NHK『平成細雪』最終話2018-01-31

2018-01-31 當山日出夫(とうやまひでお)

平成細雪
http://www4.nhk.or.jp/P4696/

前回(第三話)は、
やまもも書斎記 NHK『平成細雪』第三話
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/24/8775555

最後まで見て……結局、このドラマは、基本的に原作『細雪』(谷崎潤一郎)に忠実であると思う。基本の路線、雪子の結婚がきまり、妙子もようやく身をおちつける、この路線からはずれていない。また、長女の鶴子も大阪を離れて東京にいくことになった。

では、四姉妹の身の振り方が決まって、ハッピーエンドで終わったのだろうか。そうとはいえないように思える。平成6年の暮れで、このドラマは終わる。そして、その一月後におこったのが地震である。ナレーション(幸子の声)は、失われた時代のはじまりであったと語って、終わりになっていた。原作では、太平洋戦争の始まる昭和16年、その直前で終わっている。

このドラマは、結局、平成のバブル崩壊後の「失われた時代」の直前を描くことによって、その後の時代の流れのなかで決定的に失ってしまうことになるものの最後の輝きを描いたということになるのだろう。これは、まさに、原作『細雪』(谷崎潤一郎)が、太平洋戦争から戦後のかけて、それにいたるまでの、まだ日中戦争の時代の最後の輝きを描き出したのを、うけてのことであろう。

失ってしまったものは、まさに失ってしまうことによって、その喪失感を普遍化できる。喪失の物語である。

原作通り雪子は、旧・華族の次男と結ばれる。この結婚が、はたして幸福な結果をもたらすことになったのだろうか。バブル崩壊後の時代、広告代理店につとめるという男のその後の人生はどんなものになるのだろうか。まあ、少なくとも過労死するような人物ではない、というあたりが、せめてもの救いといっていいかもしれない。

4回の放送を見て、やはり残念なのは、京都での花見のシーンが無かったことである。『細雪』を映像化するかぎりは、是非とも花見のシーンはほしい。

だが、一方で、花見のシーンの無い『細雪』は、バブル崩壊後の喪失の時代の物語としては、これはこれでふさわしいのかもしれないとも思う。これから冬の季節をむかえて、その華麗な姿を見せる紅葉の方が、このドラマには、より似合っているというべきかもしれない。

この『平成細雪』というドラマを作れるということは、今になって、ようやく失われた時代を過去の歴史として、距離をおいて見ることができるようになったということでもある。バブル崩壊の直後のころには、このような、かつての栄華をしのぶような、喪失と哀惜の物語をドラマで描くことはできなかったろう。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/31/8779525/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。