ドキュメント20min.「18 summers」2024-11-08

2024年11月8日 當山日出夫

ドキュメント20min. 18 summers

手法としては、ナレーションなしで作ったということになる。場所が能登半島、輪島だから、ことさらに、どういう状況の土地であるということの説明は不要であるので、こういう作り方ができたはずである。(もし、一〇年後に再放送するようなことがあれば、状況説明をしておく必要があるだろう。)

どこに住んでいても、一八才の夏は過ぎていく。輪島に住んでいたことが、特殊なことだったのか、どうか……それは、もっと人生のときが過ぎてからでないと分からないことかもしれない。ただ、見る側の感想としては、自分の昔を思い出してであるが、この高校生たちは、それなりに充実した生活を送っているように感じる。これも、実際に、現地に行って話を聞いてみれば、また違ってくることかとも思うが。

もし地震がなくても、あるいは豪雨災害がなくても、いずれは輪島を離れていくことになっていたのだろう。この流れは、今の時代としてどうしようもないことかもしれない。

もし出来ることなら、被災した、あるいは、直接には被災していないとしても、進学などの面で、特別な奨学金制度(給付型)があっていいと思う。長い目でみれば、こういうことが、この地域の将来のためであるにちがいない。

どうでもいいことで気づいたことがある。学校の授業風景で、プロジェクタで映像を黒板に映して、説明していた。これは、うまい方法である。私も、昔、パワーポイントの画面を、プロジェクタでホワイトボードに映して、そこの空白の部分に文字を書いて説明する、という方式で授業をしたことがある。これは、とても便利な方法である。

制作が、NHKの福井だった。金沢でなかったのは、何か理由があるのだろうか。

2024年11月6日記

「バングラデシュ“世界の縫製工場”は変わったか」2024-11-09

2024年11月9日 當山日出夫

Asia Insight バングラデシュ“世界の縫製工場”は変わったか

いわゆるグローバルサウスという国における現状、ということになるのかなとは思う。安価な労働力で、単純な工場労働で、仕事を請け負う。バングラデシュの場合は、縫製工場ということになる。

たぶん、バングラデシュの工場に仕事を発注している日本の企業やブランドもあるにちがいないが、だからといって、日本で販売する価格を上げて、それを現地の工場労働者の待遇改善に……ということにはならない。国際的な熾烈な価格競争のなかで消費と仕事がまわっている。

日本にいてできることとしては、たとえば「フェアトレード」の製品を買う、ということぐらいだろうかなと、思うことになる。

ちょっと気になって見てみたのだが、BRICSにはバングラデシュは入っていないし、協力関係のある国のなかにも名前はない。BRICSなどに名をつらねることのできる国は、すでにそれだけの豊かさを実現している、資源と工業力を持った国という理解でいいのかなと思う。さらにそこからこぼれ落ちる国があり、そこで働く人びとがいることを、忘れてはならない。

強いて希望を感じるところは、グリーンファクトリーの認証制度。これが広く世界的に認識されるようになって、少々高くても、このような工場で作った製品を選べるようになるかもしれない。(だがそうすると、より安価な製品を求めて、より劣悪な労働環境のところに仕事が流れるということもあるだろうが。)

バングラデシュでメーデーで更新する人びとの映像が映っていた。日本で、メーデーというと、ほとんど形骸化してしまっているが、この国では、切実に労働者の問題である。イスラムの国でメーデーが行われているということは、はっきり言ってすこし意外な気もしたのではあるけれど。

2024年11月7日記

『坂の上の雲』「(8)日清開戦(後編)」2024-11-09

2024年11月9日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(8)日清開戦(後編)」

録画してあったのをようやく見た。見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。

日清戦争であるが、この時代の海軍では、命令のことばはどのようなものだったのだろうか。近代的な軍隊の要件としては、まずことばの統一ということがあるはずだが、明治二七~八年の日清戦争のころは、どんなだったろうか。

秋山真之と東郷平八郎がビリヤードをするシーン。真之は、東郷平八郎に、「少将」と呼びかけていたが、この場合、「閣下」と言った方が自然かなと思ったのだが、この時代ではどうだったのだろうか。(どうでもいいことだが、私が、軍人が階級によって「閣下」と呼ばれることを知ったのは、昔の朝ドラの『おはなはん』を見てのことである。昔のことすぎて、なんのことだが分からない人は多いだろうが。)

たしかに時代は帝国主義の時代である。日本が日清戦争にふみきり、また、その前に征韓論などがあったのは、時代の流れとしていたしかたのないこととして描いている。これが、今の時代だったら、このあたりの描き方は、もうちょっと違ったものになっていたかもしれない。

正岡子規の従軍といっても形ばかりのものであったことは確かであるが、子規は、明治のナショナリズムをどう感じていたのだろうか。子規の目で見た、中国(清)における日本軍のあり方は、かなり昭和の日中戦争のころをイメージさせるものになっている。

森林太郎が登場していた。これは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』には出てこないはずである。ちょっと気になったのは、ドラマの最後のキャスト一覧のところで、名前が「鴎外」と拡張新字体(あるいは俗字体とも)を、使用して表示していたことである。JIS漢字「0208:83」によって生まれた漢字体であるが、長い間、議論の対象となった文字である。これも、今では、「鷗外」と表記することが出来るようになって、その一方で、「鴎」も普通に使われる文字になってきている。

戦死者のうち、病死者が多いと言っていたが、そのなかに脚気がはじめにあがっていたのは、まあ、分かる人には分かることなのだが、やはり鷗外にとって日本軍の重要な問題として認識されていたということになるのだろう。

東郷平八郎と秋山真之は、指揮官とは何かということについてことばをかわす。このときに気になったことは、指揮官と参謀の立場の違いである。指揮官は決断して命令を下すが、参謀は必ずしもそうではない。後に秋山真之がおこなったのは、作戦の立案、ということになるはずである。それを軍の命令として決断したということとは、ちょっと違うと思うのだが、このあたりのことは、軍事史の方からはどのように考えられているのだろうか。

2024年11月8日記

『おむすび』「うち、ギャル、やめるけん」2024-11-10

2024年11月10日 當山日出夫

『おむすび』「うち、ギャル、やめるけん」

結は農業を継ぐと言い出して、家の仕事を手伝っている。その結の姿は、翔也の目には、もとのさびしそうな顔に見える。後継者不足が心配な糸島の農業としては、結が後を継ぐと言い出したのは、喜ぶべきことであったには違いない。

だが、このドラマは最終的には、結は栄養士になる、という設定のはずだから、農業は継がない、ということになる。このあたりの筋書きは、地方出身の女性が都会に仕事を求めて出て行く……大きく見れば、現代の時代の流れを描いているということなのだろうと思う。

このドラマでは、一九九五年の震災のことを、そうリアルに描くということはないが、しかし、それが、それを体験した人びとにどのような気持ちの負担として残っているのか、ということを丁寧に描いていると感じる。結もそうであるが、姉の歩も、また父親も母親も、なにがしか神戸での出来事を背負って生きている。こういう人間の心情を描くのには、効率的な手段はなじまない。時間をかけてじっくりと描いていくのが一番いい。それにつきあうというのも、ドラマを見ていくことの楽しみである。

人間の気持ちは、時間の経過によって変わっていくものである……当たり前のことなのだが、これをドラマで描くのは、かなり難しいことである。作り手としては、主人公として変わらないキャラクターを設定した方が楽にはちがいないと思うが、このドラマは、そのような安直な方法をとっていない。(だが、一方で、登場人物のなかには、変わらないキャラクターがいることは、安心感につながる。糸島の祖父母であったり、さらには、神戸の人たちということになるのだろう。)

次週、結は栄養士になる、と言っていたが、どういう経緯でその資格を取ることになるのだろうか。

2024年11月9日記

『カーネーション』「移りゆく日々」2024-11-10

2024年11月10日 當山日出夫

『カーネーション』「移りゆく日々」

このドラマの映像には、色気がある。あるいは、けれんみがある。いまどき、このようなことを感じるドラマは少ない。

糸子は生地屋につとめることになる。そこで生地を売るとき、採寸して型紙を作るという過程を省略して、直接、人の体に布をあてて裁断するという方法をとる。これは、生地を売る、あるいは、縫製をするという観点からは、合理的な方法であるかと思うのだが、残した型紙の再利用ということができない。はたして、総合的にはどう考えるべきことなのだろうか。

だが、このとき、糸子が考え出した方法が、後に役立つことになる。それは、ドラマが進んで、娘たちの時代になってからのことである。

このドラマの良さの一つは、何度でも書くことになるが、説明的な台詞やナレーションではなく、映像と演技、演出で表現していることである。さりげないことであったが、呉服店で売るものがなくなったので、タワシを売っていた。それを母親の千代が怪訝そうな顔つきで手にしていた。これだけで、もう呉服店ではなくなってしまったことが伝わってくる。

これは、岸和田の街、というところから離れないでドラマを作るという方針で、その岸和田の町並みや、小原の家のこと、近所の家のことなど、限定してそこを非常に細かく作ってある、という姿勢が成功したということになると思っている。(このドラマを見るのは、三度目ぐらいになるはずだが、最後まで岸和田の街と、小原の家が舞台になる作り方をしている。)

クリスマスケーキのシーンは非常に印象に残る。糸子の思いのみならず、おばあちゃんや、母親、それから妹たち、そして、父親の善作、これらの人びとの気持ちの錯綜を、じっくりと描いていた。それから、神戸の家に行って、年老いた祖父母の姿を目にして、世代の移り変わりを実感することになる。このあたりの脚本、演出は、とてもうまいと思うところである。

昭和の初めのころ、岸和田でクリスマスケーキが売られていたかどうか気にならないではない。しかし、善作がひっくりかえしてしまったケーキをひろって、それをお箸で(スプーンやフォークではなく)食べているところを見ると、さもありなんという気になる。こういうところが、このドラマの作り方の良さだと感じる。

糸子は自分で洋裁師と言ってはいるが、依然として着物姿のままである。神戸の家に行くと、洋服姿の家族もいる。岸和田の街が、時代のながれのなかでおくれている、いや、神戸のお金持ちの家が進んでいる、ということがよく分かる。

2024年11月9日記

『光る君へ』「輝きののちに」2024-11-11

2024年11月11日 當山日出夫

『光る君へ』「輝きののちに」

見ながら思ったことを、思いつくままに書いてみる。

『源氏物語』執筆の流れとしては、宇治十帖を書いているころにことになるのかと思うが、はっきりとそれをうかがわせるところはなかった。『源氏物語』を読んでいると、確実に宇治十帖になって、何かが変わったと感じる。物語の構成、登場人物の境遇など、それまでとは違う。宇治十帖の別作者説には、一定の説得力があると思っている。だが、『源氏物語』を書けるほどの作者でないと、宇治十帖は書けないだろうと感じるところもある。

ドラマの作り方としては、宇治十帖の別作者説、場合によっては大弐三位説を、採用してはいない、ということになる。『源氏物語』は、作者(紫式部)「桐壺」から順番に書いていったという設定にしてある。これはこれで、一つの立場である。(もっとも無難な選択だろう。)

政とは何か、道長と実資が話しをする場面は面白かった。実際に平安時代の貴族にとっての政治とはどんなものであったか、どのように考えられていたか、ということはあるには違いないが、まあ、ここはドラマである。現代の目から見て、政治家はどのようであるべきか、一つの考え方が示されていたと理解しておいていいだろう。

志をもっているものが権力を手にすれば変わる……これは、今も昔も、洋の東西を問わず、そのとおりかと思う。今の日本でもそうだろう。

ただ、平安時代の貴族にとっては、民とは何だったのだろうかとは思う。少なくとも、国家とか国民とかという概念はまだなかったにちがいない。このような概念が生まれてくるのは、『坂の上の雲』の時代のことだろうと思う。

三条天皇は、天皇親政を望んでいるのだが、平安時代の天皇と政治の実態とは、どのようなことであったのか、気になるところではある。

この回でも、道長は、三条天皇の譲位を仲間の公卿たちに相談していた。宮中で内々に根回しをするということである。イメージとしては、摂関政治のころ、道長の独占的な権力と考えがちなのだが、実際は合議を経て決めたことであった……という描き方である。

賢子と双寿丸は恋仲といっていいのだろうが、それを見て、母親のまひろは、新しい若い人の時代だということを言っていた。平安貴族は、概して尚古的、つまり昔の時代の方が良かったと考えるものだと思うのだが、ここのところは、時代が変わることによって、新しい感覚になっていくということであった。

そういえばであるが、この時代は、末法思想が貴族たちの間で流行した時代と一般には認識されているはずだが、このドラマでは、そのような気配は感じさせない。

偏つぎの遊びをしていたが、このとき、東宮は七才と言っていた。この時代としては、数え年だろうから、今でいう五才から六才ぐらいになる。小学校に入るかどうかの年齢である。この年齢で、漢字を知っているというのは、とても賢いというべきだろうか。

オウムが登場していたが、あの時のオウムなのだろうか。

倫子が赤ちゃんを抱いているシーンは、微笑ましいのだが、しかし、この時代の貴族なら、乳母が側にいないといけないと感じる。(演出の都合で画面に入れたくなかったということでいいだろうか。)

清少納言がなんだかおだやかな感じになっていた。清少納言の人生の終わりはよく分かっていないはずと思っているが、はたしてどんなだったろうか。ドラマとしては、幸福に定子なきあとの人生をすごしたということのようである。

琵琶をひくまひろとそれを聞く賢子が、なんともいえずしんみりとしてよかった。

まひろの家での宴会のシーン。芸能としては架空のものにちがいないが、なんとなくあんなものだったろうかと思わせるところがあった。これはこれで面白い。

『光る君へ』が始まったときから感じていることであるが、この脚本は、人名を訓読させる方針である。たしかに、道長を「みちなが」と読んでいるのに、彰子を「しょうし」と音で読むのは、整合性に欠ける。とはいえ、その人名の読み方の根拠、つまり「名乗り」であるが、これはいったいどういう考証によっているのだろうか。このあたりのことが、気にはなっている。(説明しておくと、人名でだけ用いる漢字の訓のことを「名乗り」という。現代では、漢和辞典で多く示されるようになったが、少し前までは、古い『大字典』が便利だった。さかのぼれば、それ専用の辞書の類もあった。)

まひろの父親の為時は、越後守の任を終えて帰ってきた。受領として、がっぽりと儲けて帰ってきたのだろうと思うのだが、まひろの家の様子は、さほど豊かになったようには見えない。

双寿丸は太宰府に行くという。武者なのだが、太刀は持っていない。そのような上の身分の武士ではない、下っ端ということなのだろうか。

さて、次週は、道長が「この世をば……」の歌を詠むらしい。『源氏物語』はどうなるだろうか。

2024年11月10日記

「もうひとつの源氏物語 〜王朝の武者 源頼光・頼信兄弟〜」2024-11-11

2024年11月11日 當山日出夫

英雄たちの選択 シリーズ平安時代 (2)もうひとつの源氏物語 〜王朝の武者 源頼光・頼信兄弟〜

再放送である。最初のときのを見損ねていた。

この番組の良さというか面白さは、おそらく歴史学としてはそこそこのレベル(といっては失礼かもしれないが)であって、同時に、まあ人間とはそういうものだよなあ、という感想をいだくところにあると思っている。これは社会科学(とあえていってみるが)としての歴史学というのとは、ちょっと違った視点であろう。

武士というのが、平安時代にその源流がある、ということは知られていることである。それを、下から、つまり在地の実力のある土豪たち(といっていいのかどうか、歴史学の用語はしらないのだが)から考えるか、上から、つまり番組のなかで出てきたことばでいえば、軍事貴族ということから考えるのか、おそらく二つの方向があるだろうと思う。この両者の利害が一致したところに武士という人たちが歴史のなかに登場するということだと、理解していいかと思っている。

武士といっても人間である。ボスが必要になる。そのボスとして軍事貴族が頭角を現してくる。ボスに対しては、命令に従わなければ殺されるという恐怖から従うことになるのか、それとも、ボスのことを信頼してついていけば自分のことを守ってくれるから従うことになるのか……このようなことは、平安時代からあったにちがいない。この意味では、軍事貴族が地方の武士たちを従えていく過程として、それを守ってやるということで実力をつけてきた、ということになる。これが、この番組での理解である。

それから、磯田道史は、歴史学の専門家としては、江戸時代の武士が主な研究対象であるとしていいだろう。現在、一般に思われている武士の忠義というものが、いつごろどのようにして形成されてきたものなのか、ということも興味がある。

江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃などに描かれた武士の忠義、これは、近代以降になって講談や時代劇映画などで、広く認識されるようになったものだろう。では、それ以前はどうだったのか。『太平記』など読んだ印象としては、ちょっと違う。確かに主君に対しての忠誠心はあるのだが、同時に非常に功利的でもある。『平家物語』における武士の生き方は、読んで共感するところもあるが、しかし、いわゆる武士道というものとは違っている。

平安時代の武士はどうだったのか。自分たちが生きのこるためには、ボスである主人を選ぶ。それも、同時にいくつかの関係をもって、リスクヘッジをしていた。これは、まあなるほどそういうものだったろうと思う。一途な主君と従者という関係ではなかったようである。

武士のボスになるのに必要な要件は、調停者としてすぐれていたということ。これは、そうかなと思う。在地の武士たちの所領争いの調停能力がすぐれていたものが、権力をもつようになる。そうして出来上がったのが鎌倉幕府であると考えると、そうかなあと思う。

この番組を見て思ったことの一つは、受領というのは、いったいどれぐらい儲けていたのだろうか、ということである。『光る君へ』を見ていると、紫式部の父親の為時は、清廉な学者として描いてあるが、実際はどうだったのだろう。がっぽりと儲けていて、その財力があったから、紫式部は『源氏物語』を書くことが出来た、ということであってもいいかなと思う。『源氏物語』を読むと、明石の入道などは、在地の実力者で、相当かせいでいるようである。

『今昔物語集』などに出てくる武士も面白い。テレビの時代劇でイメージする江戸時代の武士とは違って、なまぐさく躍動感がある。

2024年11月5日記

「東京・足立区 いつものファミレスで」2024-11-12

2024年11月12日 當山日出夫

ドキュメント72時間 東京・足立区 いつものファミレスで

外で食事をするということが、ほとんどなくなってしまった生活を送っている。昨年度までは、学校で教える仕事が少しあったので、京都まで出かけていたが、それも今はやめてしまった。この時の昼食は、毎回、コンビニおにぎり(二個)ということにしていた。

ファミリーレストラン、というところに最後に行ったのは、もう何年前のことになるだろうか。すっかり忘れてしまっている。うちの近所にも、ファミリーレストランはある。だが、いつも前を自動車でとおりすぎるだけである。入ってみようと思うことはない。

この回であるが、見ながら思うことがいくつかある。

足立区は低く見られていた、という話しから始まっていたのだが、私の年代(一九五五生)だと、この感覚は理解できる。東京を離れて久しいし、年月もたって時代も変わった。もうそのような感覚で見る人はいないかもしれない。(だが、その土地が時代の流れのなかでどのように見られていたか、ということは、これはこれとして意味のあることだとは思っている。)

パン屋さんが、仕事を終えて食事をしてビールを飲んでいた。たしかに、その時間で食事ができてビールが飲めるお店というと、今では、ファミリーレストランということになるのだろう。居酒屋は開いていないし、普通のお店では、昼間は酒は出さないのが普通だろう。(まあ、これも地域や場所によっては、「モーニングサービス」として、朝からビールのセットが出てくるお店もあったりするけれど。)

都会にあるという立地条件であるので、来る人は、徒歩か自転車の人が多いのだろう。駐車場もそんなに広いという感じではなかった。

登場していたのは、ごく普通の人たちと言っていいだろう。特に変わった、劇的な人生を歩んだという人は出てきていなかった。

毎朝、一番にやってきて、指定席で朝食を取る九〇才の男性。見ながら思ったことは、もし、この男性がやってこない日があったら、お店はどうするのだろうか。今日は来なかったわね、で終わるのか、それとも、しかるべく行政の窓口に連絡することになるのか。気になるところではあった。

都市部で一人暮らしの老人が増えている。それを支える社会のインフラの一つとして、このようなファミリーレストランの存在がある、と認識しておくべきことになるだろうか。このような業界をふくめて、行政サービスが考えられるべきときに来ているかと思う。

手に障害のある子どもを持つ夫婦。子どもの将来のことを思う気持ちは、切ないものがある。(私の知っている範囲だが、精神的な疾患のある子どもの将来を考える親が、その援助のための施設や組織の運営にかかわっているということはある。こういう人たちは、高齢でもある。このあたりについては、もっと公的な援助の手が差し伸べられてもいいと感じる。)

どうでもいいことかもしれないが、店内で帽子をかぶっている姿が目についた。私の感覚だと、お店のなかにはいれば帽子はとるべきもの(脱帽)、と思っているのだが、こういうマナー(というべきほどもことでもないかもしれないが)は、時とともに変わっていくものなのだな、と感じたところでもある。

2024年11月11日記

「ギャル 朝ドラ「おむすび」でも話題 ギャルマインドは世界を救う!?」2024-11-12

2024年11月12日 當山日出夫

100カメ ギャル 朝ドラ「おむすび」でも話題 ギャルマインドは世界を救う!?

ギャルということばは知っているし、目にしたこともある(と思う)。まあ、そのような趣味の若い女性たちがいることは確かなことだと思うけれど、いったい何を好き好んであんな恰好をしているのか、よく分からないというのが、正直なところでもある。だが、これも、朝ドラ『おむすび』を見ていて、ちょっと認識が変わってきたところもあるけれど。

「ギャル雑誌」というのが、今も刊行されている(紙の雑誌として)というのには、驚いた。ネットの時代になって、亡びずに残っているというのは、それだけ需要があるということなのだろう。なかなかあなどれない。

雑誌モデルになるためのオーディションに、家族そろってかかわる、というのも面白かった。そのような家庭もあっていいかなと思う。

これは、『おむすび』に関連して企画したことだろうと思うが、こういう人たちが今もいるのか、というのが正直な感想である。だが、いつの時代にも、ちょっと社会の規範からはずれた若者たちというのはいるものである。歌舞伎者がそうであるかもしれないし、アバンギャルドもそういってもいいかもしれない。

意外とギャルという存在はこれからも生きのこっていくことになるような気がする。

ところで、年をとってギャルをやめた人たちは、その後、どうしているのだろうか。このあたりも気になるところである。

2024年11月11日記

「“百人一首” (2)古典文学への入り口」2024-11-13

2024年11月13日 當山日出夫

100分de名著 “百人一首” (2)古典文学への入り口

この番組を最後まで見ると、監修として渡辺泰明さんの名前が出てくる。現代の日本文学研究、そのなかでも和歌文学については、第一人者である。だから、この番組のなかで、まちがったことは言っていない。

だが、なんだかなあ、という気にはなる。この回の冒頭で、和歌は日本人のDNA……ということを言っていたが、これはまどうだかなあ、と思わざるをえないところがある。

一般的な理解としては、上記のことは正しい。しかし、和歌……この場合、「百人一首」だから、主に平安時代の和歌を中心として見ることになるが……が、日本人のDNAであるという言説は、明治以降、近代になってからの国文学という学問の成立とともに作り出された「創られた伝統」である、というのが、おそらくおおかたの日本文学研究者の理解であろうと、私は思っている。少なくとも、現在、人口に膾炙している形での和歌についての考え方は、そのような性質を多分にふくむものであるとはいえるだろう。

奈良時代以前の人も歌を詠んだ。『万葉集』が残っている。それから「古代歌謡」とされるものも残っている。平安時代になって、『古今和歌集』から始まる勅撰和歌集の歴史がある。鎌倉時代になってからも、武士たちは歌を詠んだ。江戸時代にも、続いた。その流れのなかに、近世になってからの国学の成立があり、近代になってからの国文学の成立がある。

だが、日本人……この場合、古代より日本列島に住んで日本語を使ってきた人びとぐらいの意味であるが……のすべてが、歌を詠んできたといっていいだろうか、ここは疑問の残るところである。ただ、民俗学の研究などによって、一般の庶民のなかでどのような芸能が伝承されてきたか、という観点はたしかにある。(若いとき、慶應の国文で学んだ私としては、むしろこういう観点を重視することにはなる。)

このようなことは思ってはみるのだが、しかし、和歌の入門としては、この番組はよくできている。

枕詞、縁語、歌枕、見立て……というような和歌の技巧について、非常に分かりやすく簡潔に説明してある。これは、はっきりいって見事な番組の作り方である。高校生や、あるいは、日本文学を学ぶ大学生にとっても、有益な内容になっている。和歌研究のレベルとして十分に納得できるものである。

その一方で、正岡子規のことも留意すべきだろう。特に『古今和歌集』の評価については、一度は正岡子規の言ったことを踏まえておく必要があるにちがいない。そのうえで、なお今日においても『古今和歌集』の歌が、文学としてうったえるものがあるのは何故なのか、という方向で考えることになるはずである。

「はかなさ」を日本的な美意識に見出すのは、一つの判断ではある。だが、それだけではないことも重要だろう。復元的に考証してみるならば、奈良時代から近世にいたるまで、絢爛豪華な文化もまた日本のなかにあった。作られた当時の東大寺の大仏を想像してもいいし、江戸時代の吉原などを思ってもいい。番組のなかで映っている、装飾的な「百人一首」歌留多がまさにそうである。いわゆる「わび、さび」だけが日本の文化としてあったのではない。これは、現在では常識的な認識であろう。きらびやかな江戸の文化については、おそらく来年の大河ドラマの『べらぼう』で描かれることになるだろう。

「百人一首」に収録の歌は、かならずしも名歌ばかりではない、というのが私の学生のころの認識であったと思うのだが、今はどうなのだろうか。(「百人一首」にふくまれているので有名ということはあるのだが。)

2024年11月12日記