『西郷どん』あれこれ「子どもは国の宝」2018-01-23

2018-01-23 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年1月21日、第3回「子どもは国の宝」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/03/

前回は、
やまもも書斎記 2018年1月16日
『西郷どん』あれこれ「立派なお侍」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/16/8770601

歴史の結果として、武士の時代は終わる。封建的な武士は明治維新によって終わる。それをなしとげたたのが西郷隆盛である、というのは常識的な日本史の知識。その西郷にとって、武士であるとは何であったのだろうか。

まだ江戸時代の薩摩藩の生活を描くことが、武士の時代を描くことにもなっている。その武士の時代の、あるべき姿をもとめているのが、若いころの西郷隆盛という設定である。ここには、まだ、廃藩置県、地租改正という、封建制度を終わらせた明治維新への展望は、まったく見えていない。

このドラマで描かれる、武士の生活のあり方、また、農民のあり方、これらが、どうにもステレオタイプであるとしか思えない。百姓=農民=米作、という図式の中で描いている。この図式は、近年の歴史学で、かなり問題点が出されているところではないのだろうか。

特に西郷隆盛のような下級の武士にとっての武士のあり方……武士としてのエトスといってもいいだろうか……と、かなり上級に位置するはずの赤山靭負とでは、武士としてのあり方もちがうだろう。藩からの俸禄だけでは生活できないような下級の武士である西郷隆盛にとって、武士であるとはどう意味があったのであろうか。藩からの俸禄が増えるためには、農民への年貢負担の増大になるか、調所広郷のように密貿易で稼ぐしかない。だが、西郷隆盛は年貢負担増には否定的である。

島津斉彬が、理想の君主、将来の日本のあり方を考える理想の指導者として描かれている。このあたりも、ちょっと型にはまりすぎているかないという気がしないでもない。たしかに、幕末になって諸外国の圧力というのはあったろう。幕府もそれを感じていたにちがいない。だが、それへの解決を、薩摩藩にたよるというのはどうなんだろう。老中、阿部正弘は、斉彬に期待をよせている。それは何を期待してのことなのだろうか。すでに開国やむなしと、この時点で判断して、諸外国との対応を、斉彬をたよりにするということなのだろうか。ここでは、江戸時代に終止符をうつことになる人間のひとりとしての斉彬が描かれている。

その後の歴史としては、薩摩は、倒幕ということで行動することになる。

これから開国となり、幕末・明治維新の動乱の時代をむかえる。武士の時代を終わらせることになる西郷隆盛、そして、倒幕の中心となる薩摩藩、これらの動きを、このドラマでは、今後どのように描くことになるのだろうか。

追記 2018-01-30
この続きは、
やまもも書斎記 2018年1月30日
『西郷どん』あれこれ「新しき藩主」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/30/8778969