べさせてあげることが出来るのは、新しい顔のパンを焼いてくれるジャムおじさんがいてからこそである。アンパンマンにとっても、もっとも重要な登場人物である。
のぶが学校で喧嘩して同級生の男の子に傷をおわせたときのことであるが、男の子の家にあやまりいった帰り、お母さんが、恨みをいだかせるようなことをしてはいけない、恨みは恨みしか生まない……という意味のことを、のぶに語っていた。これは、まさにアンパンマンの世界の正義のあり方である。アンパンマンには、憎悪の連鎖、ということが出てこない。(残念ながら、この部分は土曜日のまとめではカットされていたが。)
ただ一つ気になったこととしては、やむおじさんが、駅で切符を買うところ。駅員に、広島までと言っていたのだが、この時代(昭和2年)、土讃線は全面開通していないはずである。宇高連絡線を使うとしても、切符が買えたのだろうか、という気がするのだが、どうなのだろうか。崇とお母さんが土佐に来たとき、神戸に一泊してと言っていたのだが、これもこの当時だったら、大阪に一泊して船で高知まで、ということだったかもしれない。(宮尾登美子の小説など読んだ印象だと、そうかなと思うのだが。)鉄道の歴史に詳しい人に教えてもらいたい。
さりげないことだが、この時代では、朝鮮は日本の統治下にあった。のぶのお父さんは、京城に行って帰りの船の中で死んだことになっていた。京城は、現在のソウルになる。土佐の田舎町から、ビジネスの拡大を考えるならば、朝鮮や大陸(満州)に目が向くのは、当然の時代、ということだったのだろう。こういう時代であったということが、おりこんであるのは、たくみな作り方であると思う。その後、史実にしたがうならば、崇は兵隊として中国戦線に行くことになるはずである。
2025年4月4日記
『あんぱん』「人間なんてさみしいね」
始まりはアンパンマンからだった。やなせたかしは、アンパンマンを何種類か描いているが、その最初のものだった。アンパンマンの正義は、おなかをすかせて困っている人に、パン(自分の顔)をあげる、ただそれだけの素朴なものである。だからこそ、より多くの人たち、また、子どもたちがこれに共感する。
『あんぱん』の場合、特筆すべきは、はじまって最初の方で、このドラマの着地点を明確に示していることだろう。やなせたかし自身が多くのことばを残している。正義は逆転する。正義はかっこうのいいものではない。正義はみずからも傷つくものである。
このやなせたかしの正義についての考え方は、AKが前に作った『虎に翼』と、正反対の性質のものである。『虎に翼』では、正義とはひたすら主張するものであり、絶対の正義(女性の権利ということ)はゆらぐことのないものであった。特に、ドラマの後半、戦後になってからは、史実はどうであるか、法曹の世界の仕事はどうであるか、法律にもとづいて考えるとはどういうことか、というようなことを放り出して、その主人公(寅子)の言いたいことを主張することがメインであった。それに異なる意見が、どうして存在するのか考慮されることはなかった。せいぜい、それは、古風な封建的遺制であると排斥されるだけであった。
ある意味では明確な目標ではあったのだが、残念ながら、その目標である女性の権利が、どのような歴史的背景があって、そのように考えられるようになったのか、という思想の歴史については、完全に無視したことになっていた。近代になってからの、女性運動、廃娼運動、戦時中の婦人会、戦後になってから、ウーマンリブ、など、時代のなかにあっての思想の歴史についてまったくふれることがなかった。私は、ここのところが、『虎に翼』の最大の問題点だと思っている。歴史を描いてこそ、その思想がドラマのなかで説得力をもって語れる、ということが分かっていなかった。これは、その思想への賛否とは、また別の次元でのことである。また、もう一つの問題点は、三権分立を無視したことである。
『あんぱん』は、最初の週は、非常に密度の高い展開になっていた。高知の田舎町の住む少女、東京からの転校生、そのお母さんのこと、のぶのお父さんの死、パンをやくおじさんのこと、いろんなことが、五回の放送のなかにつめこまれていて、それが、破綻することなく、きれいに描かれていた。また、個々のシーンの映像がとてもいい。
崇の母親が、子供たちを残して去って行くシーンなど、非常に印象的であった。また、のぶと崇と千尋がシーソーで遊ぶ場面などは、その後の、これらの登場人物の関係性がどうなるのか、予感させるものとなっていた。
室内の描写でも、明暗の対比をつかって奥行きのある映像の表現となっている。
また、舞台となっている、御免与の街の通りのセットがいい。店のたたずまいとか、通りの歩く人の姿とか、いかにもそれらしい印象を与えるように、丁寧に作ってある。いいドラマは、画面の中に映っているものの数が多い……というのは、一般的にいえるかもしれない。のぶの朝田の家のなかの小道具類、崇の家の中の様子、病院の診察室、非常によく作ってあると感じる。
この最初の週から、やむおじさんが登場している。アンパンマンのジャムおじさんの役割になるのだろう。アンパンマンが、困っている人に自分の顔を食べさせてあげることが出来るのは、新しい顔のパンを焼いてくれるジャムおじさんがいてからこそである。アンパンマンにとっても、もっとも重要な登場人物である。
のぶが学校で喧嘩して同級生の男の子に傷をおわせたときのことであるが、男の子の家にあやまりいった帰り、お母さんが、恨みをいだかせるようなことをしてはいけない、恨みは恨みしか生まない……という意味のことを、のぶに語っていた。これは、まさにアンパンマンの世界の正義のあり方である。アンパンマンには、憎悪の連鎖、ということが出てこない。(残念ながら、この部分は土曜日のまとめではカットされていたが。)
ただ一つ気になったこととしては、やむおじさんが、駅で切符を買うところ。駅員に、広島までと言っていたのだが、この時代(昭和2年)、土讃線は全面開通していないはずである。宇高連絡線を使うとしても、切符が買えたのだろうか、という気がするのだが、どうなのだろうか。崇とお母さんが土佐に来たとき、神戸に一泊してと言っていたのだが、これもこの当時だったら、大阪に一泊して船で高知まで、ということだったかもしれない。(宮尾登美子の小説など読んだ印象だと、そうかなと思うのだが。)鉄道の歴史に詳しい人に教えてもらいたい。
さりげないことだが、この時代では、朝鮮は日本の統治下にあった。のぶのお父さんは、京城に行って帰りの船の中で死んだことになっていた。京城は、現在のソウルになる。土佐の田舎町から、ビジネスの拡大を考えるならば、朝鮮や大陸(満州)に目が向くのは、当然の時代、ということだったのだろう。こういう時代であったということが、おりこんであるのは、たくみな作り方であると思う。その後、史実にしたがうならば、崇は兵隊として中国戦線に行くことになるはずである。
2025年4月4日記
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