浮世絵ミステリー「歌麿・国芳 ヒットの謎〜江戸 メディアの闘い〜」 ― 2025-01-08
2025年1月8日 當山日出夫
浮世絵ミステリー 「歌麿・国芳 ヒットの謎〜江戸 メディアの闘い〜」
これも、『べらぼう』にあやかっての再放送だと思う。最初の放送は、二〇二一年。
見ていて(録画であるが)、時代を感じる。ほんの三~四年ほど前のことなのだが、この時代までは、SNSが肯定的にとらえられ、個人で発信できる新しいメディアとして認識されている。番組のなかでは、アラブの春とか、MeToo運動とか、出てきていた。ふりかえれば、この時代までがかろうじて、SNSが肯定的に考えられていた時代ということになる。
その後、アメリカ大統領選挙、日本での都知事選、兵庫県知事選、これらがあって、今では、SNSで人間はバカになる、SNSのことを信じるのは愚か者である、というふうに変わってきた(これは、主に、これらの選挙で敗れることになった、いわゆるリベラルの側からの言い分という面があるが。)
あつかっていたのは、歌麿と国芳。歌麿の美人画、国芳の役者絵、風刺画、というあたりを主にとりあげてあった。史実として、歌麿と蔦屋重三郎とは関係があるので、今のこのときに再放送というのは、あっていいだろう。
浮世絵についていろいろと思うこともあるけれど、それよりも気になったことを書いておきたい。
寛政の改革、天保の改革と、出てきた。贅沢禁止、浮世絵や芝居などの禁止、という政策になったのだが、では、なぜこれらは禁止されなければならなかったのだろうか。飢饉で人びとが疲弊し、物価が高騰する……として、これに対する対策として、贅沢禁止が合理的な政策であるという理由が、分からない。近世の経済史として、贅沢禁止ということのもっていた、具体的な政策の意図と効果はどんなものだったのだろうか。
それから、国芳が安政の大地震の後、『安政見聞誌』をあらわしていることは、現代の観点からは、地震などの災害の記録としての価値を見出すことになる。
権力と表現ということについては、表現を規制しても、その穴をかいくぐって新しい表現の手法が出てくる、これは、いたちごっこになる。また、規制が強すぎると、(いまでいう)地下出版というようなことになる。
権力側としては、見せしめ的に有名な誰かを処罰して、後は、業界の自主規制にまかせる……ということになるのが、効率的ということである。このような考え方は、近代になってからの、言論統制のなかで継承されてきたことであるし、それは、現代の日本でも続いていることである。
風刺画についていえば、家紋で老中の水野忠邦が分かるというのは、それなりの知識が見る側にあってのことになる。おそらくは、武鑑の類になるのだろうが、これがどれほど江戸の人びとの間に流布していたのだろうか。
2025年1月4日記
浮世絵ミステリー 「歌麿・国芳 ヒットの謎〜江戸 メディアの闘い〜」
これも、『べらぼう』にあやかっての再放送だと思う。最初の放送は、二〇二一年。
見ていて(録画であるが)、時代を感じる。ほんの三~四年ほど前のことなのだが、この時代までは、SNSが肯定的にとらえられ、個人で発信できる新しいメディアとして認識されている。番組のなかでは、アラブの春とか、MeToo運動とか、出てきていた。ふりかえれば、この時代までがかろうじて、SNSが肯定的に考えられていた時代ということになる。
その後、アメリカ大統領選挙、日本での都知事選、兵庫県知事選、これらがあって、今では、SNSで人間はバカになる、SNSのことを信じるのは愚か者である、というふうに変わってきた(これは、主に、これらの選挙で敗れることになった、いわゆるリベラルの側からの言い分という面があるが。)
あつかっていたのは、歌麿と国芳。歌麿の美人画、国芳の役者絵、風刺画、というあたりを主にとりあげてあった。史実として、歌麿と蔦屋重三郎とは関係があるので、今のこのときに再放送というのは、あっていいだろう。
浮世絵についていろいろと思うこともあるけれど、それよりも気になったことを書いておきたい。
寛政の改革、天保の改革と、出てきた。贅沢禁止、浮世絵や芝居などの禁止、という政策になったのだが、では、なぜこれらは禁止されなければならなかったのだろうか。飢饉で人びとが疲弊し、物価が高騰する……として、これに対する対策として、贅沢禁止が合理的な政策であるという理由が、分からない。近世の経済史として、贅沢禁止ということのもっていた、具体的な政策の意図と効果はどんなものだったのだろうか。
それから、国芳が安政の大地震の後、『安政見聞誌』をあらわしていることは、現代の観点からは、地震などの災害の記録としての価値を見出すことになる。
権力と表現ということについては、表現を規制しても、その穴をかいくぐって新しい表現の手法が出てくる、これは、いたちごっこになる。また、規制が強すぎると、(いまでいう)地下出版というようなことになる。
権力側としては、見せしめ的に有名な誰かを処罰して、後は、業界の自主規制にまかせる……ということになるのが、効率的ということである。このような考え方は、近代になってからの、言論統制のなかで継承されてきたことであるし、それは、現代の日本でも続いていることである。
風刺画についていえば、家紋で老中の水野忠邦が分かるというのは、それなりの知識が見る側にあってのことになる。おそらくは、武鑑の類になるのだろうが、これがどれほど江戸の人びとの間に流布していたのだろうか。
2025年1月4日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/01/08/9745451/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。