『カムカムエヴリバディ』「1963ー1964」「1954ー1965」2025-02-16

2025年2月16日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1963ー1964」「1964ー1965」

この週を見て思ったことなど書いておく。

ジョーの生いたちがあきらかになった。岡山のトランペットの少年であり、定一にひろわれて音楽の道で生計をたてるようになった。戦災孤児であった身の上があきらかになった。これは、家族というものを知らずに育ったジョーと、家族を棄てた(あるいは、棄てられたと思っている)るいと、こころのうちで響きあうものがある、といういことになる。この二人で、京都で、新しく回転焼き屋として生きていく。

ジョーは、トランペットが吹けなくなる。日常生活では何の問題もないのに、ある特定の場面でうまく動けない……このような症状については、現代の精神医学であれば、少なくともこういうことが人間には起こりうるものである、ということの判断はできるだろう。だが、この時代、一九六〇年代、現代のような知見を専門家にも、また、一般にも、求めるのは難しかっただろう。現代だからこそ、このようなことが人間には起こるものなのだ、ということは、一般に認識されることとなっているといえるだろうか。(それでも、そうはっきりと理解できる人は、ほとんどいないかもしれないが。)

ジョーがいなくなって、それをるいが追いかける。海岸で見つけて、海のなかに入っていくジョーに、るいがすがりつく。おそらく、このドラマのなかでも、もっとも印象に残るシーンの一つである。

このシーンの回のときの始まりで、ベリーが、るいのクリーニング店にやってきて、クリーニングを頼む。そのときに、ベリーの京都の連絡先を、店の用紙に書いていくことになる。これがきっかけとして、るいとジョーは、京都で新しい生活を始めるということになる。さりげない描写なのだが、ドラマの展開のなかでは重要な意味を持っていることになる。

京都のベリー(一子)のお茶をたてているときのシーン。京都方言としては、「ひつこい」かなと思うのだが、「しつこい」と言っていた。(私の感覚としては、「ひつこい」の方がしっくりくる。)

るいとジョーは、京都で回転焼き屋を始める。その動機が、天神さん……北野天満宮の縁日、毎月二五日……で、回転焼きの屋台を目にしたから、ということになっていたのだが、どうも安直かなという気がしないでもない。しかし、岡山でのたちばなの店のあんこの味を引き継いで、素人でも簡単に始められる商売としては、妥当なところかもしれない。

しかし、回転焼きを上手に焼くのは、これはこれで難しいことだと思う。

ちなみに、回転焼きは、地方によって名称が異なる。地域によっては、今川焼きとか、大判焼き、などの名称になる。私は、京都の宇治市の育ちなので、最初に憶えた名前が、回転焼きである。

このドラマの描き方としては、戦災孤児であったジョーが唯一できることだったトランペットを吹くことができなくなる、そして、それを思うるいの気持ち、これが情感深く描写されていたと思う。この二人を見守る周囲の人びと、クリーニング屋の夫婦、Night and Day のマスター、ベリー、トミー、それから、ササプロの奈々、これらの人びとの気持ちが、丁寧に描かれていたと感じるところである。

2025年2月14日記

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