『ひよっこ』あれこれ「泣くのはいやだ、笑っちゃおう」2017-04-16

2017-04-16 當山日出夫

ひよっこ
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/index.html

『ひよっこ』第二週「泣くのはいやだ、笑っちゃおう」
http://www.nhk.or.jp/hiyokko/story/02/

この週の見せ場は、赤坂の警察署でのシーンかなと思う。母(美代子)が、警察の担当者にむかって……探してくれといっているのは、疾走した出稼ぎ労働者ではないのです。奥茨城村で生まれ育った谷田部実という人を探して欲しいのですと……涙ながらに、懇願するところ。

昭和39年、東京オリンピックの開催となり、東京が活気づいていたときである。多くの出稼ぎ労働者がいて、そのなかには、失踪……土曜日には「蒸発」ということばあったと語っていたが……する人も、少なくなかった。なぜ、父はいなくなってしまったのか。大きな謎をかかえたまま、みね子たちの人生の歯車が動き出すことになる。

この週も、その時代を反映するネタがたくさんあった。クレージーキャッツ、インド人もびっくりのカレーのCM、そして、みね子が歌っていた「ひょっこりひょうたん島」の歌。

私の世代としては、これらのことはみな憶えていることになるのだが、なかでも、「ひょっこりひょうたん島」の歌の使い方が巧いと感じた。東京に行ったかもしれない母のことを思って、みね子が小声でくちずさむ「ひょっこりひょうたん島」の歌が印象的であった。これほど哀愁をこめた「ひょっこりひょうたん島」の歌はないのではなかろうか。

それから、小道具の使い方がたくみである。マッチ、それから、重箱。たぶん、このドラマの終わりの方になると、みね子たち一家が、宮本信子(鈴子)のレストランで食事をするシーンがあるのだろうと、明るい未来を想像してしてみる。

東京まで、夫の行方を捜しにきた母(美代子)は、旅館にもとまらず、上野駅の構内のベンチで、始発をまっていた。宿にとまるお金もない、ということでもないとは思うのだが、それにしても、駅でのシーンは切ない。

ところで、駅は、こちらの世界とあちらの世界をつなぐ境界のようなものだろう(近代社会というものを、民俗学的に考えてみるならば。かつての、古代、中世の時代の坂、川、橋のように。)そこで、東京の世界を代表する立場になるであろう宮本信子(鈴子)と語り合うというのは実に印象的である。駅という場所の設定が上手であると思う。

駅(上野駅)を通って、みね子たちは東京に出てくることになる。逆に、東京にいる宮本信子(鈴子)は、母(美代子)を追って、駅まではやってくる。そこで、両者がともに時をすごす。その境界の場所が、まさに「駅」なのである。

第二週まで見たところで感じるのは、村での、みね子たちの生活の描写。実に細やかに描いている。生活の実感を細やかに描くというのは、こういうのをいうのだと思う。これは、前作『べっぴんさん』が、日常生活のいとおしさを描こうとしていながら、それが、ナレーションで語られるだけで、ドラマとしては空疎なものであったことを考えると、今回の『ひよっこ』の方が、はるかによく作られている。

次週は、聖火リレーになるらしい。見ることにしよう。