小さな旅「放送100年企画 つないで つむぐ」 ― 2025-04-14
2025年4月14日 當山日出夫
小さな旅 「放送100年企画 つないで つむぐ」
放送100年の関連番組。HDに録画して残しておいたのをようやく見た。
私が、若いころ、東京に住んでいたとき、「関東甲信越 小さな旅」で放送していたのを見ていた。それが、その後、紆余曲折あって全国放送になり、今に続いている。そのころ、担当していたアナウンサーとして、山根基世のことを憶えている。
どのエピソードも面白いし、こういうふうにして世代をこえて、地域での生活や仕事が受け継がれていくということは、意義のあることだと思う。(ただ、そうはいっても、日本全体としての、少子高齢化、人口減少、という方向はそう簡単に変えることのできるものではないが。)
私が見て一番興味深かったのは、上野の額縁屋さん。三代にわたって、額縁を作ってきている。言われてみれば、絵画には額縁が必要であり、上野の東京藝術大学のかいわいならば、芸術関係、音楽関係の、仕事をする業者や店が集まっていてもおかしくはない。実際、現在では、どんな店が営業しているのだろうか。東京美術学校、東京音楽学校の時代にさかのぼってみれば、いろいろと面白いことがあるにちがいない。あるいは、もう調べたものが本になっていたりするかと思うが。
絵によって額縁も変わる。オーダーメイドということであるが、いったいいくらぐらいの値段なのだろうか。おそらく額縁を作る職人としては、まず絵のことが分からないといけないし、それが、どんなところにどう飾られるのか、どう見られるのかあ、というところまで考える必要がある。こういう仕事があってこその、美術の世界である。
2025年4月11日記
小さな旅 「放送100年企画 つないで つむぐ」
放送100年の関連番組。HDに録画して残しておいたのをようやく見た。
私が、若いころ、東京に住んでいたとき、「関東甲信越 小さな旅」で放送していたのを見ていた。それが、その後、紆余曲折あって全国放送になり、今に続いている。そのころ、担当していたアナウンサーとして、山根基世のことを憶えている。
どのエピソードも面白いし、こういうふうにして世代をこえて、地域での生活や仕事が受け継がれていくということは、意義のあることだと思う。(ただ、そうはいっても、日本全体としての、少子高齢化、人口減少、という方向はそう簡単に変えることのできるものではないが。)
私が見て一番興味深かったのは、上野の額縁屋さん。三代にわたって、額縁を作ってきている。言われてみれば、絵画には額縁が必要であり、上野の東京藝術大学のかいわいならば、芸術関係、音楽関係の、仕事をする業者や店が集まっていてもおかしくはない。実際、現在では、どんな店が営業しているのだろうか。東京美術学校、東京音楽学校の時代にさかのぼってみれば、いろいろと面白いことがあるにちがいない。あるいは、もう調べたものが本になっていたりするかと思うが。
絵によって額縁も変わる。オーダーメイドということであるが、いったいいくらぐらいの値段なのだろうか。おそらく額縁を作る職人としては、まず絵のことが分からないといけないし、それが、どんなところにどう飾られるのか、どう見られるのかあ、というところまで考える必要がある。こういう仕事があってこその、美術の世界である。
2025年4月11日記
『八重の桜』「やむにやまれぬ心」 ― 2025-04-14
2025年4月14日 當山日出夫
『八重の桜』「やむにやまれぬ心」
ドラマのこの段階では、八重はまだ歴史の脇役にすらなっていない。八重が歴史とむきあうのは、その後の戊辰戦争のとき、ということになる。
兄の覚馬は、会津のために行動している。佐久間象山の塾で、西洋の学問を学んでいても、その目的は会津藩の役にたつことにある。海防を幕府からまかされた会津藩のために、その知識をつかいたいと思っている。ここでは、その行動の基本にあるのは、生まれ故郷であり、自分が武士として属する会津藩への、忠誠心であり、愛郷心(パトリオティズム)ということになる。
ドラマのこの段階で、日本、ということを考えているのは、佐久間象山、勝海舟、吉田松陰、といった人物ぐらいになるだろうか。西郷吉之助は、島津斉彬のお庭方であるが、その視野のなかに日本という国のことが、まだあったということではないだろう。
八重は、父親から、鉄砲は人を殺すための道具であるということを、狩場で教わる。しかし、それでも、八重は鉄砲のことを学びつづけ、後には会津若松城の籠城戦を戦うことになる。
このドラマを見ていて(最初の放送のときも見ているが)、佐久間象山の塾にいっぱいものがおいてある場面が、とても印象に残る。実際、あんなにたくさん雑然とものがあったら、学塾としては無理だろうと思ってしまうのだが、ここは、幕末の蘭学者が、貪欲に西洋の技術や知識を吸収しようとしていた、その気概を表現するものとして、非常によく出来ていたと感じる。
2025年4月13日記
『八重の桜』「やむにやまれぬ心」
ドラマのこの段階では、八重はまだ歴史の脇役にすらなっていない。八重が歴史とむきあうのは、その後の戊辰戦争のとき、ということになる。
兄の覚馬は、会津のために行動している。佐久間象山の塾で、西洋の学問を学んでいても、その目的は会津藩の役にたつことにある。海防を幕府からまかされた会津藩のために、その知識をつかいたいと思っている。ここでは、その行動の基本にあるのは、生まれ故郷であり、自分が武士として属する会津藩への、忠誠心であり、愛郷心(パトリオティズム)ということになる。
ドラマのこの段階で、日本、ということを考えているのは、佐久間象山、勝海舟、吉田松陰、といった人物ぐらいになるだろうか。西郷吉之助は、島津斉彬のお庭方であるが、その視野のなかに日本という国のことが、まだあったということではないだろう。
八重は、父親から、鉄砲は人を殺すための道具であるということを、狩場で教わる。しかし、それでも、八重は鉄砲のことを学びつづけ、後には会津若松城の籠城戦を戦うことになる。
このドラマを見ていて(最初の放送のときも見ているが)、佐久間象山の塾にいっぱいものがおいてある場面が、とても印象に残る。実際、あんなにたくさん雑然とものがあったら、学塾としては無理だろうと思ってしまうのだが、ここは、幕末の蘭学者が、貪欲に西洋の技術や知識を吸収しようとしていた、その気概を表現するものとして、非常によく出来ていたと感じる。
2025年4月13日記
『べらぼう』「死を呼ぶ手袋」 ― 2025-04-14
2025年4月14日 當山日出夫
『べらぼう』「死を呼ぶ手袋」
この回は、かなり演出が凝っている。映像としても、今のテレビの画面で表現出来るぎりぎりのところを使っていると感じる。
終わりの方の、茶室のシーン。かなり照明をおとして撮影してある。普通なら、もっと明るくするか、あるいは、外からの光を強調してにして明瞭な明暗比のある画面で構図を作るか、というところだが、なんとか人物の表情が見える、最低限の光での表現にしてある。
私は、『べらぼう』は、日曜日の昼間に4Kで見ることにしている。4K画像だと、普通の放送より、いくぶんコントラストが強くなる。それで見て、なんとか分かるかなといった印象だった。
対照的なのが冒頭の、蔦重と瀬以のシーン。ここも大胆な構図であるが、非常に明暗の対比のある画面構成になっていた。
この週は、蔦重はあまり出てこなかった。朋誠堂喜三二と組んで、なにかやりたいというところまでである。ドラマの筋の流れとしては、朋誠堂喜三二、恋川春町、山東京伝、と登場してきているので、そろそろ江戸の戯作の世界というものを描く方向にむかっていくのかとも思っている。
売れる売れないよりも、楽しい方がいい。この時代の戯作者とは、そういうものだったのだろう。
蔦重はいっていたが、吉原が面白くなることは、女郎も楽しい……これは、どうだろうか。女郎にとっては、つとめが厳しくなるようにも思えるが。
杉田玄白が登場していた。たしかにこの時代の人物ではあるのだが、出版として、蔦重などの戯作の領域と、医学書の領域は違っていたはずなので、はたしてどういう接点があっただろうかという気はする。できれば、杉田玄白よりも、前野良沢の方を出してほしかったという気持ちもある。吉村昭の『冬の鷹』は、前野良沢を描いた歴史小説として、とても面白い。
平賀源内の若いときの様子がすこしだけあった。自分のことを、本草学者といい、『物類品隲』を手にしていた。このころ、エレキテルがインチキ、イカサマ、と思われていたとしても、おかしくはないかもしれない。
蝦夷地の開発を、田沼意次に進言していたが、ロシアの船が日本にやってきていた時代であり、蝦夷地を幕府の直轄地にして、対ロシア交易を始めるというのも、一つの考え方であったかとは思う。(まあ、アイヌの人々にとっては、迷惑な話であったにはちがいないが。)
さて、手袋に毒をしこむということの真相は、はたしてどうなのだろうか。歴史の事実とは別に、ドラマとしては、非常に謎めいた作り方になっている。田沼意次が失脚し、松平定信へと、政治の軸が移っていく過程を、どう描くことになるのだろうか。本当の歴史の黒幕は誰で、だれが操り人形だったのか、ということかとも思うが。
高岳はさすがの貫禄である。
この時代、カステラを食べていた、ということなのだろう。
蔦重は、自分で言っていたが、自分は文をく才がない。これは、しかし、出版プロデューサ、編集者、板元、としての目と才覚はある、ということになるのだろう。
2025年4月13日記
『べらぼう』「死を呼ぶ手袋」
この回は、かなり演出が凝っている。映像としても、今のテレビの画面で表現出来るぎりぎりのところを使っていると感じる。
終わりの方の、茶室のシーン。かなり照明をおとして撮影してある。普通なら、もっと明るくするか、あるいは、外からの光を強調してにして明瞭な明暗比のある画面で構図を作るか、というところだが、なんとか人物の表情が見える、最低限の光での表現にしてある。
私は、『べらぼう』は、日曜日の昼間に4Kで見ることにしている。4K画像だと、普通の放送より、いくぶんコントラストが強くなる。それで見て、なんとか分かるかなといった印象だった。
対照的なのが冒頭の、蔦重と瀬以のシーン。ここも大胆な構図であるが、非常に明暗の対比のある画面構成になっていた。
この週は、蔦重はあまり出てこなかった。朋誠堂喜三二と組んで、なにかやりたいというところまでである。ドラマの筋の流れとしては、朋誠堂喜三二、恋川春町、山東京伝、と登場してきているので、そろそろ江戸の戯作の世界というものを描く方向にむかっていくのかとも思っている。
売れる売れないよりも、楽しい方がいい。この時代の戯作者とは、そういうものだったのだろう。
蔦重はいっていたが、吉原が面白くなることは、女郎も楽しい……これは、どうだろうか。女郎にとっては、つとめが厳しくなるようにも思えるが。
杉田玄白が登場していた。たしかにこの時代の人物ではあるのだが、出版として、蔦重などの戯作の領域と、医学書の領域は違っていたはずなので、はたしてどういう接点があっただろうかという気はする。できれば、杉田玄白よりも、前野良沢の方を出してほしかったという気持ちもある。吉村昭の『冬の鷹』は、前野良沢を描いた歴史小説として、とても面白い。
平賀源内の若いときの様子がすこしだけあった。自分のことを、本草学者といい、『物類品隲』を手にしていた。このころ、エレキテルがインチキ、イカサマ、と思われていたとしても、おかしくはないかもしれない。
蝦夷地の開発を、田沼意次に進言していたが、ロシアの船が日本にやってきていた時代であり、蝦夷地を幕府の直轄地にして、対ロシア交易を始めるというのも、一つの考え方であったかとは思う。(まあ、アイヌの人々にとっては、迷惑な話であったにはちがいないが。)
さて、手袋に毒をしこむということの真相は、はたしてどうなのだろうか。歴史の事実とは別に、ドラマとしては、非常に謎めいた作り方になっている。田沼意次が失脚し、松平定信へと、政治の軸が移っていく過程を、どう描くことになるのだろうか。本当の歴史の黒幕は誰で、だれが操り人形だったのか、ということかとも思うが。
高岳はさすがの貫禄である。
この時代、カステラを食べていた、ということなのだろう。
蔦重は、自分で言っていたが、自分は文をく才がない。これは、しかし、出版プロデューサ、編集者、板元、としての目と才覚はある、ということになるのだろう。
2025年4月13日記
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