『カムカムエヴリバディ』「1992ー1993」「1993ー1994」2025-04-06

2025年4月6日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1992ー1993」「1993ー1994」

斜陽の映画産業、映画村の入場者数も減少している。いまでいうインバウンド、外国人のお客さんを増やそうとするのだが、英語がしゃべれない。ひなたは、英語の勉強をしようとして、五十嵐との結婚を考えたお金を英会話学校で使い果たしてしまう。しかし、そのレッスンでは、英語がしゃべれるようにはならなかった。

弟の桃太郎が、小夜ちゃんにふられてしまう。小夜ちゃんは、吉之丞と結婚する。桃太郎は、やけになって野球をあきらめかける。あげく、あかにしの店から、CDプレーヤーをとってきてしまう。ドロボーである。

そのようなひなたと桃太郎に対して、ジョーは、トランペッターを挫折した過去があったことを話してきかせる。それでも人生はつづいていくものである、と言う。

普通の家庭なら、両親のおいたちとか、どこの出身であるとか、ある程度は子どもたちに話しをすることがあるかと思うのだが、大月の家では、まったく話しをしていなかったようである。これは、不自然といえば不自然な設定なのだが、これまでのるいとジョーの関係や、京都に移ってからの生活(回転焼き屋さんをはじめたこと)を見てきていると、これが不自然なことに感じられない。そういう生活をして、家族を作ってきたということが、あたりまえに思える、そのようなこれまでのドラマの展開であった。このあたりは、とてもたくみな脚本になっている。

その昔のことの証拠に出してきたのが、回転焼き屋さんの壁にずっと貼ってあった、棗黍之上の映画のポスターであり、その裏に書かれた、昔のジョーのサインであった。このポスターは、大阪のクリーニング屋さんのときのものであり、それから、京都に移っても、ドラマのなかではほとんど毎回のように見続けてきたものである。このポスターには、モモケンと同時に虚無蔵も写っている。そして、その裏にはジョーのサインがあったことになる。ここは、非常にたくみな小道具の使い方と演出である。

算太がるいの店にやってくる。どうやら病気になって、自分の死期が近いことを思って、るいに逢いにきたらしい。家の食卓でのパンのダンス、そして、商店街でのサンタクロースのダンス。そこに、昔の岡山でのいろんな思い出が重なるように映し出される。非常に印象的な演出だった。

死んだ算太のお骨を、岡山に持っていくことになり、そこで、るいの生まれた家が、雉真線維の家だったことを、るいと桃太郎は始めて知ることになる。年老いた、勇と雪衣に再会する。

この時代の背景としては、一九九〇年代で、バブル経済の崩壊後、まだかろうじてその余韻が残っていたころということになるだろうか。そのころの市民生活としては、クリスマスになれば、商店街で福引きがあって一喜一憂するような時代だった、このような時代もあったなあ、なんとなく思いながら見ていたことになる。この時代のテレビは、まだブラウン管のテレビだった。

2025年4月5日記

『チョッちゃん』(2025年3月31日の週)2025-04-06

2025年4月6日 當山日出夫

『チョッちゃん』の再放送、2025年3月31日からの週について。

蝶子は、東京の音楽学校にすすみたいと思っている。声楽を学びたい。だが、具体的にどの学校に進学したいということまで、考えているわけではない。漠然と、上野の音楽学校と言っていたが(おじさんに言われて)、これが現在の東京藝術大学だとすると、当時でもっともレベルの高いところになる(今でもそうだが)。

女学校の先生の神谷容先生が、町をたずねてくる。国木田独歩のあるいた跡をたどっている。神谷先生は、その当時としては、かなり先進的な教育観のもちぬしである。女学校を卒業した後の、女性の社会での活躍に期待している。この時代、このような新しい思想の先生は、少なからずいたのかもしれない。

一方で、蝶子のお父さんは、蝶子が女学校を卒業してから、東京に行き、音楽を勉強することに、反対している。ドラマのなかでの描き方としては、典型的に古風な良妻賢母主義とでもいうべきだろうか。しかし、一方的に蝶子を押さえつけるだけの存在ではない。そもそも、この時代の地方(北海道の小さな町)で、女性が高等女学校まで行くということ自体が、かなり進歩的である。蝶子を女学校に行かせたのは、そのお父さんの意向であった。その言い方は、たしかに古風なところはあるが、しかし同時に、娘の蝶子に対する愛情を感じられるものでもある。

おさななじみの頼介は、町を出ようとしない。その北海道で開拓した土地で、生きていこうとしている。

そんなに大きな波乱があったという週ではなかったが、北海道の雪に埋もれた小さな町で暮らす人びとの、いろんな生活感情を静かに描いていたと感じる。昔の朝ドラは、こんな感じだったのである。悪く言えば、時計代わり。たまに見逃した回があっても、気にならないで見られる。そういう脚本になっている。

2025年4月5日記

『あんぱん』「人間なんてさみしいね」2025-04-06

2025年4月6日 當山日出夫

『あんぱん』「人間なんてさみしいね」

始まりはアンパンマンからだった。やなせたかしは、アンパンマンを何種類か描いているが、その最初のものだった。アンパンマンの正義は、おなかをすかせて困っている人に、パン(自分の顔)をあげる、ただそれだけの素朴なものである。だからこそ、より多くの人たち、また、子どもたちがこれに共感する。

『あんぱん』の場合、特筆すべきは、はじまって最初の方で、このドラマの着地点を明確に示していることだろう。やなせたかし自身が多くのことばを残している。正義は逆転する。正義はかっこうのいいものではない。正義はみずからも傷つくものである。

このやなせたかしの正義についての考え方は、AKが前に作った『虎に翼』と、正反対の性質のものである。『虎に翼』では、正義とはひたすら主張するものであり、絶対の正義(女性の権利ということ)はゆらぐことのないものであった。特に、ドラマの後半、戦後になってからは、史実はどうであるか、法曹の世界の仕事はどうであるか、法律にもとづいて考えるとはどういうことか、というようなことを放り出して、その主人公(寅子)の言いたいことを主張することがメインであった。それに異なる意見が、どうして存在するのか考慮されることはなかった。せいぜい、それは、古風な封建的遺制であると排斥されるだけであった。

ある意味では明確な目標ではあったのだが、残念ながら、その目標である女性の権利が、どのような歴史的背景があって、そのように考えられるようになったのか、という思想の歴史については、完全に無視したことになっていた。近代になってからの、女性運動、廃娼運動、戦時中の婦人会、戦後になってから、ウーマンリブ、など、時代のなかにあっての思想の歴史についてまったくふれることがなかった。私は、ここのところが、『虎に翼』の最大の問題点だと思っている。歴史を描いてこそ、その思想がドラマのなかで説得力をもって語れる、ということが分かっていなかった。これは、その思想への賛否とは、また別の次元でのことである。また、もう一つの問題点は、三権分立を無視したことである。

『あんぱん』は、最初の週は、非常に密度の高い展開になっていた。高知の田舎町の住む少女、東京からの転校生、そのお母さんのこと、のぶのお父さんの死、パンをやくおじさんのこと、いろんなことが、五回の放送のなかにつめこまれていて、それが、破綻することなく、きれいに描かれていた。また、個々のシーンの映像がとてもいい。

崇の母親が、子供たちを残して去って行くシーンなど、非常に印象的であった。また、のぶと崇と千尋がシーソーで遊ぶ場面などは、その後の、これらの登場人物の関係性がどうなるのか、予感させるものとなっていた。

室内の描写でも、明暗の対比をつかって奥行きのある映像の表現となっている。

また、舞台となっている、御免与の街の通りのセットがいい。店のたたずまいとか、通りの歩く人の姿とか、いかにもそれらしい印象を与えるように、丁寧に作ってある。いいドラマは、画面の中に映っているものの数が多い……というのは、一般的にいえるかもしれない。のぶの朝田の家のなかの小道具類、崇の家の中の様子、病院の診察室、非常によく作ってあると感じる。

この最初の週から、やむおじさんが登場している。アンパンマンのジャムおじさんの役割になるのだろう。アンパンマンが、困っている人に自分の顔を食べさせてあげることが出来るのは、新しい顔のパンを焼いてくれるジャムおじさんがいてからこそである。アンパンマンにとっても、もっとも重要な登場人物である。

のぶが学校で喧嘩して同級生の男の子に傷をおわせたときのことであるが、男の子の家にあやまりいった帰り、お母さんが、恨みをいだかせるようなことをしてはいけない、恨みは恨みしか生まない……という意味のことを、のぶに語っていた。これは、まさにアンパンマンの世界の正義のあり方である。アンパンマンには、憎悪の連鎖、ということが出てこない。(残念ながら、この部分は土曜日のまとめではカットされていたが。)

ただ一つ気になったこととしては、やむおじさんが、駅で切符を買うところ。駅員に、広島までと言っていたのだが、この時代(昭和2年)、土讃線は全面開通していないはずである。宇高連絡線を使うとしても、切符が買えたのだろうか、という気がするのだが、どうなのだろうか。崇とお母さんが土佐に来たとき、神戸に一泊してと言っていたのだが、これもこの当時だったら、大阪に一泊して船で高知まで、ということだったかもしれない。(宮尾登美子の小説など読んだ印象だと、そうかなと思うのだが。)鉄道の歴史に詳しい人に教えてもらいたい。

さりげないことだが、この時代では、朝鮮は日本の統治下にあった。のぶのお父さんは、京城に行って帰りの船の中で死んだことになっていた。京城は、現在のソウルになる。土佐の田舎町から、ビジネスの拡大を考えるならば、朝鮮や大陸(満州)に目が向くのは、当然の時代、ということだったのだろう。こういう時代であったということが、おりこんであるのは、たくみな作り方であると思う。その後、史実にしたがうならば、崇は兵隊として中国戦線に行くことになるはずである。

2025年4月4日記