「安保闘争 燃え盛った政治の季節」2024-06-11

2024年6月11日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 安保闘争 燃え盛った政治の季節

安保闘争(六〇年、七〇年)を、NHKでとりあげるということで、どういう視点から描くことになるのかと思っていた。結果としては、よく作ってあったということになると、私としては感じる。

『夢であいましょう』から始まるというのは、意表を突いた構成である。だが、「上を向いて歩こう」の歌の意味については、考えることになる。

安保条約や反対運動について、特に新しい知見があるという番組ではない。しかし、日本において、あのような時代があったということは、記録に残し、人びとの記憶に残っていくべきことであると私は思っている。

たまたま、「100分de名著」と同じ月曜の夜の放送であった。それぞれ録画しておいて、翌日に見たのであるが、偶然になるが、やはり佐野眞一の本を思い出す。『唐牛伝』である。全学連委員長であった唐牛健太郎の評伝である。いろんな職業を経て、北海道でアザラシ猟師をしていたことはこの本で知っていたが、実際の映像が残っていることには、正直おどろいたところである。

政治史としては、戦後の日本国憲法の制定と日米安保条約はワンセットのものであったととらえることになる。それは東西冷戦の時代であり、冷戦終結の現在にいたるまで、日米関係はいかにあるべきか、という議論は続いている。完全な日本の独立ということと、安保条約とは切り離して考えることはできない。さらに、近年の中国やロシアなどの東アジアの情勢を考えると、議論はややこしくなるばかりかもしれない。

昭和三〇年(一九五五)生まれの私としては、六〇年安保は憶えていない。しかし、七〇年安保は、記憶のうちにあるできごとである。世の中の熱気と、それから、浅間山荘事件、連合赤軍事件へとつづく流れは、憶えている。

七〇年安保の世代は、私の世代の少し上の世代になる。学生のころ、先輩の学生と話しをする機会があると、なんとなくその時代の空気のようなものを感じたものである。あるいは、私が学生になったころ、大学のキャンパスは平穏を回復していたとはいえ、どこかに、学園紛争の名残をとどめているところもあった。

一般には「学生運動」ということで捕らえられがちな安保闘争に、多くの国民が加わっていたということは、重要なことである。そのなかには、機動隊員であった若者のこともふくめて考える視点を、今こそもつべきだろう。学生の視点から見れば権力の手先ということになるのだが。番組のなかで紹介されていた吉野源三郎の言っていることは、考えるべきである。強いていえば、そのとき、日本国内で起こっていたことの構造が、現在ではグローバルに起こっていると考えることもできようか。

吉田茂、岸信介、池田勇人、これらの政治的判断については、まだ評価が定まらないということになるだろうか。

番組を見て思うことは、安保闘争(六〇年、七〇年)は、いったい日本に何を残したのだろうか、というある種の虚しさのようなものである。

小熊英二の『1968』は読んだ本なのだが、再読してみようという気にはならないでいる。『ゲバルトの杜』を見に行こうとは思わない。『彼は早稲田で死んだ』は出たときに読んだのだが。

2024年6月4日記