『おむすび』「母親って何なん?」 ― 2025-02-16
2025年2月16日 當山日出夫
『おむすび』 「母親って何なん?」
このドラマ、朝ドラとしてのできは、まあまあというところかなと思って見ている。そんなに感動するほど良くできてもいないが、逆に、褒めるところが見つからないほど出来が悪いとも思わない。
だが、この週あたりのストーリーの展開を見ると、こういうふうに話しをもっていくのなら、これまでに描いておくべきことがあったはずなのに、と思うところはある。これまでの話しの展開が、チャラになってしまっている。そもそもギャルが栄養士になるというコンセプトだったはずだが、この設定が、どこかにとんでいってしまっている。
結は管理栄養士になる。管理栄養士としては、目で料理を見て、その食品の成分、栄養価とかカロリーとか、ざっと頭のなかでイメージできる……これは、そういう訓練というか、そうなる勉強をしてきたからである。しかし、これまで、このドラマのなかで、結がそのような勉強をしてきた、という部分が描かれていない。
料理を見て、その栄養的な問題点を指摘するのは、居酒屋で乾杯をするときにいうことではないだろう。もっと、それにふさわしい適切な場面があるはずである。ここは、管理栄養士としての専門知識と、一般の良識とのかねあいの問題である。この脚本には、一般的な良識的判断が欠如している。
やはり、ここは、結が四年制大学に行って、管理栄養士の受験資格をとるための専門のコースで勉強する、ということであった方が自然である。そこで、何を学んだか、どんな講義があったか、実習や実験があったか、具体的に描いてこそ、管理栄養士はこういう職掌の仕事なのだと、見ている側も理解できる。
昔、結が、栄養士の専門学校に行っていたときの友達は、病院に就職したり、食品会社(まんぷく食品)に就職したりだった。ここで、栄養士として病院に就職したとき、どんな仕事をしているのか、出てきていない。もし描くと、栄養士と管理栄養士の違い、ということになってしまうからまずい、ということなのかもしれない。また、食品会社でも、管理栄養士なら、その会社の製品開発などにかかわる仕事もある。さらに、学校につとめて栄養教諭という勤め先もある。公務員としても、かなり専門性を求められる職種もある。
ここにきて、結が、かつて栄養士の勉強をしたときのこと、その時の仲間のことなどが、まったく無かったかのようになっている。
管理栄養士というのは、どういう専門職なのか、ということを分かりやすく描いておくべきであった。そして、管理栄養士になるには、どういう学校で、どういう勉強をするのか、そして、国家試験はどんなものなのか、説明があるべきであった。
しかし、その一方で、限界もある。週の最後で、結が担当した患者の膵臓の腫瘍に気がつかなかったことを、手術した医者から責められる場面があったが、どう考えても、これは、管理栄養士の仕事の範囲外のことだろう。自覚症状はほとんどないはずだから、CTでも撮らないかぎり見つけるのは難しい。内臓のCT検査をするのは、よほどのときでないとしない。(私は、過去に二度、したことがあるが。)
医療のドラマとして描くならば、たとえそれが朝ドラの枠であっても、医師や看護師や管理栄養士や言語聴覚士や、その他多くのスタッフの職掌、その責任をとれる範囲ということを、明確にしておく必要がある。そして、それぞれの職掌の範囲内で、スタンダードが何なのかを求めるべきだろう。
自分自身をふくめてスタッフの職掌と責任の範囲をわかっていないで、それをプロと呼ぶことはできない。
拒食症(といっていいだろう)女子高生について、そんなにあっさりと解決することなのかとも思う。検査して入院ということになったのだが、その背景には、心理的な要因があったことは、推察される。貧困が理由で食べるものに不自由していたというわけではない。可愛くなりたい、だから食べたくない、可愛くなれないのはお母さんの料理のせい、このように考えるということは、かなり精神的に問題があるというべきだろう。
可愛い=痩せている=食べない、この連鎖をどうにかする必要がある。これは、病院で管理栄養士の仕事だろうか。とりあえず食べられるものについて、その栄養価を考慮してメニューを考える、ということになるのではないかと思うが、どうだろうか。
可愛くなりたいというのは、ギャルになりたいというのと同じこと、であるのかもしれないが、それが原因で食事をまともにとらない、あるいは、とれないようになる、その結果、病気にになるというのは、普通ではない。昔の結の博多のギャル仲間のときのこととは、根本的に違うと判断すべきである。すくなくとも結の立場はまったく違う。ここは、病院の専門のスタッフに引き継ぐのが、医療現場のプロであるべきだと、私は思う。
糖尿病のように、病気で食べられないものがあるわけではないのだから、何でも食べなさい……ということは、(素人判断になるが)おそらく決して言ってはいけない台詞のはずである。鬱病の患者に、絶対に頑張れと言ってはいけないように。ここは、まずは心理的なカウンセリングとなるべきだろう。あるいは、総合病院なのだから、心療内科などの出番になるはずである。このドラマの時代なら、十分にその考え方はあったはずである。(昔の震災の時代とは違うのであるから。いわゆる心のケアということが、認識されているはずである。)
愛子の浮気騒動(?)は、まあ、そんなものなのかな、ということになる。ブログの書籍化ということは、今でも、出版の企画としてはありうることだが、こういう展開にもってくるなら、愛子のブログを、もうすこし具体的にドラマの中で描いてあった方がよい。どんなコメントがついたのか、それについて愛子がどう思ったのか、というエピソードがあってもよかった。
商店街のことは、もう出てこなくなったが、どうなったのだろう。駅前の再開発でタワーマンションができる、ショッピングセンターができる、ということが、その後の地域にどういう影響を及ぼすか、今まさに日本の各地で問題が顕在化しているテーマの一つである。商店街の不振は相変わらずかもしれないし(固定客のいる理髪店ならなんとかやっていけるだろうが)、タワーマンションの将来の廃墟化という、大きな課題もある。それよりも、ネット通販の普及は、ショッピングセンターの経営にも影響を与えることになるかもしれない。
このドラマ、栄養士とギャルから、途中で、無理に病院の管理栄養士に路線変更したので、脚本が雑になってきていると、感じる。
結が膵臓の病気に気づかなかったことを云々する前に、食べない女子高生について、精神科やカウンセラーなどに事案を相談しなかったことの方が、問題だと私は思うのである。
2025年2月14日記
『おむすび』 「母親って何なん?」
このドラマ、朝ドラとしてのできは、まあまあというところかなと思って見ている。そんなに感動するほど良くできてもいないが、逆に、褒めるところが見つからないほど出来が悪いとも思わない。
だが、この週あたりのストーリーの展開を見ると、こういうふうに話しをもっていくのなら、これまでに描いておくべきことがあったはずなのに、と思うところはある。これまでの話しの展開が、チャラになってしまっている。そもそもギャルが栄養士になるというコンセプトだったはずだが、この設定が、どこかにとんでいってしまっている。
結は管理栄養士になる。管理栄養士としては、目で料理を見て、その食品の成分、栄養価とかカロリーとか、ざっと頭のなかでイメージできる……これは、そういう訓練というか、そうなる勉強をしてきたからである。しかし、これまで、このドラマのなかで、結がそのような勉強をしてきた、という部分が描かれていない。
料理を見て、その栄養的な問題点を指摘するのは、居酒屋で乾杯をするときにいうことではないだろう。もっと、それにふさわしい適切な場面があるはずである。ここは、管理栄養士としての専門知識と、一般の良識とのかねあいの問題である。この脚本には、一般的な良識的判断が欠如している。
やはり、ここは、結が四年制大学に行って、管理栄養士の受験資格をとるための専門のコースで勉強する、ということであった方が自然である。そこで、何を学んだか、どんな講義があったか、実習や実験があったか、具体的に描いてこそ、管理栄養士はこういう職掌の仕事なのだと、見ている側も理解できる。
昔、結が、栄養士の専門学校に行っていたときの友達は、病院に就職したり、食品会社(まんぷく食品)に就職したりだった。ここで、栄養士として病院に就職したとき、どんな仕事をしているのか、出てきていない。もし描くと、栄養士と管理栄養士の違い、ということになってしまうからまずい、ということなのかもしれない。また、食品会社でも、管理栄養士なら、その会社の製品開発などにかかわる仕事もある。さらに、学校につとめて栄養教諭という勤め先もある。公務員としても、かなり専門性を求められる職種もある。
ここにきて、結が、かつて栄養士の勉強をしたときのこと、その時の仲間のことなどが、まったく無かったかのようになっている。
管理栄養士というのは、どういう専門職なのか、ということを分かりやすく描いておくべきであった。そして、管理栄養士になるには、どういう学校で、どういう勉強をするのか、そして、国家試験はどんなものなのか、説明があるべきであった。
しかし、その一方で、限界もある。週の最後で、結が担当した患者の膵臓の腫瘍に気がつかなかったことを、手術した医者から責められる場面があったが、どう考えても、これは、管理栄養士の仕事の範囲外のことだろう。自覚症状はほとんどないはずだから、CTでも撮らないかぎり見つけるのは難しい。内臓のCT検査をするのは、よほどのときでないとしない。(私は、過去に二度、したことがあるが。)
医療のドラマとして描くならば、たとえそれが朝ドラの枠であっても、医師や看護師や管理栄養士や言語聴覚士や、その他多くのスタッフの職掌、その責任をとれる範囲ということを、明確にしておく必要がある。そして、それぞれの職掌の範囲内で、スタンダードが何なのかを求めるべきだろう。
自分自身をふくめてスタッフの職掌と責任の範囲をわかっていないで、それをプロと呼ぶことはできない。
拒食症(といっていいだろう)女子高生について、そんなにあっさりと解決することなのかとも思う。検査して入院ということになったのだが、その背景には、心理的な要因があったことは、推察される。貧困が理由で食べるものに不自由していたというわけではない。可愛くなりたい、だから食べたくない、可愛くなれないのはお母さんの料理のせい、このように考えるということは、かなり精神的に問題があるというべきだろう。
可愛い=痩せている=食べない、この連鎖をどうにかする必要がある。これは、病院で管理栄養士の仕事だろうか。とりあえず食べられるものについて、その栄養価を考慮してメニューを考える、ということになるのではないかと思うが、どうだろうか。
可愛くなりたいというのは、ギャルになりたいというのと同じこと、であるのかもしれないが、それが原因で食事をまともにとらない、あるいは、とれないようになる、その結果、病気にになるというのは、普通ではない。昔の結の博多のギャル仲間のときのこととは、根本的に違うと判断すべきである。すくなくとも結の立場はまったく違う。ここは、病院の専門のスタッフに引き継ぐのが、医療現場のプロであるべきだと、私は思う。
糖尿病のように、病気で食べられないものがあるわけではないのだから、何でも食べなさい……ということは、(素人判断になるが)おそらく決して言ってはいけない台詞のはずである。鬱病の患者に、絶対に頑張れと言ってはいけないように。ここは、まずは心理的なカウンセリングとなるべきだろう。あるいは、総合病院なのだから、心療内科などの出番になるはずである。このドラマの時代なら、十分にその考え方はあったはずである。(昔の震災の時代とは違うのであるから。いわゆる心のケアということが、認識されているはずである。)
愛子の浮気騒動(?)は、まあ、そんなものなのかな、ということになる。ブログの書籍化ということは、今でも、出版の企画としてはありうることだが、こういう展開にもってくるなら、愛子のブログを、もうすこし具体的にドラマの中で描いてあった方がよい。どんなコメントがついたのか、それについて愛子がどう思ったのか、というエピソードがあってもよかった。
商店街のことは、もう出てこなくなったが、どうなったのだろう。駅前の再開発でタワーマンションができる、ショッピングセンターができる、ということが、その後の地域にどういう影響を及ぼすか、今まさに日本の各地で問題が顕在化しているテーマの一つである。商店街の不振は相変わらずかもしれないし(固定客のいる理髪店ならなんとかやっていけるだろうが)、タワーマンションの将来の廃墟化という、大きな課題もある。それよりも、ネット通販の普及は、ショッピングセンターの経営にも影響を与えることになるかもしれない。
このドラマ、栄養士とギャルから、途中で、無理に病院の管理栄養士に路線変更したので、脚本が雑になってきていると、感じる。
結が膵臓の病気に気づかなかったことを云々する前に、食べない女子高生について、精神科やカウンセラーなどに事案を相談しなかったことの方が、問題だと私は思うのである。
2025年2月14日記
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